第80回 12月 1日

「完治のゴール」目指し生きる

11月20日、東京国際女子マラソン、高橋尚子選手の活躍ぶりを、テレビの前で正座するような気持ちで見ていた。『がんと一緒にゆっくりと』の続編、『がんでも私は不思議に元気』の最終ゲラの手直しをすべて終え、今月21日の出版日を待つばかりとなり、数カ月も手つかずになっていた部屋の片づけにようやく乗り出した矢先、マラソンは始まってしまった。夫は朝起きるなり、「今日はQちゃんが走るのを見ながら片づけるんでしょ」と牽制(けん・せい)球を投げ、「そうよ、今日こそきれいになるからね」と答えたわけだが、「ながら族」で見るようなレースではなかった。


 がんになって5年も過ごしている中、「まるでマラソンを続けているようなもの」と思ったことが何度もある。そのたびに「ふぅ〜苦しい。でも、ここでくじけては」と自分を叱咤(しっ・た)激励してきた。薬が効かなくなったとわかった時、息苦しさや痛みがある時、「もうダメかもしれない」という、どうしようもなく萎(な)える気持ちを打ち消させたのは、きっとどこかにあるはずの、「がんからの解放」というゴールの存在のイメージだけだったと思う。ある意味での「完治」というゴール、その存在の可能性が仮に0・001%であろうが信じられる自分が、落ち込んだ自分を奮い立たせてきたのだ。


 「あなたのようになった人でも5年も生きた人がいますよ」「治ることはないですが、最大限のQOL(生活の質)を満たしてうまく折り合っていければいいんですよ」……こういう、励ますつもりではあるが「治らない」ということが前提になっている言葉。以前の私は、違和感を覚えながらも「そうですね」と答えたものだが今は違う。これは、ゴールのないマラソンレースに出て最後までにこやかに走れ、と言われているのと同じだと気づいたのだ。


 私は、毎日楽しく幸せに生きて、がんとさよならする日を必ず迎えられるはず、と自分の脳に信じさせようと日々努力している。こういう言葉はすべて、その邪魔になる。だから、こういうことを言われそうになると、相手の言葉にかぶせるように大きな声で「私、完治しますから」「108歳まで生きるつもりでいますんで」と言って、それ以上しゃべらせないようにしてしまう。相手のとまどった顔なんて無視。自分の脳にその言葉を聞かせないため、聞こえてくる前に阻止しようとするのだ。


 私も、私と同じような状況の仲間たちも、日々生きることに向かっている。天に向かっていった仲間たちも、みんな「治ろう」と思って治療してきた。それが、ただ「延ばす」だけの治療だったら誰が受けただろう。ゴールを目指すからこそ、厳しい「がんマラソン」も続けられる。ゴールできる時期はいつでもかまわない。


 多くの人たちがQちゃんの復帰、あの決意のスパートに感動をもらっただろう。でも、あのレースで最後にゴールした選手からは、もっと力をもらえるのかもしれないと、Qちゃんのインタビューが中継されている間、次々ゴールするテレビの映像には映らない選手たちの姿に思いをはせた。


 それにしても、私が部屋を片づけるのを待っている夫は、ゴールなきマラソンを強いられているようなもの。反省……。来週こそ、彼にもゴールの存在を見せてあげよう!


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