| 第23回 4月29日 |
おかあさんになった あつこさん ![]()
4月12日、私はつぶらな瞳に向かって語りかけていた。 「ようこそこの世に! うーんと楽しくあなたらしく生きていこうね。あなたのお母さんはすごい人なんだから」 新しい命をこの世に送り出したのは、東口充子とうぐちあつこさん。病室に不在だったため、戻ってくるまで、私は新生児室の赤ちゃんとガラス越しに面会させてもらった。 生まれて5日目なのに私の表情の変化に反応して、よく笑う。きっと、とてもいい環境のおなかの中にいて安心して生まれてきたのだろう。 あつこさんは29歳の時に乳がんになった。進行の早いタイプのがんですぐに手術。その後、副作用がかなり強い抗がん剤の治療を受けた。点滴が始まると同時に、体が冷たくなり強烈な吐き気もあって辛つらかったという。それから5年、あつこさんは可愛い女の子のお母さんになったのだ。 彼女とは、鍼灸しんきゅう師の湯川康子先生を通じて3年前に知り合った。あつこさんは湯川先生の治療で厳しい副作用を和らげてもらい、精神的にも支えられたという。私も入院中、聖路加国際病院が心よく承諾してくれたため、湯川先生に往診治療に来てもらい、つらい治療の時期を助けられた。 知り合った当時のあつこさんは術後2年。抗がん剤の治療を乗り越え、ご主人の経営する「ルッコラ」というレストランの仕事を元気に手伝っていた。私は自分の乳がんに対し西洋医学を拒否し、民間・自然療法のみを頼りにさまよい、不安なのに強気にふるまっていた時期だった。 あつこさんの主治医は中村清吾先生。現在の私の主治医である。あの時、あつこさんは中村先生の信頼できる人柄、的確な治療について、私に話してくれた。湯川先生にも聖路加に行ってみるように言われた。しかし、かたくなな私は行かなかったのだ。「いい先生に会ったら手術するよう説得されてしまうかもしれないから行かない」と言い張った。 「あの時こうだったら……」はなるべく考えたくない。でも、「あの時、聖路加に行っていたら、首の骨を折ることも全身転移することもなかったのに」と思う私は確かにいる。「私のようにならないで」という思いも著書『がんと一緒にゆっくりと』を書いた理由の一つだ。 当時、私は「手術や抗がん剤ではがんを治せない。この方法なら完治する」と言い切る『先生』と呼ばれる人たちに洗脳されていた。「鍼灸の治療は、副作用の軽減などサポートはできるけれど、これでがんを治すことはできませんよ」ときっぱり言って治療に当たる湯川先生よりも、「治る」と無責任に言い切った人たちに走った。 今、「あの時ゆう子さん、聞く耳、持たなかったもんね」と3人で笑って話せるのも、あつこさんが赤ちゃんのお母さんになれたのも、的確な西洋医学の治療と東洋医学のサポートがあったから。 赤ちゃんをあやすあつこさんが神々しい。20代の若さでがんと言われたショックを「あの日から人生が変わったと思った」とだけ語る彼女。私は、あつこさんの毅然きぜんと働く姿と笑顔しか知らない。 強い命は強い命がつなぐもの。絢音あやねちゃんと名づけられた赤ちゃん。私はこれから絢音ちゃんの将来を楽しむギャラリーおばさんの一人。生きていく楽しみがまた一つ増えたと、笑ったつもりが感慨無量で涙がこぼれた。 あつこさん、がんばったね。本当におめでとう! |