第73回  9月29日

集中できる何かが生命支える

 1年前の秋、メールが届いた。乳がんの手術をして再発転移して以降、民間自然療法にかけ、全身骨転移、呼吸困難となったという歩あゆみさんからだった。私とかなり重なる経験をした歩さんは、『がんと一緒にゆっくりと』を読んで聖路加国際病院に行く決心をし、入院したとのこと。私は、通院治療の日、点滴棒を押しながら病室を訪ねた。

 自宅近くの病院で手術をした歩さんは、3年後に骨転移となってから民間療法に向かい究極の症状となった。私が会った時は、最も症状がつらく、起き上がって話をするのもやっとだったが、絵を描くことが趣味ということで、入院中に描いたという何枚かの色鉛筆画を見せてくれた。優しくて几帳面きちょうめんな歩さんの性格をそのまま表したような、温かい色合いの繊細で明るい絵。私は見た瞬間、「歩さんは、きっと大丈夫」と感じた。厳しい症状の中にいても、何かに集中できる気力がある限り、そこから抜け出られるものだと思ったからだ。

 私自身、首の骨とあばら骨回りが悲鳴をあげたいほど痛む時に、産業カウンセラー試験の受験勉強をしていた。その二次面接実技試験は入院する直前、呼吸困難と首の激痛の中で受けた。入院し最もつらい治療が続く中でも、将来何かを書くための材料にと、生きるの死ぬのと言いながら、みみずの這はったような字で日記を書き続けた。病気や治療とは外れたところに集中を持っていけたことが、つらさを緩和し、結果として生命を支えていたと思う。

 がんという重篤な病名を持って以降、頭の中の大部分を『がん』の二文字に支配される人が多い。しかし、つらい症状を最も楽にさせるのは、集中を病気や治療からそらすことだと私は思う。私は退院後も、執筆に、朗読に、と周りから声をかけてもらえたことで、嫌でもがん以外のことに集中でき、元気を続けてこられたように感じている。

 そして、この夏の暑さを乗り切ることができたのも、年内に新潮社から出版する本の原稿を、夏休み返上で待ってくれた担当編集者がいてくれたから。がん患者を元気にさせるには体が悪くならない、ぎりぎり(もう体は悪くなっているわけで、それが悪くならないぎりぎり……というこの線が難しいが)のストレスを与えることではないか、と思うのだ。ストレスが、結果として命のロープになる。

 歩さんの絵が大好きな私は、このコラムがいずれ本になる時の挿絵をぜひ彼女に描いてほしいと思い、頼んだ。今の歩さんは、腰骨とあばら骨に骨転移の症状がひどく、横になっているのがほとんどだが、コラムを読みながら気が向くと絵を描いてくれている。絵筆を持った時だけは集中できて、2時間近く起き上がっていられるという。

 今年の夏、歩さんから電話があった。「ゆう子さん、写生しようと買ってきた百合の花がすぐしおれてしまったの。でもね、体にいいというジュースを混ぜたお水にさして、『絵を描かせてほしいの。だから元気でいてね』と声をかけたら、すっかり生き返って、私が絵を描きあげるまで10日以上も、つぼみがどんどん開くくらい、元気だったのよ。生命力ってほんとすごいのね」という明るい声。歩さんにも百合の花にも適度なストレスが命のロープになった模様。私には、7歳の娘さんに出版された本を見せながら、元気に動き回っている歩さんの将来の姿が目に浮かんだ。


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