第59回  4月14日

患者側の悔し涙ぬぐう姿勢を

 4月1日。大学病院で手術後に相次いで患者が死亡した問題で、病院が医師の未熟が招いた事故であることを認めたことが報じられた。テレビには、その病院の高層ビルが映っていた。
 この高層ビルから母が退院したのは12年前。それより5年前に見つかった子宮体がんが再々発し、提示された手術と抗がん剤治療を断ってのことだった。当時は、今の私のように適量の抗がん剤を使い、QOL(クオリティー・オブ・ライフ)を保っての通院治療で、がんと共生という方法はなかった。治療を受けるなら入院し、体に厳しくても手術、抗がん剤。それをしないなら退院。二者択一だった。

 母の場合は、肺の裏への転移のために受けた2度目の手術と抗がん剤治療からようやく立ち直り、元気に普通の生活を取り戻した矢先の、首のリンパへの再々発。これ以上、体に負担のかかる治療はすべきではないと考えたのだった。
 それから5カ月、母は民間療法やサプリメントを頼りに、元気な日々を過ごした。ところが、経過観察のため診察に行ったある日、この大学病院の主治医に「今日は元気になる注射をしましょう」と言われた。本人が栄養剤と思って打たれたその注射以降、容体が急変。2カ月後に亡くなった。後日、母の症状を、知り合いの医師に話すと、打たれた可能性のある抗がん剤の名をあげた。「使わない」と交わした約束が破られたのか。どちらにしても、新たに使う薬に対するインフォームド・コンセントは皆無だった。

 「元気でいたのに、あの注射のせいで」という無念。だが、何をしても母が戻ってくるわけではない。著書「母への詫(わ)び状」には、病院名を明かさず把握した事実のみをつづった。

 何かを訴えるには、大変なエネルギーがいる。裁判になれば、訴えた側に証明責任が生じる。でも、一方は医療のプロで専属の弁護士もいる。一方は素人で「どうすればいいの?」から始まる。大人と赤ん坊の戦いだ。だから、得られることと、失うことを天秤(てん・びん)にかけ、何もせず泣き寝入りすることも多い。著書「がんと一緒にゆっくりと」でも、初稿では固有名詞だったものを、いくつもあだ名に書き換え、特定できないようにした。名誉棄損で訴えられた場合、会話の録音などの証拠がない中、裁判で勝つのは難しく、自分の生きている時間を、もっと別の役に立つことに注ぎたいと思ったのだ。

 だから私は、被害者の活動に触れるたび敬服する。後に続く人たちが同じつらい目に遭わないようにという動機があってこそで、自分たちの怒りや憎しみのためだけでは決してできないはずだと思うからだ。
 十数年も前の母の例と、今回のことを「やっぱりこの病院は」と短絡的に結びつけるつもりはない。この病院にも身を粉にして患者のために働いている医師もたくさんいるだろう。ただ、長い目で見て患者のためになる前向きな解決を望みたい。非がどこにあるか、特定機能病院から外す外さないの議論に終始せず、そこに至る長年の体質と背景にまで目を向け、「命」という切羽詰まった買い物をしに来た客である患者を、今まで大切にしてきたのかという視点でこの問題に取り組んで欲しい。

 「大学病院では患者はモルモットにされてしまう……」。患者同士のこんな会話を払拭(ふっ・しょく)する一番手を目指す姿勢を見せてこそ、患者側が悔し涙をぬぐう時が来るのではないかと私は思う。


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