第22回 4月22日

がんの怖さばかり強調しても…

  4月17日。最近、夫が休みになる週末に、私が講演で出かけてしまうことが多く、久しぶりの夫婦そろっての休日。パン焼き機が焼き上げてくれた天然酵母のパンの香ばしいにおいで目覚め、私はパスタとサラダを作り、夫は洗濯物を干す。

  締め切り日が迫っているいくつかの原稿を心の隅で気にしながらも、春うらら、若葉薫る近所の公園に出かけた。

  夫の隣で無意識のうちに「ふぅ」とため息をつく。「どうしたの」と聞かれ、ずいぶんいろいろなことを自分がもやもやと考えていることに気がついた。

  がんを知ったばかりで落ち込む一方だというA子さん。どうしたら明るくなれるのかと尋ねられた。私も3年前はそうだった。最初から明るくしていられる人なんていないし、落ち込んで当たり前。そのうち自分の身に起きた事態にも慣れて、落ち着いて考えられるようになるはずだと答えたが、あれでよかったのか……。

  手術も抗がん剤もせず、西洋医学以外のある方法でがんを治そうと決意し、その方法を私に教えようとしてくれたB子さん。それが本当に彼女のがんに効いているならいいのだが、そうでない場合、2年前の私のように症状が急変し、痛くて苦しい究極の状態になる。それで命を失った仲間も何人か見てきた。せめて主治医を持って経過観察だけでもした方がいいと話したが、彼女にとっては、彼女の信じている方法を試そうとしない私を哀れみ、あるいは憤りがつのっただけだったのかもしれない……。

  一般に、がんとその治療法の「怖さ」が強調され過ぎていると思う。だから、がんを知った人はある日を境に、ひたすら恐ろしいと植えつけられているものとつき合うことになる。一歩目が逃げの姿勢で始まるわけだから、攻勢に転じるにはかなり労力を要する。

  よく知れば、治療をしながらがんとうまく共生している人がたくさんいることに気づくはず。でも、影響力の大きい媒体は、怖い側面ばかりを伝えているように感じる。医療ミスは報じられるが、適切な治療の結果、治癒または長期間、共生した話はほとんどニュースにならない。

  一方で、さまざまな民間療法や健康食品で奇跡の治癒を遂げた例は、商品の宣伝のために伝えられるが、それをやっても良くならなかった例については取り上げられない。

  がんになって動転している時に飛び込んでくる情報は実にバランスを欠いたものとなりがちなのだ。

  あるタレントを追った番組。新聞のテレビ欄には「がん宣告」の文字があったが、実際は「がんを疑ったものの違った」という話だった。そのことについて「最悪の事態は免れた」とアナウンサーがコメント。がんをうたって視聴率を上げ、がんでなくて、めでたしめでたし……か。

  しかし、せっかくの休みをため息でつぶしてなるものかと気持ちを切り替え、持ってきたフルートを吹いてみた。ドレミファソラシドの音がなんとか出せるようになって春風に響く音色が気持ちいい。

  「ね、明日の乳がんのフォーラムでみんなの前でフルート吹いちゃおうか」と私。

  「やめた方がいいよ」と夫はあっさり。

 腫瘍しゅようマーカーがまた上がり、不安を抱えてはいるけれど、『乳がん治して50歳で母になり、100歳で孫は10人!』と、当分人前ではフルートの代わりに楽しいホラを吹き、それを夢見ていこうと青空を見上げた。


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