第49回  2月 3日

命の可能性は「分からない」

  1月27日。「ゆっくり日記」の隣の「いのち」の欄。白血病で亡くなった少女、植木亜紀子さんの日記を元にした映画「ママ、ごめんね」の記事に胸を打たれた。自分のことしか考えられないようではありたくないという思いをつづった亜紀子さん。この世を旅立った時の言葉は、周りを気遣っての「ごめんね」だったという。たった11歳で。

  死が目前という症状を経験して以降、私は、魂は、神に近いところから「生」を通してやってきて「いのち」となり、「死」を通して神に近いところに戻っていくものだと考えるようになった。厳しい病気を抱えた子どもたちから、崇高な言動を見せられることがよくあるが、それは、子どもたちが神に近いところから離れて間もないからではないかと思ったりもする。自分のことだけで騒いだ私など、恥ずかしくてたまらなくなるが、そういう子どもたちから、周りの大人たちは多くを学ばされる。

  脊髄せきずい小脳変性症という、体の機能が徐々に失われていく病気と向き合った少女、木藤亜也さんの日記が元になった映画『1リットルの涙』も深く心に残った。「歩けなくなってもできる仕事あるよね」「先生……私、結婚できる?」という、今生きていく将来に希望の光をともそうと、亜也さんが周りに投げかけた言葉の数々は、他人事ではなく私の胸に迫った。

  「失われた機能に未練を残さず、残された能力に……」と日記を書くことを勧め、わが子が生き抜ける可能性を本能とも言える強さで追求する彼女の母の姿にすがすがしいたくましさを見る一方で、「結婚はできない。進行を遅らせることはあっても決して治ることはない」と、映画の脚本上のことだが、主治医が言い切った時、私は悲鳴をあげたい気持ちになった。

  それに対しても、「先生、教えてくれて、ありがとう」とだけ言った亜也さん。病気を見つめて10年、25歳で旅立つ日まで彼女は自分の中のすべての思いを、「ありがとう」という周りを思いやる心と言葉で包み続けたのだろう。すごいことだと思う。しかし……。

  1月7日。「いのちの落語」の著者の樋口強さんとあるがん専門誌で対談。「生存率なし」というほど難しい種類のがんと聞かされながら厳しい治療を乗り越え、9年後の今、多くのがん仲間に元気を与える活躍ができているのは、状況を説明した医師が「これが今の医療の実力です」という言葉を添えて、命の可能性を「分からない」ものにしてくれたから、と樋口さんは語った。

  病気は「治らない」のではなく「今の医療では治せていない」種類のものがあるだけ。そう考えれば、亜也さんの主治医が「結婚? できるように、一緒にがんばりましょう」と答えてもごまかしにはならなかったはずと思えてならない。

  2年前、私はうさぎの絵を描くことが大好きという白血病の少女と出会い、彼女のためにうさぎの物語を創(つく)る約束を交わした。少女の思いをくんで山中翔之郎氏がパステル画を描き、「うさぎのユック」の絵本が出来上がったが、少女は今、骨髄バンクを通し移植手術を受け、完治に向かっている。

  入院中、辛つらい治療を始める他の子どものそばに行っては励ましていたという少女。見も知らぬ少女のために全身麻酔の手術を受け、骨髄を提供した20代の青年。少女の前に向かう力をひたすら後押しした両親。命を信じる思いが、常識を超える力で命をつなぐ。

  今日は節分。私は、「福は外!福は内!」と、福福攻勢で豆をまこう。


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