第54回  3月10日

「見世物」に学生の熱心な視線

  「きょうは『見世物とスーパースター』でお楽しみいただきます!」

  正午前、「NHK・番組のお知らせ」の生放送を終えて戻ったアナウンス室。そこには、あちこちで受話器を手に「まだ新人なので……」と謝っている先輩アナたちの姿があった。私は、「見世物みせもの」を「ケンセイブツ」と読んだのだ。25年前のこの日まで、「みせもの」のことをきちんと言うと「ケンセイブツ」だと思い込んでいた私。以降長い間、スタジオ入りの前に必ず一度、原稿を読むのを先輩に聴いてもらう手のかかる後輩となった。

  がんのことがマスコミで報じられた頃、友人は「見世物になっちゃうんじゃない」と心配した。後からがんになる方たちの役に立ちたい。だから著書「がんと一緒にゆっくりと」の出版をマスコミに取り上げてもらいたい。でもそれは、「全身がん。そのうちあの人死ぬのね」「がんを売り物にして、痛々しいこと」……という哀れな存在になることなのか。「見世物」という言葉は私の心にとりでを作った。この気持ちを、HIV感染者でありながら、生き生きと活躍されているパトリック・ボンマリートさんに雑誌の対談で話すと、「僕は、『見世物パンダ』になろうって思っていますよ」という言葉とニッコリ笑顔が返ってきた。彼の姿勢が、私の気持ちを切り替えてくれた。

  舞台に乗っても見世物、檻おりの中に入っても見世物。見世物になる側の姿勢と自信、見世物を見る側の想像力と目線の位置が、見世物をすてきなものにもつらいものにもするのだ。

  重いテーマに挑むドラマ「3年B組金八先生」を関心を持って見てきたが、覚せい剤中毒になった生徒の錯乱する姿に金八先生とクラスメートが向き合う場面が胸に刺さった。生きることの尊さ、覚せい剤の恐ろしさを訴える意図はわかる。でも、少年をとりまく登場人物、ドラマの視聴者は、少年を上からの目線で見て、檻の中に入れていないだろうか。もし、私が少年の母親だったら「息子を見世物にされた」という気持ちになったと思う。

  3月1日。立川市の昭和の森看護学校で講演。「頭の中に、3年前に乳がんが全身転移した患者のカルテを書いてください。その患者の3年後、目の前にいるこの私と一致しますか?」「私を見て下さい。見てもらうことだけでも価値があるかと、将来医療に携わる方たちのところには必死な思いで出かけてくるんです」看護師の卵、研修医……将来多くの患者と接する方たちに、私は必ずこんな問いかけから話を始める。学習した知識や経験からできる「こういう患者はこうなるはずだ」という像と、元気な私が一致しないのなら、それを例外とせず、患者の可能性を限りなく信じ、先入観に支配されない医療者になってほしいと願うからだ。的確な西洋医学の治療で助けられた私、西洋医学の常識では考えにくい元気を許されている今の私、その両方を見てもらいたい。「見世物」に名のりをあげた私を、熱心な学生たちのまっすぐな目線は、舞台の上に乗せてくれた。

  誰かや何かを「見世物」に安易にすることは許されない。表現者として歩き始めたばかりの頃、「見世物」で失敗したことは意味があり、「ケンセイブツ」は、省みながらの「見『省』物」であるべきだった……なんて言ったら、迷惑かけた先輩にしかられちゃいますね!


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