| 第85回 1月12日 |
![]() 「テリトリー」の大切さ再認識 |
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| 昨年12月21日、群馬県の吉井小学校に講演に行った。豊かな自然に恵まれた小学校で、つやつやしたほっぺの小学生たちが元気いっぱい迎えてくれた。長い廊下では数人がフーフー息を切らせながら雑巾(ぞう・きん)がけ。学校中に「良い気」が流れているのを感じた。 命をテーマに講演を、という依頼で小学校を訪れることが多い。行くたびに、生まれてから日が浅い生命体である子供たちの発するエネルギーから元気をもらえる。新宿の四谷第六小学校、練馬の中村西小学校……児童に勢いのある学校に共通しているのは、学校が子供のテリトリー(縄張り)になっていて、このテリトリーを先生たちが遠巻きに支えていることだ。子どもには前に向かって正しく生きる力がある。それを信じ、支えるのが学校。主役の児童たちは、その中で可能性の芽をどんどん伸ばせるのだ。 さて年末年始、体調不良で私は横になってテレビを見ることが多かった。動物ものが好きな私は、自然の中の動物たちを取材した数種類の番組を見て、生き物にとっての「縄張り」の大切さを改めて考えさせられた。 大小優劣関係なく、それなりの「縄張り」を確保できているか否かが生きる力を支配する。動物は、体が弱れば弱るほど、自分の「縄張り」の確保に力を注ぐ。「いざ出陣!」体制になれるのは、縄張りの中で心身ともに力を蓄え、余裕がある時のみだ。 ところが、たとえばがんになったと知って体も心も弱っている時、現代の日本の医療環境では、「縄張り」を守るより、失(な)くす方向に向かわされる。行ったこともない病院、会ったこともない医師や看護士、触れたこともない検査の機械、聞いたこともない医薬品や治療法の名前。多くの場合は入院し、寝たこともない部屋で暮らす。病気を知ったショックから心と体を守らなくてはならない時に、「縄張り」から離れた所に行かざるを得なくなる。これは弱った動物が生命を守ろうとする場合、本来あり得ないことだと思う。 こんな話を、昭和20年生まれの叔母としていたら、「昔なら往診があったのにね。私が子供の頃は、普通の医院はたいてい午後は休診で先生たちは往診をしていたものよ」と言った。往診道具を抱えた赤ひげ先生のような医師が病人のいる家庭を訪ねる風景は、映画やドラマでしか見られなくなっている。「在宅医療」と言えば、極端に『終末期医療』と結びつき、かつての穏やかな「往診」のイメージからはかけ離れている。数人の小中学生に「往診の意味は?」と聞いてみたが、誰も答えられなかった。 病気で弱った人が、最も安心でき、生きていく力を発揮できる縄張り(自宅)で、その家族の事情もある程度把握した医師から医療のサポートを受け、病気の回復を目指す「往診」。この言葉はもはや死語なのか。往診がなくなると共に、先祖代々のその家の健康法のようなものも伝わらなくなる。おばあちゃんの健康法が同じ遺伝子を持っている孫の健康に最も良い答えを出すかもしれないのに……。 吉井小学校で、「病気は誰がどこで治すものだと思いますか?」と尋ねたら、ほぼ全員が「病院!」「お医者さん!」と答えた。「そうね。お医者様や病院は確かに助けてくれますが、病気を本当に治すのは自分の体を治そうとする自分の力です」という私の言葉を真剣に受け止めてくれた、たくさんのつぶらな瞳……。この日この子たちに出会えてよかったとしみじみ思った。 |