第71回  9月15日

診断も自由に「試着」できたら

 紙面が選挙一色となり『ゆっくり日記』は2週間お休み。私はその間、山形県から都内まで、講演で飛び歩いていた。以前は人前に出るとなると、まず「何を着ようか」と考え、かなりの金額を着るものに使っていた。しかし、生きるか死ぬかという状態になってからは、命の存続にかかわる出費が最優先となり、会場が違えばいいと、しょっちゅう同じ服を着る始末。高級なブティックに出入りすることはほとんどなくなった。
 このめったに行かなくなったブティックでの買い物を、私はよく例え話に使う。

 1年ほど前、患者会での雑談で、「だいたいセカンドオピニオンをしなさいなんて無理ですよねえ。それってほら、夫に『私、これからちょっと浮気してくるけれど、やっぱりあなたがいいと確認できたら戻ってくるので今までと変わらず妻として愛してね』って言うようなものじゃないですか」と言ったところ、年上のお仲間たちに「絵門さん、例えがあんまり良くないわ」と言われ、大笑いしたことがあった。以来「浮気」は「ブティックでの買い物」に置き換わったわけだが、10日の朝日カルチャーセンター立川での講演でも、セカンドオピニオンを実際に受ける難しさについて話した。

 値段のはるドレスを買う時、一軒のブティックですぐに決める人は少ないだろう。いくつもの店で試着し「値段はここ、デザインならあっち」とあれこれ天秤にかけて購入するはずだ。その場合、あるブティックで試着した人が、その店のオーナーに他の店をのぞきに行く理由を説明し、頭を下げ、次の店への紹介状をもらい、採寸された自分のサイズや似合う色などの資料をもらわなくてはならなくなったらどうだろう。楽しいはずの買い物がどれほど気が重いものになるか。

 最近、医療現場はセカンドオピニオンに協力的で、データの提供もするし紹介状も書く、と言われる。しかし、そうはいっても……、というのが患者の本音。他の医師の話を聞いてきて、そ知らぬ顔で「やっぱり今の主治医が一番」と納得して戻ってくる。そういうことを、ドレスの買い物のように自由にしたいのだ。CD―ROMにレントゲンなどの映像、血液検査結果、治療の履歴、処方された薬、など素人にも読めるようになったすべての情報が、頼まなくても受付窓口で渡されるようになればいいと思う。どうしてそうならないのか、私は不思議で仕方がない。

 医療を「幸せに生きられる命」という商品を売っているお店と考えてみよう。患者という客は、無料で施されているわけではなく、大変な、おそらくどんなドレスよりも高価な買い物を命をかけてしにくるのだ。その時に、ウインドーショッピングや試着のし歩きをすることにも窮屈な体制であっていいのだろうか。
 さんざん悩んだ末「〇〇先生にも診てもらいたいと……」と切り出した患者の目の前で、紹介状をなぐり書きし、その患者の入院にかかわる資料をビリビリと破ってごみ箱に捨てた医師がいたという。ごく最近のこととしてこの話を聞き、私は渡されたデータと紹介状を手に震えただろうその患者さんのことを思い、涙が出た。

 患者のデータは患者に。そして自由にセカンドオピニオンを。そうなれば患者も自立する。これは、医師と患者の人間関係作りにとってもプラスにこそなれ、決してマイナスにはならないと思う。これを実行するにあたって問題点があるなら、ぜひ教えてほしい。


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