| 第十回 1月 22日 |
「どうして?」の力で発想逆転 ![]()
| 1月10日。新年になったら使おうと買っておいた二膳ぜんの箸はし。赤い箸と黒い箸をテーブルの上に置いた。その黒い方でサラダを口に運びながら夫は振り返った私に言った。 「ね、おれが赤い箸を使っていたら、どう反応した?」 「はあ?」と噴き出しながら、私は幼稚園生の頃のことを思い出していた。 ある朝、先生は色とりどりのリボンに安全ピンをつける作業をしていた。そこに駆け寄った私は「こっちが男色」と言って青や緑を指さし、「こっちは女色」と赤やピンクのリボンをつまんだ。 すると、「あら、どうしてこっちが男色でこっちが女色なの?」と先生が優しく穏やかな声で言った。 「だって……」と、口ごもった私の胸の奥に、先生の言葉はドンとすごい迫力で入り込んだ。 当たり前だと思っていること、常識とされていることに「どうして?」と疑問を投げかける視点。物事への光の当て方は一つではないという考え方。あの時以来、「どうして?」は何かに凝り固まる寸前に、私の脳をコンコンとたたく金づちになったと思う。 抗がん剤で髪が抜け眉毛もまつげもなくなった。ある晩シャンプーをしていた両手にびっくりするほどの髪がまとわりついた。ぞっとした。その後、日ごと髪がなくなっていく様は1日に3年くらい年をとっていく気分だった。そして見事なスキンヘッド。慌ててウィッグ(カツラ)を買いに走った。 そこで「これなら自然に見えますよ」とあわれみの表情で言われムッとした。「辛つらいでしょう。ショックでしょう」という周りの反応には、「別に全然!」と、必要以上に強く否定した。気が立っていたからだと今思う。 でも、その後、「おしゃれでしょ。ステキですよ」と明るく勧めてくれるお店に出会い、みじめな気持ちは吹き飛んだ。そして今は大の「ウィッグ党」。出かける寸前にパッとかぶればオーケー。こんな便利なものはない。 髪が抜けてうれしいはずはない。それでも、今の私は「髪は女の命。それがなくなった悲しさ」みたいな考え方を「髪なんて命でも何でもない!」と笑い飛ばせる。考えてみれば髪が抜けても、肉体的には痛くも苦しくもない。周りも大げさに悲しい話にする必要はない。深刻なところから脱するのは気持ち一つ。 便利でおしゃれなウィッグ、10年は若く見せてくれるつけまつげ。この日記に使われている私の写真もかなり明るめの茶髪のウィッグをかぶっての撮影だった。「いい写真ですね」とよく言われ、うれしくなる。 今、抗がん剤の点滴は11カ月目になるが、髪と眉毛は生えそろい、まつげもちょろちょろ生え始めた。3日前、初めて自分のまつげにマスカラをつけて出かけた時はウキウキした。せっかく知ったウィッグとつけまつげのおしゃれのだいご味を私は今後も手放さない。90歳になっても派手なつけまつげをバサバサさせ外出しようかと思っている。 「髪が抜けて辛い」に対して「どうして?」。「がんって死んじゃう」に「どうして?」。「どうして?」の威力は大きい。 使い終わった二膳の箸を洗いながら、「よし、今度、彼の前でいきなり黒いお箸を使ってみよう」と思ってニヤッとした。 |