| 第61回 4月28日 |
昨日より今日 幸せは「相対」![]()
| 4月23日。さわやかな晴天。花粉症も楽になり、洗濯物と布団を思い切り外に干した。やっと深呼吸して春が味わえる。花粉でつらかった分しみじみ幸せだ。人の幸せ感というものは、すべて「相対」だとあらためて思う。 3年前、呼吸困難のため胸水を抜いていた頃、入院直前に自然療法に傾倒する知人から「胸に管を挿して抜いたら、二度と自分で回復できない体になる」と強く言われたこともあって、私は亡くなった母のように「水を抜いても抜いてもたまって、結局ダメになっていく」という思い込みと恐怖にもがいていた。だから、施術を始めて、よりつらい症状になったりすると、失礼にも先生たちに「寝た子を起こしたんじゃないの!」とわめく……パニックだった。そんな真っ暗闇の中にいた私を支えたのは「相対」的な幸せ感。つまり「あ、昨日よりちょっと体が楽!」、そう思えたある朝がくれたエネルギーだった。絶対というモノサシで見れば絶望的。でも、相対で見て少しでもましとなると、単純にうれしい。あの時私に幸せに通じる光を感じさせたのは、昨日と比べ て今日、さっきと比べて今……そういう短いスパンでの改善の喜びだった。 そして、その一瞬の喜びの積み重ねが結果を出し、今、私は「あそこまでひどくなっても、回復することがあるんだ」と不思議な思いで自分を見つめている。あの時、聖路加で救ってもらえなかったら、今の私はこの世にいないはず。恐怖の中、ぎりぎりで洗脳を振り払えたこと、相対の改善を無邪気に喜べたことが幸運を呼んだと思う。 さて、3年前の私にとって、春を味わいながら洗濯物を元気に干している今の私など想像もできないほど幸せな姿。であれば今の私は、3年前の自分より100倍の感謝と喜びの中にいていいはずだが、そうはならず「花粉は良くなったけど首は重い。何とかならないかなあ」と欲は限りない。入院中、謙虚な心で得た幸せ感の方が勝るのだ。あの究極の中で小さな光を見いだしていた時の私は、生きてきた中で最も心の奥がイキイキしていたようにも感じる。人の幸せ感は自分の中の相対、だから人は困難に対し「これでもか、これでもか」とたくましく向かえるのではないかと思う。 洗濯物を干し終え、午後はフルートのレッスンに。最初の数カ月、音が鳴る日なんて来ないかと思っていたが、今は何の曲かわかるように音をつづれるようにはなった。これも、「前よりまし」と相対の喜びを積み重ねてきたから。初級のテキストは卒業し、この日から2冊目。その1ページ目の「ちいさい秋みつけた」を私は半年後の発表会で吹くと先生に宣言した。 夕方、夫と散歩。川べりでフルートを取り出すと、夫は心なしか距離を置いて腰を下ろした。土手には犬と散歩する人たち。広場では少年がサッカー。若葉の季節に「ちいさい秋みつけた」は少し変。でもひとしきり吹いた後、「誰も私のフルート、気に留めないね。選曲のせいかな」と言うと、「みんな、気に留めたら悪いと思ってるんじゃない?」と夫。反応してくれたのは、頬(ほお)を赤く染めながら聞いてくれた沈む夕日だけ……。小さい秋を見つける頃、見事にこの曲を演奏し、今日を思い出してニヤニヤすることを目指そう! と思った。 来週はこどもの日で「ゆっくり日記」はお休み。皆さん、去年と比べてすてきな良い連休にいたしましょう。 |