第64回  5月26日

命軽んじる事件 震えて 涙出る


 5月19日。「PHP」に毎月連載中の「ありがとう」をテーマにしたエッセーをやっと書き上げ、昼食に天ぷらそばを作ろうと、かき揚げを揚げていた。「書き上げて、かき揚げ! なあんちゃって」。夫が聞いたら確実にのけぞるオバサンジョーク、そう思ったらおかしくなって独り笑い。さらに、笑いながら天ぷらを揚げる自分の姿はかなり不気味だろうと考えたら、もう笑いが止まらない。この「箸(はし)が転んでもおかしい」心地よい女学生気分を、テレビのアナウンサーの声が止めた。また、親が子どもを殺したというニュース。どうして自分の子どもを傷つけられるのか。どうして、そんなにまで大人の心がすさんでいるのか。そうされた子どもの魂は……。

 結婚して子どもを授かりたかった。高年齢のためあせり、不妊の専門医に行った。ホルモン剤を処方された。副作用がひどかった。訴えると「みんなそれくらい我慢してるんだ。あんた子ども欲しいんだろ!」と医師に怒鳴られた。不妊にかかわって何かすることを一切やめた。
 その1年半後、自然に赤ちゃんを授かった。だが、すぐに切迫流産で入院。流産を止めるためと言われ、毎日ホルモン注射を受けた。しかし4日後に流産。乳がんへのリスクの説明を何もされず随所で使われたホルモン剤。それがホルモン感受性がある私の乳がんの引き金になった。それを知ったのはこの3年後、聖路加に入院した時だった。

 命を授かることに焦った自分を恥じた。乳がんは、強欲に新しい命を望んだ私への天罰だと思った。過去を振り返り、材料を集めては自分を責める作業を始めた。でもやめた。がんになる素晴らしい人はたくさんいるし、がんにならない素晴らしくもない人もたくさんいるのだから。
 あれから3年。今の私は開き直りもいいところ。「がんはまじめで優しくて心清き人たちがなる病気!」と気勢をあげる。なんと極端なことか。でも、極端をかけめぐり、人知を超える命の尊厳に気がついた。だから、命が軽んじられる話には体が反応する。親が子どもを殺す話など、聞いた瞬間、震えて涙が出る。

 執筆の合間、乳がん仲間と電話した。今、彼女は痛くて苦しくて動けない。私もひどい状態の時、そうだった。でも、ダメかと思ったが抜け出せ、今は痛くも苦しくもなく動けている。何度もそれを言い、良くなる可能性を信じて欲しいと声を大きくした。そして尋ねた。「自分で自分を責めてない?」と。「うん」と答えた彼女に「やめよう」と私。「つらいのを我慢して、周りに目いっぱい気を使って、どんなにがんばってるか、一番知っているのは自分でしょ。その誰よりわかってあげられる自分が自分を責めてどうするの? 『よくがんばってるね、ありがとう』って自分に声かけてあげよう」。こう言いながら、私は、これから新しく彼女が使う抗がん剤が効いてくれることを、ひたすら祈っていた。

 危険な状態の中、必死で自分の命を守ろうとがんばっている人たちがいる。出会いたい新しい命に出会えない人たちがいる。つらさを振り払って「ありがとう」という気持ちを持とうと、みんな必死で生きている。それなのに命を粗末にすることがあっていいはずがない。命を守ることは人の本能。その本能に逆らうことをする人が今増えているのなら、そこまで何がその人を追い詰めるのか、私たちの問題として社会的背景を探らなくてはならないと思う。


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