第九回  1月15日

病人と健康な人の壁、なくす試み

  2002年1月1日のメモより。

  『静かな病院の新年。薬が切れる時間になると痛みも息も辛い。聖路加のチャペルのミサに行ってきた』

  生死の修羅場だった2年前の元旦、入院中の私は酸素ボンベを下げた車いすを押して病院の隣の建物にある聖路加の礼拝堂に行った。一般の人が普通に出入りするチャペルである。午後病院に来た夫が、「え? 一人で行ったの?」と目を丸くした。

  年末年始は外来診療が休みとなり、病院は閑散とする。入院患者の多くは外泊届けを出して自宅に帰るが、それもできない患者だけが病棟で年を越す。私も、その一人だった。鼻には酸素の管、息が苦しく歩くのもやっと。でも私は、パジャマにガウン姿でその朝行われた元旦の礼拝に参加し、パイプオルガンの音に身をゆだねた。

  一般の人たちと同じ場にいることがうれしい。「もう一歩で、またここに戻れるんだ」という気持ちになれた。

  病人がいる場所と元気な人がいる場所の境界線を、私はあの時、なくしたかったのだと思う。

  ステンドグラスを見上げ、「助けてください。もっと生きたい!」と手を合わせたあの思いを忘れられない。

  2年後の私は、その同じ場所で朗読コンサートをしていた。03年12月29日。自作の創作童話「うさぎのユック」を読んだ。生きることに思い切り前向きなウサギの兄弟が、知恵を絞り命の危機から脱出する物語だ。

  「病院が寂しくなる時期に入院患者さんのために」。そんな意向を汲くんでくれた牧師先生がチャペルを使えるようにして下さった。オーボエ、ユーフォニアム、クラリネットの楽器を操る6人のすてきな演奏家たちがかけつけてくれた。「患者さんの病室からの移動が……」という心配に、聖路加看護大学の学生さんたちが急きょ手伝いに来てくれた。

  輸液ポンプの電源を必要とする患者さん、車いすやベッドの方々、小児病棟の子どもたち。熱心に、時に涙を流しながら耳を傾ける患者さんの姿が前の方の席にあった。

  終了後、患者さんたちの退場を先にするという気遣い以外は何もしない。パジャマと外出着、病名を持っている人といない人との垣根をはずせたひとときになったと思う。病棟に出向くボランティアも大切だが、私は患者が自分の意思で外に踏み出せる場にしたかった。それが治癒への一歩につながると思うから。

  たまたま今は病気、たまたま今は健康。境界線を引かない、そういう受け止め方が心地よい。私の場合は、たまたまがん患者だけれど今は活動できる、だからできることをする。そんな感じ。

  「生きていた社会から切り離されることのとまどい、悲しみがありましたが、静かに病気と向き合い、ユックのようにゆっくり生きていこうと思いました。7階〇〇号室」

  そんな感想の手紙に励まされ迎えた新年。04年1月1日の日記は『聖路加での朗読コンサート。念願のご恩返しの一つが実現。がんばろう!』でスタートした。

  年末ぎりぎりに大掃除、元旦からパソコンで年賀状を作り始めた私は、今年も「ゆっくり」が課題になりそうだ。

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