| 第82回 12月15日 |
情報発信の危険性、認識が必要![]()
| 発信にフィルターがかからない時代になったとしみじみ思う。私がNHKで2カ月の合宿研修を受け、アナウンサーとしてマイクを持つようになったのは、今から30年近くも前。まだカラオケもない時代、マイクを手に持つこと自体が震えてしまうような特別なこと。初めて全国に流れた緊張した私の声は、頭のてっぺんから割れて出たような、素っ頓狂なものだった。 そんな新人時代、自分からは見えない不特定多数の方たちに放送で何かを言うことは、吟味を重ね、本当に発言してもかまわないと確認が取れたものだけであると教え込まれた。必ず自分自身で情報の裏を取り、鵜(う)呑(の)みにせず、先入観を捨て白紙に戻して考える。それは、情報産業に携わる者の必須項目だ。誰かについて何かを言う場合、悪気がなく言ったことでも、題材になった人が不快に感じることは、私たちの日常生活に多々ある。放送や出版などマスコミに流れる場合、言われたり書かれたりした相手に与えるダメージは計り知れず、なかなか取り返しもつかない。だから不特定多数に情報を発信する仕事をする人たちは、そこの部分に繊細な神経を使う訓練をきちんと受けていないとならないのだ。 しかし、インターネットが普及して、誰もがホームページを作ることができ、自分に都合の良い情報を自由に不特定多数の人たちに発信できる時代になった。情報は量的には豊かになったが、むしろ過多、混濁に陥っている面が強いと思う。不特定多数への情報発信という、人を傷つける可能性のある武器を誰でもが使えるのであれば、使う人たち一人一人が情報を発することの危険性を学んでほしい。 私は、このコラムや自分の著書の中で、私以外の人に関して書く場合、締め切り間際で時間的に厳しくても、そしてその内容がその方に対して好意的なものであっても、必ず原稿の訂正が可能な段階で読んでもらい、手直しの必要があるかどうかの確認を取る。また、担当記者や編集者という第三者の目を通しチェックしてもらい、私自身何度も読み直し、手を入れることで、不特定多数の方に読んでもらってもさしつかえないものに仕上げる。 これは書くことを仕事にしている人間として当然のことで、私が気ままにホームページに第三者のフィルターなしで書いている『たびたびトーク』と大きく違うところだ。だから『たびたびトーク』には、差しさわりのない、たわいのないことしか書かないようにしている。 ホームページを通しての患者同士のネットが多数ある。こういう中で非難し合うやりとりが繰り広げられ、「傷ついた」という話なども耳にする。顔も見たこともない者同士が、生きるか死ぬかの病気にかかわる情報交換をネットという場だけでしているわけだから、十分起こりうること。ネットに情報を流す時は「自分は武器を使っている」という自覚と、「発信をあえてしない大切さ」を知っていることが必要。情報発信は「取扱注意!」だということ、肝に銘じたい。 さて、原稿の段階で目を通す権利を自ら放棄した我が夫、先週の『ゆっくり日記』を新聞のコラムになってから読んだ。そして、「俺(おれ)、走っている時、一度もゆう子のこと考えなかったよ」と言った。夫の中に潜在しているはずの妻への愛を読み取るのにも、裏を取る必要あり、かも。私は、ちょっとさみしかった。 |