第70回  8月25日

希望の星に出会えた信州の旅

 8月18日。久しぶりに山道らしい山道を登っていた。信州・栂池自然園。ゴンドラで上まで行ける簡単な散策と思い、軽装で出かけたが、途中からは、以前夫と行った3千メートル近くある山の中腹あたりを思わせる傾斜になってきた。ここ数年、私を残して自分だけ行くわけにもいかず、大好きな山登りもできなかった夫。荷物を一手に引き受け、水を得た魚のようにうれしそうに歩く様子に、私は弱音も吐けず、雨模様になってきた空を見上げた。

 目の前に赤いリュック。毛糸編みの可愛いお人形が揺れている。しょっているのは少女かと思いきや、白髪頭に赤い帽子のおばあちゃま。ステッキを上手に使い、しっかりした足取りで登る。その前を娘さん。先頭は、歌を歌いながら登るおじいちゃま。すれ違う人たちは、「おばあちゃん、何歳? おじいちゃんは?」と尋ね、おばあちゃんが82歳、おじいちゃんは85歳と聞いて目を見張る。「私は、みんなの希望の星になるんだ!」と張りのある声で言った笑顔のおばあちゃまに、耳が遠いおじいちゃまは、「なんだか人の声がするなあ」と言いながら後ろを振り返る。

 大谷正彦さんは、大正9年生まれ。太平洋戦争では戦闘機「隼(はやぶさ)」に乗っていたが奇跡の生還。復員後、三つ年下の愛子さんと結婚。「25歳で戻ってきた時はガリガリにやせていてねえ」と愛子さん。「そこで戻ってきてくれなければ私と妹はこの世にはいなかったんですよ」と娘の恵美子さん。山歩きは愛子さんに誘われて正彦さんも始めるようになったとか。千葉県館山市に住むようになってから、正彦さんは自転車に乗って近くの浜辺に魚釣りに行くのが日課となった。3年前から大谷さんご夫婦の年賀状には夏の山登り、山頂での2ショットの写真が。孫6人ひ孫が2人、一つの命が限りない数の命につながる。

 8月6日。私の祖母、ふぅちゃんは93歳になった。命の持ち主が、毎日を一生懸命生き抜いてくれたから、今の私たちは命がある。その命を大切に、周りも自分も幸せにできるよう燃焼させ次の命につなげていくことが私たちの務め。その反対はあり得ない。

 祖母の誕生日が原爆の日にならなければよかったのにと、この日が来るたびに私は思う。この日が原爆の日になったために、今、この世で輝いているはずの命がどれほど無いものとなったのだろう。子々孫々までたどった気が遠くなるような命の数を思うと悲しさに言葉もない。6日に続いて8月9日、世界中でこれほど悲しく恐ろしい日を経験した国は日本だけ。隣国と論議になっている切も限りもない加害者被害者論議を超えて、私たちは、人類にとってこのような愚かな行為があってはならないことを世界中に訴えていく義務がある。一つの命が続く重さ、一つの命が失われる重さを感じながら。

 栂池に行ったあくる19日、八方尾根にも登った。標高2千メートルのところで大谷さんご一行と再会。2人は、2日連続の山歩きに疲れも見せず、八方池近くのケルンの前で年賀状用の写真を無事撮影。「かわい子ちゃんも一緒に撮ろう!」というおじいちゃまの声に周りを見回した私。自分にかけられた声とわかると大はしゃぎ。「わしと握手すればこれから60年は元気に生きられるから」と言われ、おじいちゃまの温かい手と手をつなぎながら、60プラス48は……と計算。目標は、108歳のかわい子ちゃん! 去年よりずっと元気に歩け、希望の星に出会えた信州の旅だった。


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