第63回  5月19日

今を支える思春期のハードル

 5月12日。21日夜の「うさぎのユック」朗読コンサートの会場となる東京国際フォーラムの相田みつを美術館に打ち合わせに行った。このところ小中学生の来館者が急増。相田さんの生涯を描いたドラマや、相田さんの作品が毎回登場した「3年B組金八先生」の影響も大きいという。
 金八先生については、以前、このコラムで、覚せい剤中毒の恐ろしさを伝えるシーンの強烈さに、少年を見世物みせものにしてしまうことにならないかというようなことを書いたが、連休中、録画しておいた最終回を見て、このドラマが長年にわたり、その時々の思春期の子どもが抱える問題に真剣に取り組んできていることに改めて感服した。何度も涙を流して見終わって、難題に向き合った生徒たちのその後に、たくましさという手ごたえを感じた。

 思春期に向き合った問題のハードルの高さは、その人が生涯に出会う試練に踏みこたえる力を決める。自分自身の問題でも友達の問題でも、どれほど真剣に取り組んだかが、その後何十年と続く人生の中で力を発揮すると思う。だから、乗り越えることができるのなら、思春期に心身ともに負荷が高い問題に出会った方がいい(もっとも覚せい剤などはあってはならないことだが)。その時乗り越えられるよう支えるのは、周りの大人から教えられることというよりも、周りの大人が見せる生き様だと私は思う。

 私は跡見学園という女子校で中学、高校時代を過ごした。教科の内容は忘れても、それぞれの先生が見せてくれた生き方、姿、表情、そしてその先生だからこその言葉は、卒業後何十年たっても記憶に刻まれ、何か問題にぶつかるたびに支えてくれた。おっとりした校風ではあったが、厳しいことで定評のバスケット部に所属し、大学を受験した。つらくても歯を食いしばって頑張るという負荷があり、先生方が生き様を見せてくれた。そして、今思えば大したことではなくても、あの頃の感受性だからこそ、大いに悩み、泣いたり笑ったり……。思春期のハードルにそれなりの高さがあったことが、この病気を抱えて以降も、前に向かって生きている今の私を支えてくれたと実感している。

 「負け組」「勝ち組」という言葉は大嫌いだ。にもかかわらず、寝たり起きたりがやっとの体で退院したばかりの頃、質も長さも納得いかない自分の命の終わりを思い、「負け組」になったと考える自分がいた。でも、「ここで負けたらおしまい!」と思春期の頃、自分によくかけたかけ声がよみがえり、原稿を書くことにしがみつけた。自分が立ち上がる。すると、周りが力をくれ始める。悪循環の歯車が止まる。少し好転の方に動き出す。ちょっとわいた元気が次の元気を呼ぶ。「勝ち組」「負け組」なんて紙一重。嫌うほどの言葉でもないと思うようになった。

 あの時書いた「がんと一緒にゆっくりと」の出版から、今日でちょうど2年。2年前の5月19日、いっぺんに行う記者会見ではきちんと伝わらないからと、私は、新潮社の三つの会議室を一日中渡り歩き、1社ずつマスコミの取材に応じた。あの時、「全身がん」「お気の毒に」と思われている、抗がん剤の副作用で顔がむくんでいて嫌だ、と必死に笑顔を作った私は今、けっこう自然な笑顔。といっても、試練は続く。それは、私が今、思春期真っただ中にいる証拠。「一生勉強、一生青春」相田みつをさんの書を見て、さらに確信の笑顔!


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