第86回  1月26日

食材・献血・・・命支える恩恵実感
   もう戌(いぬ)年になって26日がたってしまった。でも、旧暦では、しあさって29日が元旦。日頃の生活では新暦が基本になっているが、暦で運勢をみたり様々な行事を行ったりする場合、旧暦を基本にすることが多い。だから今日はまだ酉(とり)年だということで、鶏にまつわる思い出を一つ。


 子どもの頃、私は毎年、お正月を山梨県の父の故郷で過ごした。日頃都会で暮らしている父の兄弟たちとその家族が集まり、祖父母を囲む賑(にぎ)やかな正月だ。ある夕方、遊んでいた私は父の一番下の弟である叔父に呼び止められ、一緒に来るようにと言われた。ついていくと、叔父は庭の片隅にある大きな納屋の扉を開けた。鶏が何羽も走り回っている。叔父は1羽を捕まえ、私の目の前で首を絞めた。


 あまりにもびっくりしたため、私は何の反応もできず、呆然(ぼう・ぜん)と突っ立ち、鶏の姿を目に焼きつけた。その後、叔父は鶏を庭で解体し始めた。甲府盆地を見下ろす広い庭。真ん中に用意された台の上でその鶏は鶏肉になっていった。



 泣くでも逃げるでもなく、ただ「見てなさい」という叔父の言葉に従った私。まばたきすらできず、体が固まっていくようなあの時の感覚は今も忘れられない。


 その晩、私たちは鶏肉がいっぱい入った水炊きを囲んだ。しかし、私だけは、その鍋から何一つ自分の皿に運ぶことができなかった。私のただならない様子に叔父を問い詰めた母は、事情を知って叔父を責めた。それから1年以上、私は鶏肉を一切食べられず、その度に母は「まったく、おじちゃまったら……」とブツブツ言っていた。



 あの時、まだ大学を卒業したばかりの若い叔父が、祖父母の孫たちの中で一番年長の私に何を見せようとしたのか改めて尋ねたことはない。でも、鶏が私たちの食卓に上がり、人の命をつなぐ食材となったあの場面を、私は忘れてはならないと思っている。植物、動物……私たちはいただいた命で自分たちの命を維持している。他の命の犠牲の上でなりたっていて、それがどれほど厳粛なことなのか、生活の節目節目で感じていなくてはならないと思う。


 1月18日、生まれて初めて輸血を受けた。年末にひいた風邪は一応抜けたものの、体がひどく衰弱し、歩くのも困難なほどの貧血になっていたのだ。骨転移のため、私の体は血液(ヘモグロビン)を作りづらくなっている上、数日間の咳(せき)との格闘で消耗した結果のようだ。



 適合の確認がされた400ccの血液が、点滴で私の体に送られる。1分間に約30滴。ぽとっぽとっと管に落ちる赤いしずくを眺めながら、なんだか涙が止まらなくなっていた。「一体、どこのどなたが提供してくれた血液だろう……」。以前、私も献血しようとしたが、貧血気味の私の血液は濃度が薄すぎてできなかった。「きっと元気な若い人なんだろうな。その人のようにまた元気になれるかな。忙しい人かもしれないのに、ありがたいな」。温かい心が他の命を支えようとしてくれた重みを感じながら、私は2時間半、5千滴近くの赤いしずくに向かってお礼を言い続けていた。



 輸血のおかげで歩けるようになり、食欲も復活。急に空腹を感じ、なんとラーメンを食べて帰宅すると、「ゆう子さん、今年の1月はつらくて大変だったから、私たちは旧暦で新年を祝いましょう!」と、秘書の輝子さんから携帯メールが届いた。生きることに至難すると、自分の生を支えてくれる周りの恩恵がみえてくる。


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