第50回  2月10日

薬なしで暮らせる日信じて

  1月24日。聖路加へ。新たに処方された経口の抗がん剤を、朗読コンサートが終わるまでは、と飲まないでいたが、その舞台も2日前に無事終えた。抗がん剤の通院点滴治療に向かい、その旨黙っているわけにもいかず、看護師さんに「薬を飲んでいない」と白状した。下痢がひどかったと聞くと、すぐに相談に行ってくれて、「下痢止めを出す」と主治医の指示を伝えてくれた。

  腫瘍しゅようマーカーが上がる、抗がん剤が増える、副作用が出る、副作用を止める薬を使う……これでは次々と鬼が変わるゴールのない鬼退治。「私たち、エンドレスよね」と再発転移仲間と何度か交わした言葉が頭をよぎる。副作用が嫌なのではなく、問題は薬そのものについてなのだ。その薬が確実に病気を治し、いつかやめることができるなら、どんなに辛い副作用があっても私は飲むだろう。

  しかし、抗がん剤ばかりはそこに保証はない。体を悪くしていく要素が必ずある。ただ、がん細胞を攻撃したり、兵糧攻めにするカラクリを作ったりという効果がある可能性が高いから、痛しかゆしで摂取するわけである。体が悪くなる要素と、がん細胞を抑え体を良くする要素と、てんびんにかけた上で薬の種類や量をどうするか、百人百様の特質とその人の状態に勘を働かせた上で、決断していかなくてはならない。症状の変化など曲がり角が来るたびに、ある種の賭けに出なくてはならないのだ。

  昨年、ある製薬メーカーで講演する機会があった。そこで私は、「良い薬の条件は、第一によく効くこと。その次が副作用がないことでしょう。でも、この二つ以前にもっと大切なことがあります。それは、やめられることなんです」「薬を開発する時、その薬を使って快復した患者がどうやって薬をやめられるか、そこの部分も同時に考えてもらいたい」と話した。熱心に聴いてもらえ、感心もされたが「そんなこと言われても……」と思われる無理難題だったかもしれない。

  ただ、患者は何よりもそれを望んでいる。誰も薬漬けになったまま一生を過ごしたいとは思っていない。いつか薬なしで普通に暮らせる日が来ることを信じて、皆、治癒に向かいたいのだ。講演ではさらに「サプリメントなども使った代替療法など免疫を高めるものを、抗がん剤をやめられるためのサポートとして研究してほしい」と提案した。患者側のこのニーズはかなり切実だが、通常療法と代替療法は二分されていて、患者レベルで統合するしかないというのが現状だ。

  さてこの日、診察はない週だったが急きょ、直接中村先生と話をする時間をとってもらった。「何となく自分に合わない気がする。経口の抗がん剤は点滴と違って生活の中に毎食薬が侵入してくるという感じがつらい」という、私の主観でしかない言い分を尊重してもらえ、量を減らしていた今までのタキソールの点滴を前の量に戻そうということになり、経口の薬はなしになった。出された宿題をやっていないような罪悪感からは解放されたが、今度は「飲まなくて、がんは大丈夫なのか」という不安で心が揺れる。それを察してか先生は「これで様子をみて、落ち着いてきたら、また薬を減らしていけばいいよ」と救いの一言。希望の光を見て、涙がにじんだ。


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