第79回 11月17日

役立つのは将来に希望持つ心

 11月5日、『ゆっくり日記』を毎週書き始めてちょうど2年たったこの日、私は『命の記念日』と題した講演を行うため、愛知県豊橋市に向かった。『うさぎのユック』を私が朗読、地元・桜丘高校の音楽部の生徒たちの演奏とコーラスとともに朗読コンサートも、という新しい企画だ。この一日のために、地元の高校生たちとともに、多くの方たちに喜んでもらえた舞台を創つくれ、多くの新しい素敵すてきな出会いがあった。

 一日一日は、生きて輝けるための命の記念日であり、私たちは、未知なる冒険と感動に満ちた日々を常に与えられているのだとしみじみ思う。2年前、連載を始めたばかりの私は、この日の私を想像もしていなかった。でも、「2年後、私は元気でいられるのかしら……」と不安を頭によぎらせた私はいたと思う。その不安や心配が何かの役に立ったかと考えてみると、答えは「ノー」。役に立ったのは不安や心配ではなく、「これから毎週目標ができて嬉うれしい」とか「よし、ずっとコラムを何年も書き続けるぞ!」といった、今を楽しんだり将来に希望を持ったりした心だったと思う。不安や心配の予測が人生で役に立つことは、意外に少ないのかもしれない。


 さて、半年も前のことだが、私は事務所として借りていたマンションで、浄水器のホースが抜けたことに気づかず大変な水漏れ事故を起こしてしまった。下の階の方に多大なご迷惑をおかけし、蛇口を閉め忘れて出かけた自分の迂闊うかつさを悔いるばかりだったが、なんといっても助けられたのは、入居時に自動的に入った火災保険がこの事故にも適用されたことだった。保険とは、私のような失敗をした人間を、何の失敗もせずに保険料を納めていた他の方たちが助けてくれるということなのだと、改めて制度の根底は相互扶助の精神なのだと思い至ったわけである。


 今日という一日を幸せに笑って過ごせる人もいる。今日という一日がつらく厳しい人もいる。幸せでゆとりがある人たちが今つらい人をサポートする……。一日を単位に考えてみると、「病気になった時、あなたが困るから入りましょう」という保険も、「年をとった時、支給してもらえるから納めましょう」という年金も、本当は考え方が違うのではないかと、自分が助けられてみて気がついた。

 予測される将来の心配材料の中で自分が得をするかどうかではなく、今日の自分が今日の誰かの役に立つためだと解釈できれば、社会全体の優しさを支える制度ということになるのではないだろうか。


 子どもと動物には、今しかない。だから彼らの澄んだ瞳に、私たち大人は心が洗われるような気持ちになるのだと思う。2年前、年取ったおじいさんとともに、よく散歩をしていた柴犬しばいぬに出会った。まだ子犬で思い切り走りたい盛りなのに、ゆっくりゆっくり、時々はおじいさんの顔を見上げ、その歩調に合わせて歩いていた。

 長いこと姿を見ないなと思っていたら、つい最近、あのおじいさんのお孫さんにみえる若い女性とともに散歩する、一段と大きくなった彼の姿を見た。前よりもずっと早いスピードで、喜々として公園脇の道を通りすぎる。その時の御主人にいつも伴走し、その一日を精いっぱい楽しみ、楽しませ、役に立とうとして生きているのだろう。

 しっぽをピンと立てた彼の後ろ姿に、私はしばし、みとれていた。


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