| 第一回 11月 6日 |
病気かかえても感謝の日々![]()
| 9月17日、聖路加国際病院の外科外来。主治医の中村清吾先生から、がんの勢いを示す腫瘍マーカーの数値が上がってしまったことを伝えられた。 週1回通院し、抗がん剤(タキソール)の点滴を受ける治療を始めて8カ月目。毎月下がり続けてきたマーカーが、ついに上がった。以前はホルモン剤を使っていた。効いていたが、ある日マーカーが上がり始めたため、抗がん剤に切り替えたのだ。それが……。 「タキソールも効かなくなってしまったんでしょうか」と私。 「うーん、もう1カ月様子をみようか。マーカーが『ちょっと気をつけた方がいい』って言ってるのかもしれないね」と中村先生。 「がんと一緒にゆっくりと」が出版になって、原稿の執筆に向かうだけだった私の日々は激変。私のようにつらい思いをする人を1人でも減らせる役に立つのならと、私は積極的にマスコミに出て体験を話し、本を紹介してもらうことにした。忙しくなり、身内からは「ちっとも『ゆっくりと』になっていない」と忠告される。 中村先生の言葉に対し、「自重した方がいいとは思うんですけれど、これだけがんが転移しているとなると『いつ死んじゃうかしれない』って思って、ついつい今動けるうちあれもこれもしようって詰め込んでしまうんです」と訴えながら、私はお尻に火がついたカチカチ山のタヌキの姿を頭に思い浮かべていた。 そう言えば……。 かつて私のあだ名は「ホリポンタ」だった。「気をつけ!」をすると、太ってもいないのに、なぜかおなかがぽっこりと出てしまう。男の子たちが「堀内(私の旧姓)腹出てる!」「やーいタヌキだ」とはやしたて、以来「ホリポンタ」。 今から24年前、NHKの採用試験のカメラテストの時。緊張しきってカメラの前まで歩いた私は「気をつけ!」をした。「君のあだ名は」と試験官に聞かれ、「ハイ、小学生の頃は『ホリポンタ』でした」と私。理由を聞いた試験官はモニターを見てニヤニヤしながらしきりにうなずいている。「これで落ちた」と思ったが合格した。念願のアナウンサーになれたのもタヌキのおかげかと、あの時私はホリポンタにちょっぴり感謝したっけ…。 「その気持ちはよくわかるよ」という穏やかな中村先生の声で我に返った。 「いつ死んじゃうかわからない」と思っている私が、お尻に火をつけられたカチカチ山のタヌキになって走り回っていても、それを患者の個性、病気に向かう力として尊重してくれる。 「数値よりあなたが元気かどうかということが大切だと僕は思います」 そう言ってくれる主治医に出会えた私のような患者は幸せだ。絶望的な事実を知らされ、希望の光を奪われる言葉を聞かされるために医師の前に座る患者は一人とていないのだから。 診察室を後にし、扉を閉める。「やっぱり私死んじゃうのかな」と、ふと思う。 ただ、がんが全身に転移していてマーカーの数値も上がったという事実が、今日の元気な自分とはほど遠いところにあるような気がする。骨転移で弱くなった首の骨が折れて、治療後も首が自由に動くまでは回復しなかったけれど「いま元気」ということの方が私にとってはリアリティーがある。だから、「ま、いいか」って、笑いながら明日に向かえる。 かつて「ホリポンタ」に感謝したように、これからはお尻に火がついた「カチカチ山のタヌキ」に感謝できればいいなと思っている。がん患者であることは、しばらく忘れていよう。時にゆっくり、時に忙しく、そしていつもにっこりしながら、この日記もつづっていきたい。 |