第15回 3月 4日

言葉が大切「心ある医療」

  2月23日のメールより。

  「絵門さんの本読んで思い切って絵門さんと同じ病院に来て、やっと治療に向かう元気が出ました」

  「病院なんてこんなものか」と我慢していた方が、私が受けた細やかな医療の話を知って自分の受けている医療がおかしいことに気づき、行動を起こした後、報告してくださることがある。

  医療機関について相談されることがよくあるが、ちまたのランキングのようなものは信用できるかわからず、患者が集中してしまう迷惑を気にしながらも、私は自分が直接知っている先生や病院のことしか伝えられない。単に医療技術や設備で評価できるのなら簡単だが、患者が求めているのはそういうことではないからだ。

  私に相談する人は、変な言い方だが、私のような素人に相談しなくてはならないほど、一通りのことをしてきた上で立ち往生している人なのだ。嫌な思いもたくさんしてきているはず。だから、人間味の感じられない応対や、希望の光を奪う発言をするような医師には会わないでもらいたいと思うのだ。

  「抗がん剤が効く可能性は非常に低い」と説明した後、その薬を使うのかどうかの判断を患者に迫り、「私は何人も患者を抱えているので一人一人の人生にかかわれないんですよ。自分で考えてきて下さい」と言う。「治る? 無理ですね。でも医者は何も悪くない。悪いのはあなたの運ですから」という言葉を浴びせる……。

  その時の状況や語調抜きに書くのは問題があるとは思うが、これは、実際に言われたがんの患者さんから、私が直接、医師の言葉として聞いた話であることは事実だ。

  「なぜ?」と思う。なぜ医師になれるほど頭のいい人たちに、自分が発する言葉、情報、態度が患者にもたらす影響を想像する、という簡単なことができないのだろう。

  追い詰められた中で希望の光を必死で探そうと力を振り絞っている人たちに対して、自分の言葉がプラスになるか、言う意味があるかを考える。その当たり前のことを身につける暇もないほど、難しいことを頭に詰め込むことに追われてきたからなのか。体のことを追究している時間が長すぎて、同じくらい大切な人の心のことがわからなくなってしまった結果なのか。

  イギリスでは医師に対して専門に言葉の教育がなされるとイギリス人の友人が言っていたが、日本でも望まれる。

  私自身、母が亡くなっていったときの体験とその後の自分の体験を通して長年西洋医療に対する不信から抜け出せなかった。でも、入院して以降、素晴らしい医師たちにたくさん出会っている。患者のために身を粉にしている医療関係者のためにも、心ない医師を許せない。

  私が退院したのは、2年前の今ごろ。退院前日、お礼の気持ちを伝えた後、「死ぬ寸前の症状になるまで病院に来ないでいた私のようなバカな患者、いませんよね」と言ったら、主治医は病棟内に同じような患者が3人も入院していて私が珍しいケースでないと教えてくれた。その上、「僕たち医療関係者の責任です」と頭を下げられたのだ。

  「とんでもない! ここの先生や看護師さんみたいだったら、そんな患者、いないんです!」と、あの時心の中で叫び声をあげたことを私は忘れない。


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