第37回 9月23日

家族は心配するより手伝いを

  9月18日、乳がんの妹さんを心配する男性から届いた相談メールを開いた。

  日頃、面談でがんの患者さんとその家族の方のカウンセリングをしているが、お会いできる方の数は限りがある。とはいえ、メールでは誤解も生じやすく、差しさわりのない一言が精いっぱい。でも、家族からの相談となると、私はつい返信に熱が入る。それは、精神的には本人より家族の方がずっと重くつらいだろうと思うからだ。

  乳がんを知りながら1年以上も西洋医学的治療を避けた理由を私はよく尋ねられる。とりあえず、「がんで亡くなった母の治療経過を見て、西洋医学不信になったから」と答えてきたが、実はそれだけではない。

  「自分の家族をがん患者の家族にさせたくない、そのためには病院に行かず患者にならなければいい」という考えもあった。大切な周りの人たちの毎日が、がん患者の家族として、重苦しく楽しくないものになることを避けたかったのだ。

  振り返ると、母ががん患者となり、私がその家族だった5年間、母のことが私の頭から離れることは一時もなかった。いなくなっては絶対に困る大切な人ががんだということは、15年も前であれば本当に深刻だった。

  自分のことでない分、余計にもどかしく、やみくもに情報を集めては、母のやり方でいいのかといら立っていた。母にとって、そんな一生懸命過ぎる私が一番のストレスだったかもしれないと今思うが、家族の時の方が患者になってからよりつらかった。

  だから家族からの相談を放っておけない。両方を経験したからこそ、私が気がつけたことを伝えなくては、と必死になるのだ。

  「本人が誰よりもたくましく自分の命を守ろうとするから、病気のことは本人に全部伝えて任せる。家族は、必ず治ると心の底から信じる。とにかく、よく笑うこと」「お灸きゅうやマッサージ、掃除や洗濯を手伝ってくれたら、うれしいかも。あ、それから、手作り料理を食べたいのに作る気がしない時があって、そんな時は……」と気楽になってもらうつもりが、歯止めが利かなかったりする。とにかく、暗い顔で心配するより、明るい顔で手伝いを! と切実に思うのだ。

  4年前の私は、がんイコール死、がんになれば患者も家族も不幸になると考えた。だから、生と死の間の「がん患者」という時期を最小限にして、周りを患者の家族にさせないで死ねればいいと考えた。そんな私が、今、「がんと長く共生して90歳になってお茶しよう!」を合言葉にしているのだから、人生どうなるかわからないもの。

  ある時から家族が異常に健康食品を勧め始めた、という話を聞けば、私はその裏に、家族だけが絶望的な言葉を医師から聞かされた可能性を想像する。こういうことが事態を複雑にし家族を苦しめる。がんは根絶できなくても共生できる……。そんな希望とともに病状を本人に知らせるのが鉄則でありたい。母に転移を「良性のもの」と偽ったことに自戒をこめて思う。

  厳しい状況下で希望の光を追えるのは、本人が主役になった時だけ。本人が光に向かっていれば、家族は決して不幸にならない。

  9月21日。11回目の祥月命日に母は「やっとわかったの? それをちゃんと伝えてね。せっかくおしゃべりに産んであげたんだから」と言っている気がした。


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