第19回 4月01日

目指すは補助輪なしの自転車

  3月18日、誕生日。過去の誕生日を振り返った。「プロポーズされたのが〇回目の誕生日」というように忘れられない誕生日がなかったか。

  ない。結婚も「いつ結婚するのか」と私がせかし続けたわけだから、そもそもプロポーズされた覚えがない。ドラマに出てくるような記念すべき誕生日、周りの人に聞いてみても意外にないもので、それが普通に幸せということなのかもしれないと思った。

  今回の誕生日も、変わったことはいつもより部屋を丁寧に掃除したくらい。久々に天然酵母のパンを自分で焼く気になったため、「どこかで食事をしよう」と言ってくれた夫に、焼き立てのパンと私の手作りの簡単なおかずというシンプルで経済的な誕生日の食卓を提案。「お料理をする気になったのは体調が良い証拠」と言って、けっこう喜ばせて会社に送り出した。

  そういえば、小学校入学直前の誕生日のプレゼントは自転車だった。補助輪のついた20インチのピカピカの自転車。喜々として乗り回し、いよいよ補助輪なしで乗ることに挑戦することになった。今は亡き母が、後ろの荷台を支えながら一緒に走り、勢いがついたところで手を離すという方法で手伝ってくれた。

  運動が苦手、ちょっぴり太り気味の母にとっては重労働だったかもしれないが、来る日も来る日も私と一緒に格闘してくれた。ある日、かなりの距離を走って振り返ると、フーフーと荒い息をしているはずの母がいなかった。かなり離れたところでうれしそうに手を振っていた母。補助輪や母に頼らず、1人で自転車に乗れたあの日の光景を、私は病院に通うようになってからよく思い出す。

  先月から、抗がん剤(タキソール)治療で1回に投与する薬の量を、今までの80ミリから70ミリに減らしてもらった。当初、「まずは3カ月」ということで始めた抗がん剤。腫瘍しゅようマーカーが下がり、効果があるということで、ちょうど1年続けてきた。私は全身の骨や肝臓などに転移しているがん患者。できるだけ薬を長く使って、その薬で命をもたせていく「延命患者」という範畴はんちゅうに入る患者である。でも実は、いつまでも延命させてもらっている患者を続けたくないという思いがある。

  つまり、がんと一緒にゆっくり生きながら、いつの日かがん患者でなくなる日を、私はたとえ1%の可能性でも目指していこうと思っているのだ。そのためにはまず、薬なしでも、がんが増えない体になっていかなくてはならない。少しずつでも薬を減らし、それでも大丈夫か様子を見てもらいたい。その私の意向をくんだ主治医の判断で薬が10ミリ減ったのだ。

  自転車の荷台から母の手が離れるたび、私は転んだ。けがもした。でもある日、母の手なしで私は自転車を走らせていた。抗がん剤という補助輪がすり減って使えなくなる日を先に延ばすのでなく、私は補助輪なしで走れたあの日を目指したいと思うのだ。

  夫が出かけた後、原稿の締め切りを一つ思い出し、手料理のプランは無期延期。夕食はフレンチレストランに変更となってしまった。「先月のおれの誕生日はファミレスだった」とつぶやいた夫に「元気で誕生日を迎えられて感謝しなくちゃ」と私。

  ステキな27歳(あしからず! 今日はエープリルフールです)に向けて乾杯した。


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