第18回 3月25日

本物のカウンセリングめざす

  3月14日。毎月1回通っていた産業カウンセラーを対象にしたセミナーの最終日。

  「元気に10回の講義を受けられるように」と願って受講の申し込みをしたのは、抗がん剤を始めたばかりの1年前。こんな風に、「なんだあ、心配したけど大丈夫、元気じゃない」と思いながら何年も何年も年を重ねていけたらいいな。そう考えつつ、修了証を受け取った。

  産業カウンセラーの資格を取ろうと思ったのは、乳がんだと分かって間もない3年前。がんになると、次々経験者を頼って相談していくことになる。私もいずれ、後からがんになった人の役に立てればと思ったが、がんを経験しているだけで命にかかわる相談に乗るのは危険だと思った。専門の勉強をしておきたいと考え、産業カウンセラー試験を受ける条件となる養成講座に通ったのだ。

  医療を拒否し、あらゆる療法をさまよっていたころだった。だが、講座で受講生同士が練習のために行うカウンセリングの実技が、自分でがんを治そうとして、実は不安の極致にいた私の心を結果的に支えた。

  二次の面接実技試験を受けたのは、首の骨が折れ、胸水を息もできないほどためて病院に飛び込んだ日の午後だった。そのいきさつは、『がんと一緒にゆっくりと』を読んでくださった方々に驚かれる部分だが、あの時私は、生きていてこそ役に立つ資格の取得にしがみつくことで、生きられるかもしれない自分の可能性を逃すまいとしたのだ、と今思う。

  カウンセリングの基礎は「傾聴」。その訓練と習得がカウンセラーとしての絶対条件である。相談に来た人(クライアント)を受容し、共感しながら徹底して聴く。クライアントは話をしているうちに自ら答えをみつけ出す。カウンセラーは決してアドバイスをしたり自分の方法を押しつけたりはせず、クライアントが自分で答えを出すのを助けるだけ。

  ところが、カウンセリングの看板を掲げながら、実は治療法や商品の存在を伝えることを目的にしているところがある。「私は玄米菜食と自然療法でがんを治した」と言う人が「実行できなければ治らない」と指導したり、しかったりする。商品を売りたい人が、相談に乗ることから始めて、結局は商品の必要性を説いていく。これは、まがいもののカウンセリングだと私は思う。

  がんは百人百様。どんな方法にも合う人と合わない人がいる。それなのに、特定の療法や健康食品を選択するべきだと信じ込んでいる人が先生然として、がんと言われたばかりの落ち込んでいる人にアドバイスをする。言われた人は何かにすがりたい心理もあって、その通りにしがちだ。

  でも、その方法がその人に合わないものならば、肉体的にも経済的にも命取りだ。経験者の一人として、「まがいものカウンセリングに気をつけて」と私は言いたい。

  私は入院した時、息ができず、痛くて苦しくて精神的にパニックになっていた。聖路加で受けた精神看護師、心療内科の医師によるカウンセリングが傾聴に徹した本物だったからこそ、パニックを脱し前向きに立ち直れたのだ。

  おしゃべりな私が傾聴に徹することは修業である。カウンセリングは奥深く、勉強することは尽きない。

  「答えはあなたの中に。だから本物のカウンセリングを!」と呼びかけながら、私は一生をかけて学んでいきたいと思っている。


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