| 第83回 12月22日 |
厳しくても良くなる道信じる![]()
| 今までのルーズリーフの手帳はやめにした。老眼の進行につき、一回り大きいA5判の手帳を、ふらっと出かけたついでに買った。真っ赤なデニムの布でペンも差せる手作りカバーを作り、赤色パワーの元気手帳の出来上がり。 自宅近くのスーパーを、普段着で、何のあてもなく歩く。退院して生かされて以降、私にはそんな時間が至福の時になった。目をつぶる。子どもたちの声、アナウンス……店内の平和な音の波。目を開ける。いつもの売り場の風景。そこに自分がいること、そういう日が続くことが当たり前でないと感じる。ずっと続いてほしいともう一度目をつぶり、祈る。手帳を買ったのも、先月のそんなある日のことだった。 夫の母が私たちの結婚の年に庭に植えたレモンの木に、またいくつかの実がなった。自宅にいられることのありがたさが身にしみる。と同時に、多くの方たちの自宅の安全を脅かすマンションの事件を、心底苦々しく思う。 12月10日。来年2月、千葉県八千代市主催で行われる『うさぎのユック』の朗読コンサートに出演する子どもたちのオーディションを行った。「母ががんで、自分が出演すれば母も頑張れると思ったから」。そう応募の動機を語った少年少女もいた。涙腺が緩まないようこらえる審査員。5匹のうさぎの声を朗読する5人の出演者と補欠の8人、いずれも素晴らしい子どもたちが選ばれた。 19日、中村先生の診察。「元気です!」と言えない体調になると、病院をさぼりたくなり、家を出るのが遅くなった。夜9時になって診察室に。楽観できない数値を前に、何ができるのか、何ならする気になれるのかについて数十分話し合った。私は、生きられる時間を「延ばす」のではなく、病気を離れて生きられる可能性の光に向かいたい。でも、この段階になった患者に最高の答えはない。厳しく苦しい選択。「年明けに、御主人も一緒に話そう」と優しく言ってくれた先生。10時を回っていた。先生はこれから病棟の患者さんを診て回るはず。頭が下がる。 21日、新著『がんでも私は不思議に元気』が書店に並ぶ。「この日、不思議に元気な私でなかったらどうしよう」と何度思ったか。でも、なんとかセーフ。治療にかかわる微妙なことにも踏み込んで、必死で綴(つづ)った1冊。多くの方たちに読んでほしいと願う。群馬県の吉井小学校で講演後、日テレ『ザ・ワイド』の取材を受ける。 22日、『樹原涼子とごきげんバンド』のクリスマスコンサートに出演。私の詞に涼子さんが素敵(すてき)な曲をつけて出来上がった『光る星があったから』をゲストとして歌う。生きられた時間があったから、出会え、新しい曲が生まれた。寿命をまっとうすることと、時間を延ばすことは同義語だと考えればいいのかもしれないと思った。 24日はTBSラジオの下村健一さんの番組、26日はテレビ東京『レディスフォー』に生出演。27日、聖路加チャペルでのチャリティー朗読コンサートは今年3回目。28日、松本の患者会で講演。大掃除。そして新年。すべて不思議に元気でこなしたい。ゆっくり日記は、これが今年最後。新年1月5日に再開。 赤い布表紙の手帳。「八千代の公演、私の補欠も」と、ふとよぎった考えを気合で打ち消し、来年の予定を書き込んだ文字を睨(にら)みつけた。病気がどんなに厳しくなっても良くなる道は必ずある。来年もそれを信じてがんばります。皆様、よいクリスマスと素敵な新年を! |