第28回 6月17日

「桜の花の復活」、連ドラに期待

  6月12日。前の晩、銀座の「ギャラリー悠玄」での「浪漫朗読コンサート」で夜遅くなったにもかかわらず、元気に目覚めた。締め切りをすぎた原稿を三つも抱えながら、「梅雨の合間の晴れは貴重」と家事にいそしんだ。

  首のプロテクターが暑くてうっとうしいが、洗濯物を干し、掃除機をかけ、ぞうきんでふき掃除までして、我ながらよく働く。原稿の内容が頭の中でまとまらないから家事に逃げたという面もあるが、パソコンに向かうことはできても家のことができずに、ため息をついたかつての日々のことがうそのようだ。

  たまり放題のほこり、たたまれていない衣類の山、めったに使われなくなった料理器具を見て「やらなくちゃ」と思うのだが、どうしてもする気になれなかった。相手がある仕事の約束は果たせても、家事については重い腰が上がらない。食べることはできても作ることはできない、散らかすことはできても片づけることはできない。「なぜこんなことが」と自分でも不思議。

  「一番辛つらい症状は何か」というがん患者へのアンケートの答えでトップになるのは、「痛み」でも「苦しさ」でもなく、「いわれなき倦怠けんたい」だったという調査がある。「倦怠」は本人にも周りに分かりにくい。だから本人は焦り、自分を責め、家族はイラつく。私自身も今、自然に家事をこなせるようになって、「あのころ、体調、悪かったんだ……」と気づく。

  「できること」と「できないこと」は体調が選ぶ。「あさってにはできるだろう」ではなく、「3カ月後には」ぐらいの気持ちで家族は見守ってほしい。さらに、家事のサポートをにこにこ笑ってしてくれれば最高。

  さて、家事に精を出していたら、NHKの朝の連続テレビ小説「〓天花(てん・か)」が始まった。楽しみに見ていたが、最近、主人公「天花」の恋人の母が、がんのためあと半年か1年の命だと決めてかかったセリフが飛び交い、「がんでも元気な人たちがたくさんいる時代なのに、ドラマではどうしてがん患者を死んでいく人にしちゃうの?」と、裏切られた気持ちでいた。本人も家族も「がんで死ぬ」という前提でいる。

  ところが、最近の回で天花がくさびを打った。一度は枯れたものの、「生きるように」と願ってなでていたら次の年美しい花を咲かせた桜の木の話をし、「生きようとしてほしい」と言うのだ。恋人の母はその桜を見に行き、毎日眺めた後、天花に「私、生きようと思う」と電話をする。

  「治療をしながら共存していくっていう話になるのかも。ドラマとしては画期的!」と、私は食器洗いをやめテレビの前に飛んでいった。

  この朝の放送を見て明るい気持ちになったがん患者がどれほどいるだろう。単純な私は一日中気分良く過ごすことができた。ドラマのもたらすイメージは鮮明で大きい。がんを抱えながら前向きに生きる患者の話が増えることは、新しい抗がん剤の開発に匹敵すると私は思う。

  来週と再来週は紙面の都合でお休み。私は次の7月8日まで、桜の花のように復活する天花の恋人の母を期待して、ドラマウオッチャーを続けようと思います。では、3週間後の「ゆっくり日記」で!


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