新春対談編 1月 1日、8日

「がんとゆっくり日記」の元旦版は、絵門ゆう子と全盲の絵本作家エム ナマエさんによる「聴くことの力」をテーマにした対談です。ナマエさんは失明の宣告後、苦しみの中で、生きること、生かされることについて考え続けてきました。

■エム ナマエ (55)イラストレーター、童話・絵本作家。1948年、東京生まれ。本名は生江雅則なまえまさのり。慶大法学部在学中にイラストレーターとしてデビュー、83年、重症の糖尿病と診断され、86年に失明。89年、初の長編童話で児童文芸新人賞。イラストレーターのほか、創作、出版などで幅広く活躍中。

聴くこと聴かれることの不思議

  −−まず、聴いてもらった体験について 

  ナマエ  全盲で絵を描く活動がユニークだということで、話を聴いてもらうチャンスがどっと増えた。100人、200人の前で好きなようにしゃべっても、聴衆は「うんうん」とうなずいてくれる。それだけで元気になっちゃう。その後の質疑応答で観客との関係がさらに深まり、お互いに癒やされていく。

  「人間」という言葉の通り、人と人との間にある見えない何かが、実は人間社会の主役なんじゃないかな。コミュニケーションですね。

  絵門  命ってあちこち飛び回っていてそれぞれがつなぎあっているイメージなんです。すべての出会いが命のロープ。退院して2年、その命綱に支えられています。

  周りの人が、聴いてくれる、話させてくれる。看護婦さんに「奇跡的に回復する人の傾向は」って聞いたら、「周りにたくさんの人が来てよくおしゃべりしている人」って。話をする、聴いてもらうことがいかに大事なことか、すごく感じています。

 −−でも絵門さんは、医療機関ではずいぶん傷ついたと。 

  絵門  今の病院は、どの先生もきっちり話を聴いてくれます。でもそれまでは、話を聴いてくれる先生なんていなかった。だから今の病院で「この先生、私の話を聴いて下さってるー」っていうだけでびっくりしちゃった。

  ナマエ  僕の場合、町医者が怠慢だったから糖尿の発見が遅れた。まじめに診てくれたらすぐ分かったはず。著書の「失明地平線」に思いをぶつけました。

  絵門  聴いてくれる先生との出会いは命を救うぐらいの価値があるんですよね。それがなければ私は命を放棄していた。こんなに苦しいなら死んだ方がいいやってやけになっていましたから。

  「生きるぞ」という意志を私に与えてくれたのは、薬や医療ではなく、私という人間の話を聴いて、受け入れて、考えてくれたことにあります。今の病院で初めて話せたというのは、逆に言えばそれまで聴いてもらえなかったということ。最も傾聴が必要な医療の現場で、聴いてくれる人に出会えていませんでした。

 −−絵門さんは朗読でも多くの人に聴いてもらっていますね。 

  絵門  朗読は聴覚から入っていく。集中すると人は落ち着いていきます。

  ナマエ  独特の静けさ。想像力を動員しないと成り立たない。テレビからは絶対に生まれない世界。視覚は押しつける、限定する力がある。語りは世界を広げる。広げていくイマジネーション(想像力)は、人類が神からいただいた最高の能力かな。

  絵門  今の子は幼い頃からアニメや映画を見て育つ。主人公の顔かたちはみな同じ。昔の子は、想像するすき間をもらいながら育った。

  ナマエ  僕は目による読書は不可能になったわけで、だれかに、またはコンピューターに読んでもらうしかない。でも、変に抑揚がついた語りとかはつらい。想像のスペースを与え、ゆだねるほど良いってこともあるかな。

  絵門 「やっぱり今が一番いい」というナマエさんの作品の中に「時にはテレビをけしてラジオを聴いてみよう。ときにはラジオをけして本を読んでもらおう」という言葉がある。ナマエさんは視覚を失われていく中で、何らかの豊かさを得られたのかな。見えていらしたころの作品よりも後の作品の方が人を吸い込む、別世界に運ぶ力を持っているように感じるんです。

  ナマエ  それは目が見える人の発想で、僕の立場だとちょっと違うんです。僕は自分の絵を見ることができませんから、100%、見てくれる相手にゆだねるんです。僕の中では永遠に完成しない絵を、人様の目と頭の中で完成させてもらう。見た人が「ああ、いいね」と言ってくれればそれでいい。絵を見て喜んでくれる人がいるということが奇跡ですよ。それが僕への手ごたえになる。

 −−講演や朗読も、耳を傾けてくれる相手がいるからこそ聴かせる側は力をもらえる。 

  ナマエ  絵を見てもらえることが、僕を受けとめてもらうこと。自分の存在を認めてくれる何かがあるということは、僕にとって生きる理由になりますね。(続)

聴くことの力

 −−聴く側になるご経験についてうかがおうと思います。絵門さんはカウンセラーとしても活動していますね。

  絵門 がん患者さんを相手にカウンセリングをしています。奥が深くて、資格を取った後も勉強中です。相手に誠心誠意寄り添うことに尽きます。来られた方が今何に直面し、何を話したいのか、という点に照準を合わせて聴くんです。

  しゃべっているうちにご本人が気づいたり、方針を固めていったりして、終わるころには前向きになって帰っていかれる。聴く側は質問はしますが、意見は言わない。押しつけの助言はしない。自立した解決策を導くためにはそれが大切なんです。

  ナマエ ラジオをよく聴くんですけど、人生相談って笑っちゃうんですよ。短い時間で答えを出さなくちゃならないから、有名人が何か助言したら相談者が納得していなくても終わり。

  絵門 カウンセリングの授業では「絶対に人生相談をしてはいけない」と教えられます。がんは百人百様だけど、解決策も百人百様。そこまで寄り添いきれないと傾聴にはならない。

  丁寧に聴いて相手が自分で答えをみつけるというのは、日常生活や教育の現場でも実践できる手法だと思います。

  ナマエ 僕は個性が強烈でどうしても人生相談になっちゃう。僕のところに来るメールや電話は個人的な相談が多い。信頼してくれるのはうれしいから誠意あるリアクションを心がけています。でもつい言わなくていいことも言っちゃうんだよね。

  絵門 私にもたくさんのメールが来ます。がんの方からだと、なんとか力になりたいと思ってつい、午前3時や4時まで書いちゃう。励ましや慰めの言葉じゃなくて、「一緒に頑張ろうよ」「生きていこう」と心を込めて書くんです。

  ナマエ 同情されてもうれしくない。「あなたと共にいますよ」という「同体」と、「おかわいそうに」の同情とは違う。失明する僕に対して同情が多かった中、家内は僕の人生の荷物を半分背負って生きていくと言ってくれた。救われました。おしゃかさまの慈悲やキリストの愛も「ともにいる」ということだったと思うんです。

  僕は宗教はないけれど信仰はある。神様のような超越的存在が常に僕と共にあるということを実感しながら生きています。

  絵門 亡くなった母でも神様でもいい、あっちの方に理解してくれる人がいて助けてくれると私は思っている。頭蓋骨ずがいこつに転移していることを思うと果てしなく怖いし不安感もあるけれど、上の方で何か大きな力がそれなりに守ってくれるはず、と考えると安心する。

  ナマエさんの新作「ゆめねこウピタ」では、死んだ後の世界とこっちとが階段でつながっている。本を読み、ゆるやかな階段を明るい光に向かって死んで行くんだと思ったら、ずいぶん楽な気持ちになりました。

  ナマエ 夢にふけっていた猫が閉じこもっていた部屋から一歩出る。外の長い階段を上っているうちにいろんな出会いがあり、出会いの間に無限の孤独があって……、というストーリーです。

  実は天国へは、らせん階段だと思っている。誕生から死に向かって上がっていって、あの世から今度は誕生に向かってらせんを上がる。われわれはある領域に向かってずっと上昇し続ける存在じゃないかな。

 −−上がっていく間の孤独の話が出ましたね。

  ナマエ 完全失明するのは想像を絶する、説明できない孤独感です。孤独の中でいつも物事を確認し咀嚼そしゃくし昇華し、今日から明日へその先へとつなげていく。物語ではそんなこと書いていませんが。

  絶対的な孤独の中でしか見えない希望の光があり、それが真実だと思う。がん告知は命の問題だけれど、画家の失明も命にかかわる事件。絶望のなかで不条理について考えた。僕はなんで生まれてきたのか。こんなつらい思いをするためじゃないはず。ならもっと生きて、死んでいくときに生まれて良かったと思えれば最高じゃないかと。

  絵門 がんは病状の変化のたびにショックを受け、暗闇に入る。でもその都度、一筋の光を探し、前に進んでいく。どん底で見つけだした光は結構、頼もしくて、それで私も長持ちさせられてもらっているかな。

 −−光とは。

  ナマエ 「私はあまねくこの世界を愛している」という超越的存在からのメッセージだった。そんな発想、僕にはまったくなかったのに突然、ぽーんと降ってきた。それが僕の人生に起きた奇跡。愛されている以上は、どんな運命でも、ゆだねることができるようになった。

  絵門 その感じ分かります。私は痛くて苦しくて殺してもらった方が楽だというのを味わったのが転換点でしたね。その後はどこかゲタを預けちゃったというか。それまでにない笑顔が自然に出るようになったと周りから言われます。


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