| 第38回 9月30日 |
バリアはずし常識疑うことから ![]()
9月20日。デパートでマッサージ機を展示販売している前を通った。試すようにとさかんに周りに声をかけている販売員が、私の顔をのぞき込むようにして「どうですか?」と言った。とんでもない、何よりも震動を避けなければならないこの首、機械でガタガタ揺さぶられたら命取りだ。そのまま通り過ぎようとすると、「痛み、取れますよ!」と大きな声。なんとも嫌な気持ち。「この首のプロテクター、がんの骨転移ですけど、重苦しさ、取れます?」と言おうかと思ったが、そんな度胸もない。 数日前には、電車で隣に座った男性に、「その首、ムチ打ち?」といきなり話しかけられた。「いえ……」と口ごもっていたら、「あの、オレ自動車保険会社に勤めているんだけどさ」。思わず席を立ち、車両を換えていた。生きるか死ぬかの病気のせいだなんて想像もできないだろうと思ったら、急に泣けてくるような思いになった。 人は普通の人と違うことに、どうしてこうも過剰に反応するのだろうと、私はがんが全身に転移したこと、外見上も移動時は首の保護のためプロテクターをはずせなくなったことを通し、身にしみて感じてきた。 バリアはあらゆるところに存在する。「健常者と障害者」「早期発見早期治療患者と再発転移患者」「一般病棟とホスピス」……。バリアの存在に気づき、敏感になるにつれ、それを作られまいと過剰防衛する神経になる。荷物を持ってくれたり、席を譲ってくれたりする好意に、「別に不自由なわけではありませんから!」とつい語調きつく応対してしまう時がある。 「大変なんでしょうけど、頑張ってますよね」と言われると「大変なんてこと、別にありませんから。私、普通の人以上に元気ですから」などと言い、聞かれもしないのに、「昨日だって仕事で家に帰ったのが午前1時、お風呂に入って寝たのが2時、今朝は7時起き。毎日こんな調子で動けて働けているんですから私!」とまくし立てている。 後になって、「ああ、いやだ」と憤る。「気持ちまで病んでお気の毒に」と思われただろうと想像して自己嫌悪。親切を差別と受け取り、意地を張って、バリアの線の色を一層濃くしているのは、私の方だと思うことも多い。日頃、「余命」「延命」「末期」「生存率」など、バリアを作る言葉を無くすことを訴えている私だが、言葉尻をつかまえてうるさいと、周りは私を敬遠するようになるのではとビクビクしたりもする。バリアはずしは主張の仕方が難しい。でも必要だと強く信じる。 例えば、今月、開催されたパラリンピック。私はオリンピックの中で一緒に行えばいいと思う。60キロ級や70キロ級と体重別にクラス分けするように、ハンディのある選手が出場するクラスを作ればいい。そうやって組み入れるのが無理なら、逆に2年ずらし夏季オリンピックのない年に開催した方がいい。一度盛り上がり閉会した直後に同じテンションになり、応援し続けるのは正直、無理がある。五輪に続き、パラリンピックも史上最多のメダル数獲得。五輪の時以上に注目し拍手を送りたいだけに、私は体制と開催時期の見直しを望むのだ。 バリアはずしの一歩目は、常識、恒例とされていることに疑問の矢を射ること。やはり私は、嫌われない程度で続けていこう。 |