第44回 12月 9日

 「生への執着」明るく前向きに

  好き、嫌い、好き……。あの恋占いに使われるマーガレットの花にまつわるすてきな話を最近聞いた。乳がんが再発転移した、この「ゆっくり日記」の読者。彼女は、医師に「3カ月しか生きられない」と言われて以降、道端一面に咲くマーガレットの花の上に「パワーをください」と願いをこめて毎日手をかざし、今は主治医を代えて元気にがんと共生している。不思議なことは、この翌年、マーガレットはパワーを渡したからか、彼女がいつも手をかざした部分だけ花をつけなかったという。

  私はこういう話が大好きで、無条件に信じる。西洋医学を拒否してあらゆる療法を試し、命を失いかけた経験は、教訓にし、周りにも伝えている。しかし、人の心や体は科学や医学の範畴はんちゅうを越える摩訶まか不思議なものだと今も考え、信頼できる主治医を持った上で、治療の妨げにならないものであれば可能性を信じ追求することは良いことで、時に絶大な威力を発揮するものだと思っている。

  ホスピスへの入院が選択肢にあがった3年前、私は「安らかな死のためでなく、元気になるためにホスピスに入院しよう。痛みや苦しさを取ってもらえれば、また怪しげなものでも何でもやってがんは治せる」と考えた。しかし、表面的には「もうダメでしょうけど、つらい症状だけはなんとかしてほしい」と、死を受け入れているような態度をみせたと思う。生に執着して浅はかだと思われたくない自分がいたのだ。

  今年、NHKの「新選組!」を毎週楽しみに見てきたが、私は「『潔い死』を美徳とするこの精神がいけない!」とよく言っては、隣の夫にうるさがられた。切腹を言い渡された武士が死に際の美を考え、「生きたい」という本能を自分の中でうち消していく。それに似た心理が、3年前の私にはあったと思うのだ。

  もしこれが私に限らないとしたら……。患者側の「生への執着」を恥とする考え方は、生きることに向かう勢いを阻害し、回復を妨げると思うのだ。その上、命の期限を言い渡す医療者側の「死は受け入れさせるものだ」という勘違いとが合わされば、乱暴な例えだが、それこそ新選組の世界。失われなくてもいい命が次々失われてしまう。

  人は、死ぬことを前提に生きられるほど強くはない。一方、死の危険にさらされると生を追えなくなるほど弱くもない、と自分を顧みても思う。数カ月の食料はあるが、生きられるための出口がない洞穴と、何の食料もないが、出口が見つかる可能性が1%だけあるトンネル。どちらかに入らなくてはならないとすれば、どちらを選ぶか。たとえわずかな可能性でもトンネルを選ぶだろう。それは、「近々の死」を決められながら命をつなぐより、はるかに明るく楽しく前に向かっていけるからだ。

  真に美しいのは、「潔く死を受け入れること」ではなく、「きちんと生へ執着すること」。そう考えるようになってから私は明るく前向き。今92歳の私の祖母、ふぅちゃんは「100歳までは大丈夫よ。それから先がちょっと心配だけど」と言っている。生きるとは、生を無心に愛すること。そうすれば、それぞれのマーガレットに出会えるはず! と書きながら、「来年は、庭にマーガレット植えようかな」と考える、邪心いっぱいの師走の私です。


インデックスへ

絵門トップへ