第75回 10月20日

秋の自然と「共鳴」するはずが・・・

 子どもの頃は、春が一番好きだった。3月の誕生日に年が一つ増え、少し大人になった気分で周りを見回すと、なんでもやれそうで心が弾んだもの。チューリップが、どの花より可愛くきれいだと思っていた。

 青春時代は、夏が好きだった。常に太陽に顔を向ける向日葵ひまわりの花に魅かれた。強く燃焼することが生きることだと思っていた。

 今は秋が好き。花はコスモス。優しく柔らかく、どの風景にも穏やかに溶け込んでいく。はかなく見えたコスモスにこそ真の強さを見る。それを感じられる年齢まで生きてこられたことを幸せに思う。

 春は花粉症のため、夏はがんになってホルモンの薬などの使用で体温調節が苦手になり暑さに弱くなったため、好きでなくなった。……という話になるとつまらないが、自然に生きるすべての命は、その時々の命の過程において、最も共鳴しやすい他の命と支え合っていくものなのだ、と考えると奥が深い。

 さて、9月某日。私は久しぶりに電車でがん関連の本を読みながら帰宅した。以前のように奇跡を求め、半狂乱で読みあさるのではなく、冷静に検証の目を持ちながら、最近書かれた読み物からもと、情報収集を再開したのだ。がんと共生するにあたって治療の分岐点に立っている今の私は、もう一度、自分が持っているがん対策に関する情報のバランスを整える必要があると考えたからだった。

 免疫力増強の必要性から論理を展開していたその本の後半で、それをサポートするのに力を発揮するものの一つに松の葉エキスが挙げられていた。ビワの葉やショウガなどは自然療法で盛んに取り上げられるが、松の葉というのは知らなかった。「ふーん、松の葉ねえ……」と思いながら自宅に着くと、玄関先に、いつも「ただいま!」と挨拶あいさつをかわしている我が家の松の木。ふと、「この松の木さんは、私を助けてくれるかもしれない」と考え、一本細い葉を抜かせてもらった。瞬間、「このタイミングで目に入った、我が家の松の木。そう、これが今の私の体に一番共鳴し、私の治癒力を促してくれるものに違いない!」と、私の思考回路にスイッチが入った。葉を持ったままお風呂に入った私は、なんとなくその葉を洗い、口にくわえた。そして湯船につかり、「美味しくないなあ」と思いながら、エキスを吸い取るべく、チューチューと吸い続けた。

 あくる日から1週間以上、私は悲惨な日々を過ごすことになった。口腔こうこう内の上あごの皮膚が、穴が開くほどにただれた。その荒れが治まると、口じゅうの神経が痛くなり、奥歯でものを噛むことができなくなった。噛めていないものを流しこむ日を重ねたため、胃の具合も悪くなった。

 「松の葉を生のまま噛め、って書いてあったの?」と尋ねる夫。答えは「ノー」。加工した高価な商品より自然なままの方が共鳴すると思ってしまったのだ。「松ヤニを考えたって、刺激が強いに決まってるじゃない」と言われ、なるほど。「検証の目」だとか、「情報のバランス」だとか、もっともらしいことを今後言えた義理ではないと、うなだれる思いだった。

 10月16日。フルートの発表会に初めて出演。途中怪しくなりながらも、『小さい秋みつけた』を吹ききった。音を鳴らすこともできなかった習い始めの一年半前のことを思うと、うれしい。

 大好きな秋。自然の中の命。感じて、共鳴して、吹いていきたい。吸うのは……もうやめよう。


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