第二回 11月13日

「余りの命」なんて失礼でしょ

主主治医の中村先生から、がんの勢いを示す腫瘍しゅようマーカーの数値(正常値25以下)が、今月は下がったことを教えられた。900を超えていた数値がおよそ半減。ほっと胸をなで下ろす。

 「どうして前回はマーカーがあんなに上がったんでしょう」と私。

 「この月、何か悪いことした?」と先生。

 「別にしてません」と答えながら、何が悪いことかを把握せずに交わしているこの会話のアバウトさがなかなかいいと思った。「がんなんてそんなもん」と思いたい。

 今まで通り、週に1回の抗がん剤を続けていくことを確認して病院を出た。その後、私はかごから放たれた鳥のごとく、静岡県掛川市で開く「浪漫朗読コンサート」の準備に没頭している。大正元年に生まれ、現在91歳の元気な祖母の子ども時代を元に私が書いた創作童話を、祖母の故郷で上演する。今度の日曜日なので、もう日がない。

 ところで最近、私は悩んでいる。本を読んだ方たちの感想を通して、書いたものが実際よりかっこよくなりすぎるのではないかと感じるからだ。どんなに正直に書いても、良かったことの記憶が抽出されるからそうなるのだろう。だからあえて、ここでは本音の本音を書いてみよう。

 その1。「余命」という言葉には世の中からの退却を願いたい。「余りの命」なんて本当に失礼。余命を言う医者も、聞きたがったり受け止めたりする患者も愚かだと思う。そんな言葉で暗示にかかって何のプラスになるのだろう。

 人は、いつ死ぬかなんて考えず、毎日「今日、死んでもいい」っていう気持ちで生きることだけ考えていればいいと私は思う。がん患者だってがんで死ぬとは限らないわけだから、「あとどれだけ生きられるか」という発想そのものが無駄。

 その2。「早期発見、早期治療」をあんまりうたわれると頭に来る。私みたいに一気に全身に転移させてしまった患者(これは自業自得)や、早期発見して治療したのにすぐに再発してしまった患者もいっぱいいる。そういう人たちは、その言葉を聞いて、実はすねる。自分は落ちこぼれかと、傷つく。

 早期発見、早期治療ができればよいが、しょせん人間のすること、見落としだってあるだろう。私も米粒大のしこりの時に見落とされたが、それを恨んでみても始まらない。

 それよりも、がんという病気は、究極の状況になっても復活する人や何年も共存する人がたくさんいるという点に目を向けたい。「どんな状況で発見されても、打つ手はあって生きる希望を捨てる必要はない」というメッセージがあちこちで聴けたらいいのにな、と私は思う。「転移していても打つ手はある……」という言葉の方が「早期、早期」よりずっといい。

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