| 第26回 5月27日 |
伝えたい「がんでも大丈夫」![]()
| 5月19日。早朝、高崎駅のホームにいた。前夜、昨年の「癒やしと安らぎの環境フォーラム」で患者本位の医療を表彰された黒沢病院に招かれて高崎市文化会館で講演し、1泊したためだ。演題は「患者と看護師、医師をつなぐもの」。 最近、病院や看護大学から講演に呼ばれることが多い。一患者に過ぎない私の話を医療に携わる方々が聴こうとしてくれる。ありがたいと思う。私も学ぶことが多く、今後の医療への期待もふくらむ。でも、「絵門さんの話を先生たちが聴いてくれたことがうれしい」という患者さんの声を聞いた時、患者が率直に自分の思いを伝えて治療方針を話し合える時代はまだこれからなのだという思いを新たにした。 高崎から新幹線に乗り、車窓を流れる若草色の景色を追いながら「あれから1年過ぎたんだ」としみじみ思った。 昨年の5月19日、本が出版になった。マスコミに積極的に出ることにした私は、テレビの取材も受けた。正直、つらかった。始めたばかりの抗がん剤の副作用で顔はむくんでいる。ウィッグの下は完全なスキンヘッド。久々に画面に出るのがこんな時だなんて…、と気持ちはなえた。 「お気の毒に」と見せ物のようにされてしまうのではとおびえながら、本の存在を知ってほしい一心で「えいやっ!」とばかり、私は、新潮社の三つの会議室を渡り歩き、各局のリポーターのインタビューを受けていった。記者会見を開けば1度ですむ。でも、それでは真意が伝わらない。制作側の編集で「衝撃、全身がん、悲痛」という色に塗られるのを避けたいと思ったのだ。 母が亡くなる前、病院の待合室のテレビが、がんで厳しい状況の芸能人について暗く、深刻に報じていた。「こういう放送はやめてほしい」と、あの時振り絞るように言った母の言葉が忘れられない。私についての放送が、他のがんの患者さんから元気を奪うようなものであってはならないと思った。 また、私の場合、結局西洋医学に助けられたから、「西洋医学が最良で、他の療法は危険だと主張する立場」と受け取られがちだが、実際には、患者に良いことは吟味して取り入れ、広い分野で治療の統合が図られることこそ必要と考えているので、そういう単純な図式にされないように伝えることも大切だった。番組ごとに丁寧に取材を受け6時間にも及んだが、そのかいはあったと思う。 「がんでも大丈夫というイメージで」という私の意向をくみ、新潮社の編集者笠井麻衣さんが考えてくれた本の題名は、今私にとっても生き方の課題になっている。「『がんと一緒にゆっくりと』でタイトル会議、通りました!」。麻衣さんの弾んだ声からスタートし、この一年、私の活動も弾むように広がった。 「余命、延命、告知、宣告、末期、闘い……。がんにつきもののこういう言葉と発想が、がんを怖いものにしているでしょ。もうやめましょう」「私が死んだ時、『絵門さんの壮絶ながんとの闘いは…』なんてコメントしたら、私はその人の前に化けて出ます!」。こんな私の話で講演会場に笑い声がわくと、「あ、みんなの免疫力が上がった」とうれしくなる。 5月22日、統合医療をテーマにした「がん大丈夫フォーラム」に出演のため福岡に。「こんなタイトルのフォーラムがあるなんて、ゆう子はいい時代にがんになったわね」と、ふと母の柔らかい声を聞いた気がした。 |