| 第77回 11月 3日 |
「告知」より「知った」が正確 ![]()
| 10月25日。「5年達成おめでとう!」という件名のメールが、同じ病気の知人から届いた。すっかり忘れていたが、5年前のこの日、私は自らの乳がんを知ったのだ。だから、『5年生存率達成』ということになったわけで、私は知人に電話し、互いの元気を喜びあったのだが、がんについて生存期間を話題にすることは、実はあまり意味がないことだと私は思っている。 がんは健康な人たちも日々作っている細胞で、どこからが病気でどこからが健康か、本当は線が引きづらいものだと思う。私は9年前に米粒大のしこりを見つけ、詳しくマンモグラフィーなどの検査も受けた上で、「なんでもないもの」と言われた。その4年後、乳がん2期から3期という診断を受けたわけだが、9年前に正確な診断を受けていれば、私は9年生存を達成した乳がん患者ということになる。でも、9年前に診断されて小さいからとすぐ手術をしても、がんの種類によっては数年後再発していたかもしれない。様々な可能性を探るとなんともいえない。 よく「見落とされた」と医療側を責めるが、本当にその時点で「がんです」と診断された方が長い目で見てその人にとってよかったかどうか考えると、いちがいには言えないという問題がある。昨今はPET(陽電子放出断層撮影)という検査機器で全身くまなくがんの存在を調べることもできる。だが、それによって本当に微細な、もしかしたらその人の免疫力で自然に消えたかもしれないものまで見つけて、人生のその時点から「がん」と向かい合うことになることが、総合的に見てその人の長く幸せな命につながることなのかどうか……。と、そこまで深く考えると、私はわからないと思うのだ。 私は、がんに対してだけ「告知」とか「宣告」という言葉を使うことはおかしい、がんを「知った」「知らされた」にしてほしい、と言い続けてきた。緊張感を与える恐ろしい響きの言葉によって、怖い病気だという感覚を植えつけられ、治療に向かう患者の心に良くない、というのが大きな理由だが、もう一つ、その表現の方が科学的に正しい、ということもある。 がんの「発症」について言うのであれば、10年以上も遡さかのぼった過去に対する想像の域を脱しないわけで、いつからがん患者になったかは、がんが健康を脅かす状態になる可能性を、ある時期に「知った」と表現するのが最も正確だ。「告知」とか「宣告」とか「罹患りかん」とかいう嫌な響きの言葉から、悲しくつらい人生が始まるような気になるのは、とにかくおかしいのだ。 5年前のこの日、私は「やはり悪いものでした」という検査結果を聴き、自分が1分前とは別の人間になったと感じ、以降長い間、悲劇の泥沼であえぐ思いの日々を過ごした。今振り返り、それはとても虚むなしく意味のないことだったし、そういう思いが私の判断力を鈍らせ、実際、体の状況をも悪くしていったと思うのだ。だからこそ私は、がんという病気に曖昧あいまいで分からない面のあることを強調し、言葉の響きの大切さを訴える。 「5年は、めでたくもあり、意味なくもありだなあ」と、もの思いにふけっていたら、ニャンコの鳴き声が「ニャオール」に聴こえた。言葉の響きは大切。ぐうたら長生きニャンコ、小春と小夏。その声の響きを、「治〜る!」と聴くようにすれば、彼女たちは幸せを呼ぶ、おまじないニャンコに昇進できそう! |