| 第88回 2月23日 |
| 中学高校時代、私は跡見学園という女子校でバスケット部に所属した。初めの3年間はベンチウォーマーだった。1年生の新入部員までが、ほぼ全員出してもらえた試合でもベンチで終わった日の悔しかったこと。しかし、そこから負けじ魂に火がついた。早朝始業時前のコートで朝練習に励み、お弁当は早弁して昼休みもほとんど練習、授業の合間の10分間の休憩は近場の階段でトレーニング。自分が選手として活躍する姿をイメージして日々邁進(まいしん)した。 結果、成績はガタ落ち。教員室に呼びだされたが、高校ではレギュラーメンバーになれ、2年生の時は国体の候補選手として名前があがった。大学受験のため国体出場はしなかったが、バスケットを通しての苦闘の歴史はけっこう今の私を支えている。4年も5年もかかろうが、あきらめなければなんとかなるという体験を植えつけてくれた。 さて、私の今の肝臓の数値は、動くことなど普通はできないというほど酷(ひど)いものだそうだ。でも、「今日一日をなんとか!」と気合を入れ、約束をこなしてきた。2月8日は八千代市での朗読コンサートに合唱で出演する子どもたちに指揮棒を振り、大声で指導。やるほどに何かをつかんでくれる子どもたちの柔軟性に感動し、その間だけは妊婦のように腫れ上がった肝臓のことを忘れていた。あくる日は正体なく寝込むわけだが、集中と感動はすごいもの。痛みも苦しさも悩みも、すべて忘れさせる力がある。 しかし今、階段を上がるのもつらい体という弱者になって、考えさせられることは多い。講演に向かう時、長く車に乗りたくないので私は電車で移動するが、その時、エレベーターやエスカレーターがある駅ない駅、ホームの位置をシミュレーションする。 たとえば、周辺に病院がいっぱいある東京メトロ築地駅の聖路加国際病院がある側には、そのどちらもない。だから今は、エレベーターがある他の駅で降り、地上に出てタクシーで通院せざるを得なくなった。 4日、南多摩高校での朗読コンサートを終えて帰る時、JR八王子駅の改札口の機械がスイカの残高不足だったため私を止めた。駅員がいる改札口までかなり歩いたが、チャージはそこではしてもらえず、外の券売機に行くように言われた。大きな駅で、私から見える券売機はかなり遠い。「券売機、近いところにないですか?」と何度か尋ねた私に、駅員は「すぐそこですよ」と、私にとってかなり遠いその券売機を指さした。私は疲れた体を立て直し、深く息を吸い、挑むように券売機に向かった。 弱者の事情は、一日でも不自由な体で過ごしてみないとわかってもらえないのだろうと思った。弱者は少数派だ。営利を優先すれば決して弱者は守られない。身体障害者用の設備を排除することを当たり前に考えていた東横インの社長。弱い立場に立ったことのない人は、多かれ少なかれああいう考え方を根っこでしてしまうのかもしれない。 再びバスケット部でのこと。練習がきつく息が切れる時は、手を両膝(ひざ)にあてて体を丸め、下を向くと楽になる。でも私は、それは我慢すべきだと思い、体を伸ばし続ける努力をしていた。そしてよく膝に手を置くチームメートに「そうすると楽だけど、我慢してがんばらないといけないと思うよ」と言ったことがある。あの時の彼女の悲しそうな顔をよく思い出す。彼女のつらさが自分と同じ程度だと思ったあの頃の私が恥ずかしい。 |