| 2001年5月19日 | 日本経済新聞の「遊食生活」欄に信楽がとりあげられました。 信楽のいいところをよくまとめて、紹介してくれていると思います。 |
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本文 陶製タヌキの置物で知られる信楽は近江南部の山懐にある。窯元散策を楽しみ、(しがらきのみや)の遺跡で天平のロマンに思いをはせる。渓流沿いに山に分け入れば「桃源郷」の物語を仕掛けとして設計した豪華な美術館に出合う。 信楽は高原にある内陸小盆地。南北を瀬田川支流の大戸川が貫流し、信楽焼の窯元が集まっている。 この「かくれ里」へは信楽高原鉄道に乗って入るのが好ましい。急こう配のローカル単線。両側には原生林が茂る。その緑のトンネルを抜け坂を登りきると、ぐっと視界が開ける。終点の信楽駅では、おなじみ陶製タヌキが迎えてくれる。 信楽は滞戸、丹波、備前などと並ぶ六大古窯の一つ。良質の陶土、燃料の松が豊富なことから鎌倉中期に興った。茶器から日常雑器、タイル類まで製造している。大型の火鉢を全国に広めたが、昭和の初めに京都から移住した陶工が置物のタヌキを作り、これが信楽タヌキの原型になった。すげ笠(がさ)をかぶり、酒徳利(とっくり)に通い帳を提げたユーモラスな姿は釘のシンボルになった。 古くからの窯元が軒を連ねている。道に埋め込まれた陶板標識をたどると登り窯が点在し、古い火鉢などが無造作に積まれている。坂の多い路地が入り組んでいるが、職人の町は静かで窯元散策がのんびりと楽しめる。町内各所に作陶を体験できる工房も多い。 駅近くの伝統産業会館では古代から近世までの古信楽を一覧でき、北部の丘陵に広がる「陶芸の森」では現代の作品を展示している。広大な敷地に陶器美術館、物産展示揚、研修施設などが点在し全体が公園になっている。 毎年七月、三日間にわたり催す「陶器まつり」は陶器市や火祭りなどに遠来の客でにぎわう。今年は20日−22日に開催する。 ロ ロ ロ 天平十四年(742)、聖武天皇がこの地で紫香楽宮の造営に着手、翌年にここで大仏造立の詔勅を発した。大仏の骨柱までできたというが、遷都に反対する勢力による不審火が相次ぎ計画はとん挫した。 往時の礎石が松林に囲まれた小高い丘は1926年に「紫香楽宮跡」として史跡に指定された。だが、昨年秋、遺跡の北約2`にある宮町地区の田園から南北に整然と並んだ柱の跡が見つかり、史跡は寺(甲賀寺)跡で、こちらが都跡であることが判明した。今も発掘調査が続いている田んぼに立ってみると、背後を小山で囲まれ南方がひらけて中心軸は甲賀寺につながる。風水思想そのままの立地で、宮跡の規模は予想外に大きいものだったことがわかる。 それにしてもこんな山懐に都と大仏の造営を企てた天皇の意図は何だったのか−−。古代史のなぞと天平のロマンに思いをはせ、町から山道を車で登ってゆくと、標高400bの山中に超モダンな建造物が現れる。 1997年秋に開舘した「MIHOミュージアム」だ。満開のツツジに囲まれたレセプション棟を起点にしだれ桜の並木を進むとトンネルが待っている。くねった「洞穴」を抜けると視界が開け、つり橋の奥には、入り母屋風の本館が見える。設計はパリ・ルーヴル美術館のビラミッド棟や香港の中国銀行ビルで知られるT・M・ペイ氏。 中国系米国人の同氏は陶淵明の詩「桃花源記」を基本思想に土地の選定、全体設計から展示までを指揮しこの美術館を造った。自然を残すために建築容積の80%を地中に埋めたが、トップライトから差し込む自然光が舘内に行き渡る。借景の技法を多用し植栽や山々を身近に感じる。 収蔵品は世界の古代美術品と日本の古美術品が中心。エジプト、オリエント、中国の至宝は逸品ぞろいで、京都見物のついでに立ち寄る外国人客も多い。 日本美術は重要文化財の耀変天目茶碗や応挙、蕪村の絵画など名品をそろえる。夏まで特別展「古代ガラス」を開催中。建築と展示をゆったり楽しめば半日かかる。 (編集委員 名和修) |
| 2001年5月 | 連休に信楽に行ってきました。 あいにく天気はあんまりよくなくて残念でしたが、山の緑は美しく、新鮮な空気を思う存分満喫してきました。陶器市が随所で開かれてましたが、駅前の沢山の狸の歓迎は、いかにも信楽らしい風景です。 |
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