★山中 翔之郎さんからのメッセージ ーその2
山中さんが、ホームページのためにメッセージを送ってくださいました。


絵門ゆう子さんとの想い出

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絵門ゆう子さんとの想い出 その11 −ユック元年の幕開け−


“ユック元年”とも言うべき、2005年が始まった。
そして、絵門さんはいつも小脇に『うさぎのユック』を抱え、この1年間を休むことなく走り続けた。
「ゆっくりのユック」なんて言いながら、ご自分は一時もゆっくりなんかしていなかった。
少なくとも、私にはそう見えた。 そして、それはきっと私だけでなく、誰の目にも・・・。


暮れの聖路加チャペルでは特別に先行販売されたが、『うさぎのユック』が一般書店の店頭に並ぶ正式な発売日は1月14日に予定されていた。
その日に先立ち、10日には絵門さんがTV東京の番組に生出演してユックを大宣伝・・・! 
ちょうどその日、私はいつも個展を開いている銀座の画廊ボザール・ミューのご好意で、『うさぎのユック』のサイン会をやらせてもらっていた。
TV東京からの帰り道の途中、絵門さんがそのサイン会に寄ってくれた。 
「バッチリ宣伝してきたわよ〜!」
既に6時をかなり過ぎており、お客様も数人いらっしゃるだけで、日中と比べるとだいぶ落ち着きを取り戻しているところだった。 
しかし絵門さんがその姿を現わした瞬間、それほど広くはない画廊の中は、興奮状態覚めやらぬ・・・といった様子の絵門さんのおしゃべりで一気に賑やかさが蘇えった。
「TV東京がすっごく丁寧に取り上げてくれたの。 司会の柴さん(柴俊夫さん)も、とても親切にしてくれたし・・・」 
目をキラキラと輝かせながら、その話はいつ尽きるとも無く続きそうな勢いだった。 
その場に居合わせた人たちは皆、その絵門さんの興奮した話し振りに目と耳を完全に奪われていた。
もちろん私もその中の一人であったことは言うまでも無い。 だから、あっと言う間に小一時間が過ぎ、ようやく満足気に帰られることになった彼女を見送って外へ出るまでは、まさかTV局で用意してくれた車がそこでずっと待っていたなどとは思いも寄らなかった。


1月14日『うさぎのユック』発売の日、私は期待と不安の入り混じった不思議な気分を味わいながら、行き慣れた銀座、有楽町、東京駅近辺の有名書店をハシゴして歩いた。
店によってその扱い方は様々だった。 表紙をこちらに向けてひと目でそれと分かるように並べられているかと思えば、なかなか見つけることが出来ずに店員さんに訊いた店も・・・。 何十冊となく並べられた様々な絵本たちの背表紙の中に、ユックの小さな顔を見つけてホッとしたこともあった。 
その書店ごとの展示の仕方によって、表紙のユックの表情がとても自慢げに見えたり、恥ずかしそうだったり・・・、また堂々としているかと思うと、ちょっぴり不安そうだったり・・・。
それはきっと私自身の気持ちが反映されていたのだろうが、たとえどんな表情に見えたにしろ、私たちの『うさぎのユック』がそうして多くの書店の店頭に並べられ、不特定多数の方々の目に触れるチャンスが現実となったことは、何の疑いも無く大きな大きな喜びであることに間違いなかった。
実はその日1日だけで、私の手許には『うさぎのユック』の入れられたそれぞれ異なった書店の袋が、なんと五つも溜まってしまったのだった。
「偵察してきましたよ」
その日の夜になって、私は絵門さんに報告の電話を掛けた。
「それで・・・、どうでした?」
絵門さんの声は予想していたよりも落ち着いて聞こえる。
「もちろん、どの書店にも並べられて・・・」
「・・・じゃなくて、どの売り場に・・・?」
浮かれ調子の私の話を、厳しささえ感じる絵門さんの声が遮った。
彼女が知りたがっていることを、私はその声を聞いて初めて理解することが出来た。
「そう言えば・・・、どの店も、絵本売り場でした・・・」
心なしか自分の声のトーンが落ちたのを感じる。
「そうか・・・、やっぱりね」
絵門さんの声には、明らかに落胆している気配が感じられた。
まだ絵本の制作中だった11月ごろ、絵門さんは書籍流通に係わる取り扱い店、そして書店向けに、手書きの要望書を書いていたのだ。
そこには、自らの病気のことから始まり、『うさぎのユック』が絵本として出来上がるまでの経緯が記され、最後にその本の取り扱い方ついて彼女が強く望んでいることが切々と書かれてあった。
その原稿を私に見せながら、ご自分の思いを涙ながらに語ってくれた絵門さんのお顔を、今でもはっきりと思い出すことができる。
「この絵本はね、子供たちのためだけじゃないの。 子供たちはもちろんだけれど、大人の人たちにもぜひ読んでもらいたいの。 だから、絵本売り場だけじゃなくて、一般書の売り場にどうしても置いて欲しいんだ。 平積みにして、表紙のユックがちゃんと見えるように・・・。 あのユックを見たら、きっとたくさんの人が手にしてくれるに違いないもの。 子供向けと決めつけないで、あらゆる世代の人たちに読んでもらいたいの!」
その時、私も彼女のその思いに100%同感しながら、思わずもらい泣きをしてしまったっけ・・・。
日本国中の全ての書店を確認したわけではない。 中にはきっと絵門さんの思いを汲んで、彼女の望み通りに並べてくれた書店だってあったに違いない。 たまたま私が行った書店が、残念だがそこまで出来なかったのだろう。 いやその中にだって、個人的には彼女の気持ちを理解してくれていた担当者がいたかもしれない・・・。
「山中さん、くよくよ考えるのは止めよ!」
思わず黙り込んでしまった私の耳に、いつもの元気な声が飛び込んできた。
「私たちがこれから頑張って、否応無しに書店の一番目立つところに平積みさせちゃおうよ」
これが絵門さんの凄いところだ。 くよくよしていても何も始まらない。 そんな暇があったら、まず行動・・・!
「そうですよね。 ユックはすぐに消えて無くなるような絵本じゃないんだから・・・。 必ず平積み・・・させちゃいましょう!」
少し萎えかけていた私の心が、“平積み”を合言葉に、元気を取り戻した。
「ユックの良さが分からない本屋なんて、大したことないよ」
絵門節が益々そのヴォルテージを上げる。 
「その通り!」
私も乗り遅れまいと、受話器に向かって大声で相槌を打った。

あれから2年余りたった現在までにたった1度だけ、絵門さんの地元の書店で『うさぎのユック』が一般書と混じって平積みされているという話を聞いたことがある。 しかしそれ以外は、残念ながら同じような話を耳にした事は無い。
それでも絵門さんは決してめげることなんて無く、きっと天国でも相変わらずの絵門節を炸裂させているんだろうな・・・。
心の中でその声に耳を傾けながら、私はこれから先も『うさぎのユック』を一人でも多くの人たちに知ってもらうように、精一杯のことをし続けていきたいと思っている。 
既にユックを愛してくれている方々の、あたたかい励ましと手助けをいただきながら・・・。 そして、世界中の人たちが『うさぎのユック』を手にする・・・そんな日の訪れを天国で楽しみに待っている絵門さんのためにも・・・。


発売日から数日後、絵門さんからこんな電話があった。
「3月のコンサートのチラシ送りますから・・・・・・・・・・・、目を通してくださいね」
そのいつもと比べるとちょっと控え目なトーンと、微妙に空いた間の長さが妙に気になった。 しかし電話の声からだけでは、さすがに絵門さんの表情まで想像するのは難しかった。

コンサートというのは、その2ヶ月ほど先の3月20日に予定されている、“発売記念公演”と銘打った『うさぎのユック』の朗読コンサートのことだった。 
この話が持ち上がったのは、実はまだほんの2ヶ月ほど前の11月あたりのこと・・・。 
会場となる四谷区民ホールは、地下鉄の新宿御苑前駅から程近いという足の便の良さに加え、その名の通り公立ということで使用料も安い。 よほど条件が悪くない限り、休日が絡む日の予約は受付の始まる半年前からほぼいっぱいになってしまうらしい。 ましてやその日は、暦の上では春分の日で日曜日、当然翌日は振替休日となる。 どう考えてもみてもその時点で希望通りに予約を取ることは不可能に近かった。
ところが・・・、なぜか・・・、信じられないことに・・・、空いていたのだ。
「神様がプレゼントしてくれたとしか思えない!」
コンサート開催決定の連絡は、絵門さんの叫び声にも似たこの一言から始まった。
「休日なんてどの日もいっぱいだって言うのに、この日の夜だけがポカッと空いてるなんて・・・。 神様がやりなさいって言ってるに違いないよ!」
「そ、そうかも・・・」
余りの勢いの凄さに、思わずたじろいだ。
「私も眞由ちゃんも、それに山中さんも3月生まれでしょ・・・。 3月は卯の月・・・。 20日をユックの誕生日にしちゃえば、この日は正に『うさぎのユック』出版記念コンサートのためにあるような日だと思わない」
「・・・・・・???」
一瞬答えに窮する。 
しかし、“こじ付け”と言ってしまえばそれまでだが、なんとも素晴らしい“こじ付け”ではないか。
神様の演出か、あるいは単に絵門さんの“こじ付け”なのかはどうでも良いことだった。 少々強引にでも偶然を必然だと信じ、それを自らのエネルギーにしてしまう・・・。 その絵門さん独特の思考回路から生み出された驚くべき発想を、私は素直に受け入れ、一緒に楽しみたいと強く願った。

さて、「チラシに目を通して・・・」の電話があってから数日後、手元に届いたそのチラシを見て、私は我が目を疑った。
「何? これ・・・」
思わず声が出た。
「お〜い、こんなこと聞いてないよ・・・」
今度は心の中でそう叫ぶ。 年末の聖路加チャペルでかいた冷や汗の感触が俄かに蘇えってきた。
タイトルと比べたらはるかに小さな文字ではあったが、そこにははっきりとこう書かれてあった。
“トーク ゲスト 山中翔之郎”
「目を通して・・・」もないもんだ。 それは校正段階のゲラ刷ではなく、もう既にしっかりと印刷された完成品ではないか。
あの電話の中で妙に気になった不思議な“間”の謎が、この時になってようやく解けた。
その夜、多分無駄だと予想しながらも掛けた抗議の電話の向こうで、
「気がついちゃった?」とケロッとした絵門さんの声。
「勘弁して下さいよぉ〜〜〜」
一応ごねてはみたのだが・・・、
「大丈夫! 何を話すか、前もってちゃんと打ち合わせしましょ。 暮れの聖路加の調子で・・・、ねっ!」
再び冷や汗が背中を伝うのを覚えながら・・・、結局は押し切られてしまった。
絵門さんの「大丈夫!」という言葉に、これまでは幾度となく勇気付けられてきたのだが・・・、この時ばかりは何か嫌な予感がしてならなかった。
そして案の定、その鋭い予感は見事(?)に的中してしまうことになる。

公演当日が近づくにつれ、その日のスケジュールが如何に厳しいものであるかが段々と分かってきた。
確かに、空いてはいた。 しかし、丸々一日を自由に使わせてもらえるわけではない。
「夜だけがポカッと空いてる・・・」という言葉通り、午前・午後とどちらも他の催し物の予定が入っていた。
つまり、私たちが使えるのは前の催し物の撤収作業が完全に終わってからの5:45 P.M.・・・。 音響、照明等の舞台関係から、受付、物販の準備、更にミニ原画展の飾り付けまで、予定された開場時刻 6:15 P.M.までに許された時間は、何とたったの30分しかないのだ。 
そういった世界に慣れていない私には、正に“無謀”を絵に描いたような状況としか思えなかった。
そんな私一人(?)の勝手な心配をよそに、当日へのカウントダウンは確実に進んでいった。
同時にもう一つの心配事・・・トークの打ち合わせについても、それを知った日から2ヶ月近くあったにも拘らず、絵門さんが約束してくれた「前もって・・・」は、ついに当日まで実現しなかった。


2005年3月20日、『うさぎのユック』絵本出版記念公演 浪漫朗読コンサートの日がやってきた。
午後の4時を過ぎた頃からスタッフ・関係者が集まり始め、入館が許される 5:45 P.M.になるのを今や遅しと待っていた。
そしてやがて訪れたあの30分は・・・、今思い出してみても、魔法を見ているかのような30分だった。
ホールの入り口が開けられると同時に関係者全員が一気になだれ込む。 すると今度は、クモの子を散らすように各自担当の場所に向かって走り出す。 正に戦争騒ぎのような光景があちこちで始まった。
私もロビーの一角で、数人の男性陣の助けを借りながら、原画の展示に取り掛かっていた。
「忙しい!」「時間が無い!」「無茶だよ!」「間に合わないよう!」そんな言葉が幾層にも重なり合って飛び交う。
しかし、ふと展示作業の手を止めて周りを見回したとき、私はそこに予想外の情景を見た。
相変わらず聞こえてくる悲鳴にも似た言葉の数々・・・、その間を縫うようにして走り回る人たちの姿・・・。 しかし、一見厳しそうな表情に見えるみんなの顔には、間違いなく笑顔があった。
口々から発せられる言葉とは裏腹に、その表情はまるでこの状況を楽しんでいるかのようにさえ見えた。 いや、実際に楽しんでいたのかもしれない。 なぜなら、今こうして思い出している私自身が、あの時 間違いなく楽しんでいたとしか思えないから・・・。
私はそこに、“絵門ゆう子”という一人の人間が持つ魅力の一端を見る思いがした。
「何とかして間に合わせよう」
「何とかして来て下さるお客様に喜んでもらおう」
「何とかして今日のこの会を成功させよう」
「何とかして・・・、何とかして・・・」
みんなの笑顔の中に、この気持ちが溢れていた。
この気持ちが、大変な状況さえ楽しく感じさせてくれた。
みんなの気持ちが同じ方向を向いて、一つになっていた。
そんな気持ちにさせたのは、きっと“絵門ゆう子”という存在そのものだったに違いない。
「何とかしなきゃ・・・」
人を知らず知らずのうちにそんな気持ちにさせてしまう、何とも不思議な魅力が絵門さんにはあった。
その不思議な魅力がこの30分に魔法をかけた。
そして6:15 P.M.  予定通りホールの扉が開けられたのだった。 
但し、客席へのドアは閉められたままの、ロビーのみの開場だ。 いつまでも外でお客様を待たせるわけには行かない。 それは止むを得ないぎりぎりの選択だった。 
物販と原画展で何とかお客様に楽しんでいただいている間にも、舞台では駆け足の舞台稽古と照明・音響のセッティングが、開演直前まで同時に行われていたのである。

いよいよ開演の時が近づいてきた。
500近い客席は9割方が埋まり、絵門さんご自身が一番心配していたことは解消されていた。
しかしもう一方では、私の中の心配事が更にその度合いを増していたのも事実だった。
聖路加の時は約100人・・・。 それだって頭の中が真っ白になってしまったのに・・・。 それが今日は、何と400人を楽に超える観客の前でしゃべらされるとは・・・。
不安で押し潰されそうだった。
開演前に何とかして絵門さんを捕まえ、トークのヒントだけでも・・・と思ったが、あの直前の状況の中でそれは不可能だった。
予鈴が鳴り響く。 
私は意を決し、前もって指定されていた最前列から3列目の下手側の端の席に座った。
数分後、場内の照明がゆっくりと落とされると、もう何度か耳にしたことのあるアンサンブル・アレーズの奏でる美しい調べが静かに流れ始める。
いくら考えてみてもどうしようもなかった。 考えようにも、何を訊かれるのかも分からない状態では、考えようがなかった。
それこそもう開き直るしかなかった。 
(絵門さんから訊かれたことに素直に答えればいい・・・。 その時心に浮かんだことをそのまま・・・)
目を閉じて、心の中で自分にそう言い聞かせてみる。
すると、それまでずっと胸の辺りに居座っていた得体の知れないモヤモヤが、僅かずつだが消えていくような気がし始めた。 
今度はその空いた場所に、優しく語り始めた絵門さんの透き通った声が静かに流れ込んでくる。
それまでの落ち着きのなかった自分が嘘のように、私はあっと言う間にユックの世界に引き込まれていった。
絵門さんの朗読に合わせて、舞台のホリゾントいっぱいにそのページの絵が映し出される。
その迫力は何とも感動的で、それが自分の描いた絵であることさえ信じられないほどだった。
「超大型の紙芝居みたいね」
このアイデアを思いついた時の絵門さんの言葉が、朗読の声と混じり合ってやたらと懐かしく思い出された。
私はいつの間にか、完全に一観客になっていた。

予定されていた前半が終わりに近づいていた。
「ではここで、休憩に入る前に・・・・・・」
絵門さんの声のトーンが急に変った。
ユックの世界から、いきなり現実に引き戻される。
(そうだ・・・ここでトークだ!)
「それでは、山中翔之郎さん、どうぞ・・・」
緊張する暇もなかった。
ゆっくりと座席から立ち上がってみる。
(あれっ? ドキドキしてないぞ)
そんな自分を不思議に思いながら、目の前の壇上に続く5〜6段ほどの階段を上り始める。
(コケたら格好悪いぞ。 慌てずに、しっかりと足を上げて・・・)
まるで自分以外の誰かがもう一人自分の中にいるかのようだ。
絵門さんが待つ舞台の中央へと歩を進める。
目が合う距離まで近づくと、そこにはいつもと変らない笑顔があった。
ふっと一瞬だけ、ほんの僅かだが、その目が光ったような気がした。
(ごめんね・・・)
私にはそう聞こえた。
(ぜんぜん・・・)
そう微笑み返した・・・つもりだったが、やはりちょっと引き攣っていたかもしれない。
「ユックたちを描いて下さった、山中翔之郎さんで〜す」
マイクを通した絵門さんの本当に声に、私は初めて客席の方に向き、頭を下げた。
スポットライトがこんなに眩しいものだとは知らなかった。 しかし、それでも客席のお客様の顔をはっきりと見ることが出来た。
信じられないが、不思議なほど落ち着いている自分がいた。 
「では、いろいろとお話を・・・」
それからの約5分間は、あっと言う間に過ぎていった。
絵門さんの巧みなリードに助けられながらも、私の口はまるで自分の物ではないかのように次々としゃべり続けた。 あんなに恐れていた人前でのおしゃべりを、いつの間にかすっかり楽しんでいる自分に驚いた。
不安が・・・いつしか快感に変っていた。
打ち合わせ無しのぶっつけ本番・・・。 そんな絵門式スパルタ教育(?)のお陰で、私は“開き直る”ことで生まれる思いも寄らぬ力の存在を知り、人前でのおしゃべりというそれまでの自分には想像も出来なかったことまで、知らず知らずのうちに鍛えられていったのだった。

コンサートは無事に終演の時を迎えた。
既に9時を過ぎているにも拘らず、しばらくの間余韻を楽しむ人たちでロビーはごった返していた。
やがて観客の皆さんの姿が見えなくなると、ほんの3時間ほど前のあの戦争騒ぎが再開された。
スタッフには余韻に浸っていることは許されなかった。 撤収作業に与えられた時間は搬入のそれよりも更に厳しいものだったからだ。
しかし、みんなの表情は明るかった。
大きな仕事を何とか無事にやり終えた・・・という充実感と、それに続く安堵感がどの顔にも満ち溢れていた。

ホールの外に出ると、この時期の夜の風はまだまだ肌寒く感じられた。
みんなで首をすくめながら、それでもようやくこの日一日の余韻に浸ることを許されたかのように、賑やかに話が盛り上がっていた。
やがて別れを惜しみながら、それぞれが三々五々に帰途についていった。
絵門さん、ご主人の健一郎さんを中心に、数人の関係者だけが残っていた。
「なんか・・・、お腹が空いちゃったぁ・・・」
絵門さんの声が響く。
笑い声と共に、そこに残っている全ての人の首が縦に振られていた。
当然の事だが、誰もまだ夕食を口にしていなかったのだ。
急遽打ち上げ会が決定され、目当ての店に向かって移動が始まった。

御苑前から新宿駅の方へ向かう道すがら、絵門さんのおしゃべりに巻き込まれ、足を動かす方が疎かになっていた何人かが、とある交差点で赤信号に捉ってしまった。
健一郎さんを含めた数人は既に信号を渡り、目的の店を探しながら足早に歩き続けている。
その時、何を思ったのか絵門さんが突然両手を広げ、クルクルと回りながら歌を歌い始めたのである。
私は呆気に取られ、最初はそれが何の歌なのかよく分からなかった。 しかし、改めて耳を傾けてみると、その歌はつい先ほどのコンサートで歌われたばかりのものだった。 
それは絵門さんご自身が作詞をし、彼女の友人のシンガーソングライター 樹原涼子さんによって曲がつけられた『光る星があったから』という歌だった。 “『うさぎのユック』のテーマソング”ということで、朗読コンサートの舞台で樹原さんのピアノと歌で発表されてから、まだほんの2時間余りしか経っていなかった。
「これはね、本当は夫が愛する妻に対して歌う歌なんだから・・・。 私が歌うんじゃなくて、私に歌ってもらいたいのよねぇ・・・」
誰にともなくそう呟きながら、絵門さんの視線が宙を舞った。
誰に向かって言いたかったのかは分からない。 しかしやがて落ち着いた視線の先にいたのが、既にだいぶ先を歩いている健一郎さんだと気付いたのは、きっと私だけではなかっただろう・・・。
「世界中の男性に、愛する人のために歌ってもらいたいなぁ・・・」
もう一度、絵門さんの呟く声が聞こえてきた。
信号が青に変る。
遅れてしまった距離を縮めようとするかのように、絵門さんが小走りで交差点を渡りはじめた。
一緒にいた私達も慌ててそのあとを追う。
それに気付いた健一郎さんたちが、歩を止めて待っていてくれた。
(もう、後ろも見ないで先に行っちゃうんだから・・・)
ちょっと膨らんだ絵門さんの頬がそう抗議すると・・・、
(ごめん、ごめん・・・)
健一郎さんが優しい視線でそう答えた。
その後、果たして絵門さんが望むように、健一郎さんが彼女の前で『光る星があったから』を歌ったのかどうか・・・、私には知る由もない。
しかし、あの時私が勝手に想像した二人の無言の会話を思い出すと、たとえ直接声に出して歌うことはなかったとしても、健一郎さんはその表情で、その行動で、いつもあの歌を歌い続けていたのだと思えてならない。
絵門さんは、きっといつもその歌声を心の中で聴きながら、思う存分走り続けていたのだろう。


その翌々日からは、絵門さんの叔母様ご夫婦が経営されているギャラリーで、『うさぎのユック』原画展が開催された。 
その会期中には、ギャラリー内で即席のミニ朗読会が開かれたり、DVDの収録をしたりと、何度か顔を合わせることはあった。
しかしそれも終わってしまうと、絵門さんは、講演に、サイン会に、朝日新聞の連載コラムに、執筆活動に・・・と、それまでにも増して忙しい毎日を送り、私は私で直前に迫った個展の準備に追われていた。
それぞれがそれぞれの生活の中で、時には実際に、また時には心の中で、ユックの絵本をいつも小脇に抱えながら日々を過ごしていた。

2004年は思いも寄らぬことばかりが起きた1年だった。
そしてユック元年に当たる2005年もまた、前年とは違う様々な出来事がこのあとに待っていたのだ。
果してそれがどんなことなのか? 
もちろんその時点で、絵門さんにも私にも分かる筈はなかった。
ただ少なくともあの頃の私は、絵門さんの病気がよくなっていくことを・・・、元気になった眞由ちゃんに会えることを・・・、『うさぎのユック』が世界中に広がっていくことを・・・、ひたすら信じ、そして祈っていた。
2007年5月6日

山中 翔之郎
絵門ゆう子さんとの想い出 その12 −天使だった眞由ちゃん−

「眞由ちゃん、学校に行き始めたんだって・・・」
4月の初め頃だったか、絵門さんの目茶苦茶に明るい声でこのことを知った。
「よかったよねぇ、本当に・・・。 今度、山中さんも一緒に眞由ちゃんに会いに行きましょうね!」
「ええ、是非々々!」
こんな会話を交わしながらも、その頃の絵門さんは『がんと一緒にゆっくりと』の続編の執筆に追われ、実際には「今度」が一体いつのことになるのか見当も付かない状況だった。
それでも元気になった眞由ちゃんに会えるということは、絵門さんにとって間違いなく大きな楽しみであり、更なるエネルギーの源となっていたのだろう。

絵本『うさぎのユック』の制作という共通の仕事を終え、その発売記念コンサートも無事に終了し、当然のことながら絵門さんと会う機会は少なくなっていた。 たまに会うことがあっても、以前のように時間を忘れて話し込む・・・というようなことは滅多に無くなり、いつも何かの予定に追われているように見えた。
今思い返してみても、あの頃の絵門さんはそれまで以上に無理をしていたように思えてならない。
「無理しないで・・・」という言葉は、絵門さんの前では相変わらずタブーだった。 うっかりそれを口にしようものなら、口元をキッとさせた絵門さんに大きな眼で睨まれてしまったものだ。 それでも思わず口から出そうになってしまうほど、絵門さんはいつもいつも休むことなく走り続けていた。
『がんと一緒にゆっくりと』続編の執筆と並行して、毎週木曜日連載の朝日新聞のコラムは相変わらず続いており、さらにその合間を縫っての講演等は数知れず・・・。 5月には相田みつを美術館友の会主催の『うさぎのユック』朗読会が開かれ、飛び入りで参加させていただいた私は、その余りの盛況振りに少なからず驚かされたものだ。
一方そうした忙しい時に限って、絵門さんが事務所を兼ねて借りていた茅場町のマンションの一室でかなり大きな水漏れ事故が起きた。 そのあとの処理には予想外の時間とエネルギーを費やさなければならなかったらしく、さすがの絵門さんも「ちょっと参ったな・・・」と、何回となく彼女らしくない弱気な言葉を漏らしていた。

眞由ちゃんに会いに行く・・・という話しは、お互いにその気持ちは充分過ぎるほどあっても、なかなか実現できそうに無かった。
具体的な予定が立たないまま毎日が過ぎていった。 それでも大きな楽しみであることにはいささかの変わりもなかった。
しかし、その楽しみは、長く続いてはくれなかった。

早くも初夏の気配が感じられるようになったある日、いつもの絵門さんとは別人のような暗い声が、辛い知らせを伝えてきた。
「眞由ちゃん・・・、再発しちゃったんだって・・・」
「えっ!」
頭を何か硬いもので思い切り殴られたような強いショックを覚えた。
小児ガンについて何の知識も無い私は、浅はかにも骨髄移植を受けることができた眞由ちゃんは100%完治するものだと思い込んでいた。 全く予想もしていなかった現実を突然目の前に突きつけられ、私はしばし言葉を失っていた。
「大丈夫だよ。 真由ちゃんみたいないい子が死んじゃうはずないもの。 絶対に治るから!」
電話を通して双方に漂う、まるで凍り付いてしまったかのような雰囲気を振り払うかのように、絵門さんが語気を強めて叫んだ。 しかし、それも一瞬のことだった。
「だから・・・、山中さんも・・・、眞由ちゃんのために・・・、祈ってあげてね・・・」
段々とその声が小さくなり、やがて涙声に変わっていくのがはっきりとわかる。
「も、もちろん!」
私は心の動揺を必死に抑えながら、しかしそう答えるのが精一杯だった。
お互い多少の無理をすれば、眞由ちゃんに会いに行くこともできただろう。 しかし、“再発”という事実が、かえってそれをし難くさせてしまった。
“お見舞い”ではなく、元気になった眞由ちゃんに会えると、絵門さんも私も信じて疑わなかったのだから・・・。
その後絵門さんを通して伝わってくる眞由ちゃんの病状は、決して楽観できるものではなかった。 それと並行して、絵門さんの声のトーンはだんだんと低くなっていくように感じられた。


7月に入ると、私はまた例年通りの聖路加個展を迎えていた。
会期前半の7月5日、お昼までにはだいぶ時間があり、人の通りもまだそれほど多くはない。
私は昼食時の混雑に備え、ポストカードのチェックをしていた。
「おはようございま〜す!」
振り返ると、そこにはいつものあの笑顔があった。
直接お会いする時、絵門さんはいつも必ず笑顔を見せてくれた。 たとえ、普段は高いその声のトーンが落ちてしまうほどの辛い心配事があったとしても・・・。
「あれっ、今日はずいぶん早いですね」
それまでの聖路加個展では、大抵の場合昼を過ぎてから来てくださることが多かった。 抗がん剤がぶら下がった点滴棒をカラカラと引っ張りながら・・・。
(あれっ・・・?)
そこで初めて気が付いた。 いつも必ずお供のように傍らにあるはずの点滴棒が、その日に限っては無かったのだ。
怪訝そうな私の様子を見て、絵門さんが私の心の中を見透かすように答えた。
「今日はね、点滴は無しなの。 診察も早く終わっちゃったし・・・」
一見いつもと何の変わりも無いように思えるその笑顔の中に、私は微かではあるがそれまでとは違う何かを感じていた。

他のお客さんの対応を終えて絵門さんの方を見てみると、いくつもアトランダムに掛けられている小品の中の一点を、ジ〜ッと見入っている彼女の姿があった。
静かに近づき、その視線の先を確認する。
それは、15cm×30cmの大きさの額に入った縦に細長い作品で、虹を眺める白猫の後ろ姿を描いたものだった。
「『天に続く橋』・・・ね」
絵門さんがその作品に付けられたタイトルを声に出して読んだ。
特に深い意味を考えて付けたわけではない。 しかし、そのときの絵門さんにとって、そのタイトルは何かとても大きな意味を持っていたようだった。
「この絵、下さい!」
私の方に振り向くこともなく、突然はっきりとした口調で絵門さんはそう言った。
「うわっ? お買い上げいただけるんですか?」
急な申し出に少々驚きながら、私はちょっとお道化てそう答えた。
絵門さんはそんな私の様子にはお構いなく、相変わらずその視線を動かさずに続けた。
「まさに、今の私の心境そのものね・・・」
「えっ? どういうこと・・・?」
思わず真剣になった私の口調に、ようやく絵門さんがこちらを見た。
「エヘヘ・・・、つまり・・・、そういうことなの」
「・・・・・???」
不思議な笑みを浮かべたまま、絵門さんはそれ以上を語ろうとはしなかった。
「売約済みのマーク、ちゃんと付けておいて下さいね。 絵門ゆう子様お買い上げ・・・って書いちゃって構わないから・・・」
笑いながらそう言うと、まだ要領を得ないままでいる私から逃れるかのように、反対側の壁に掛けられた別の絵に視線を移した。
「この絵もいいのよねぇ・・・」
そう呟きながら指したその先には、虹と白猫の絵よりほんの一回り大きく、同じような縦長の額に入れられた、昇る朝日を見つめる子犬の後ろ姿があった。
『はるかなる思い』というタイトルを小声で読み上げると、時々「う〜ん・・・」とため息にも似た声を漏らしながら、しばし何かを考えているように見えた。
「あっ、いけない!」
突然絵門さんの身体がバネ仕掛けのおもちゃのように跳ね上がった。
私までつられて飛び跳ねそうになるほどの慌てようだ。
「どうしました?」
「約束があったの、忘れてたぁ・・・」
「ええっ?」
「ごめんなさい。 すぐに行かなくちゃ・・・」
絵門さんはそう言いながら、早くも玄関に向かって小走りに歩き始めていた。
ところがまだ数メートルも行かないうちに、いきなりUターンをして戻ってきた。
「あの絵、本当にお願いしますね」
そう念を押しながら、もう一度『天に続く橋』に視線を向け、さらに一瞬だけ『はるかなる思い』にも視線を投げ掛けたかと思うと、今度は小走りとはとても言えない速さで玄関に向かって走り始めた。 前を向いたまま、片手をちょっとだけ挙げながら・・・。
私はしばらくの間呆気にとられたまま、絵門さんの姿が消えた玄関の辺りをただボーっと見ていた。
何だか狐につままれたような気分だった。
更にそれからまだ10分ほどしか経たないころ、絵門さんからメールが届いた。
《わんちゃんの後ろ姿も買わせてください 売約済みマークお願いします》
その狐は、私を1度つまんだだけでは気が済まなかったようだ。
何だか訳の分からないまま、それでも私は急いで売約済みの赤いマークを二つの作品に付けた。

実は、聖路加の個展が始まるよりも前に、絵門さんは一つの大きな決断をしようとしていたらしい。
私が実際にそのことを聞いたのは個展が終わった後で、彼女がその決断してからしばらく経ってからのことだった。
「私ね、タキソール止めることにしたの・・・」
どんな話の流れからその話題になったのか、今でもはっきりと思い出すことができない。それほど何気無いおしゃべりの中で、ごく自然に飛び出してきた話だった。 まるで「ケーキ食べるの止めようかな・・・」みたいな感じの言い方に、その“タキソール”という言葉の意味を瞬時には理解することができなかった。 その5文字の言葉の意味するものが、2年以上も彼女が続けてきた抗がん剤の名前であることにようやく気付くと、今度はその“止める”が何を意味するのかという疑問で頭がいっぱいになった。
「止めちゃうって・・・・・?」
そのあとの言葉が出てこない。
「うん・・・、いよいよ効かなくなって来ちゃったみたいなの」
「えっ?」
驚く私には構わず、絵門さんはまるで自分自身に言い聞かせるような、ゆっくりと落ち着いた口調で話を続けた。
「先生は別の薬に変えようって言うんだけど、むしろ思い切って止めるいいチャンスだと思うのね・・・」
その言葉に・・・、聖路加で点滴棒のお供がなかったこと、笑顔に感じた微かな違和感、『天に続く橋』を見て発した謎の言葉、そのどれもが一瞬のうちに結びついたような気がした。
更にその言葉と重なるようにして、ちょうど1年前に聞いた絵門さんの言葉が鮮やかに甦ってきた。 

「いつか絶対に止めてやるんだ!」
ユックの絵本化の話が再燃し始めた頃のある日、抗がん剤について話をしていた絵門さんが、笑顔のままで突然そう宣言したのだった。
「いつまでもずっと続けるつもりはないの。 だって私は治るためにこの薬を使っているんだから・・・。 今の薬がやがて効かなくなって、新しい薬に変え、それもまた効かなくなって・・・、その繰り返しの末に死んじゃって、よく持ちましたね・・・なんて冗談じゃない! 私は完治するんだから! 今は進行を抑えるために抗がん剤を使っているけど、いつかは止めて、自分の免疫力で治す道を選びたいの!」
私はその話の内容以上に、絵門さん自身の迫力に圧倒され、ただ黙って聞いていることしかできなかった。
抗がん剤を止めるという選択が果たして正しいのか否かは、知識も経験も無い私には全く見当も付かないことだった。 ましてや絵門さんにあれこれ意見できるような立場ではないことも充分にわかっていた。
「そうですか・・・」
私にはただそう答えるしか出来なかった。
確かに医学的なデータからすれば、種類を変えながらでも抗がん剤を続けることがベターなのかもしれない。 しかし、抗がん剤治療に対する絵門さんの考えには、データのみでは決して判断できない、何か不思議な力を予感させる意思の強さが感じられた。


数日前に終わった聖路加個展の余韻がまだ抜け切れない7月14日の朝早く、絵門さんから届いたメールに、私はしばらくの間身動きができなかった。
絵門さんにとって、そして私にとっても、とても悲しい出来事があった。
《眞由ちゃん、夕べ天国に旅立ちました。 今日なんとか時間作ってお別れに行ってきます》
その一見事務的な文面の中に、絵門さんの心の中の全ての感情が痛いほど感じられ、私の胸に何万本もの矢になって突き刺さってきた。
泣きながら必死にメールを打つ絵門さんの姿がはっきりと目に浮かんで見えた。

やらなければならない事がたくさんあったはずなのに、ほとんど何も手につかないまま一日が過ぎてしまった。
辛うじてしたことといえば、辛い思いを振り払って眞由ちゃんのご自宅にお悔やみのお電話をしたこと。 そして、同じように絵門さんからのメールで眞由ちゃんのことを知った金の星社の東沢さんと、翌日のお通夜の前にお別れに行く約束をしたことくらいだった。
その日の夜、だいぶ遅い時間になってから電話が鳴った。
「こんばんは、絵門です・・・」
当たり前かもしれないが、その声にいつもの元気は感じられない。
「お疲れ様でした」
私の頭にはそんなありきたりの言葉しか浮かばなかった。 慰めようにも、私自身にそんな余裕はなかった。
「眞由ちゃんね・・・、まるで天使みたいだった・・・」
その声までが、涙に濡れてぐしょぐしょになっているかのようだ。
私はぐっと胸がつまり、何も言葉を返すことができなかった。
「そうだ・・・、眞由ちゃんは天使だったのよ。 きっと神様が人間の姿にしてこの世に遣わしたんだわ」
涙声に変わりはなかった。 しかし、私はその言葉の中に、不思議な力強さが頭をもたげ始めたのを感じていた。
「最後に電話で話した時、眞由ちゃん私になんて言ったと思う?」
「・・・・・?」
「絵門さん、ありがとう、からだ、気をつけて・・・って。 自分が呼吸するのも大変なのに、私のこと心配して・・・」
「そうだったんですか・・・」
「そんな優しい心を持ったいい子が、何故14歳で死ななければいけないの?」
「・・・・・・」
「やっぱり、眞由ちゃんは天使だったんだ。 眞由ちゃんがいなくなってしまうことで、たくさんの人たちを思い切り悲しませて・・・、めちゃくちゃ寂しがらせて・・・、命がどんなに大切なものか、生きていることがどんなに大変で、どのくらい素晴らしいことなのかを人間たちに思い出させるために、神様が天国に呼び戻したのよ」
私は涙を堪えることができず、何度も鼻を啜りながら、絵門さんの言葉に頷いていた。

翌日の午後、私は東沢さんと共に、眞由ちゃんとのお別れに焼津へ向かった。
「お通夜には行かれないんですか?」
前夜、東沢さんとの約束を伝えながら、絵門さんに確認してみた。
「うん。 私は今日充分お別れをしてきたから・・・。 それに、きっとたくさんの方が来られると思うのね。 だから、私は・・・」
絵門さんの気持ちが何となくわかるような気がして、それ以上誘うことは止めにした。

3時を回った頃には眞由ちゃんのお宅に着くことができた。
ご両親、お姉さんはもちろんのこと、眞由ちゃん本人と会うのもその日が初めてだった。
「眞由ちゃん、初めまして・・・。 眞由ちゃんの代わりにユックを描いた山中です。 もっと早く会いたかったな・・・」
思わず声が震え出す。
私は眞由ちゃんの小さなおでこにそっと手を置いてみた。
一瞬ピクッとその身体が動いたような気がした。
しかし、眞由ちゃんは穏やかな表情を浮かべて眠ったままだった。
「山中さんも何か一言書いて上げてください。 眞由ちゃんに持たせてあげるので・・・」
そう言ってお母さんがユックの絵本を手渡してくれた。 前日絵門さんがその本を手に眞由ちゃんに読んであげたことも始めて知った。
お通夜の日ではなく、かなりの無理をしてでもその前日にお別れをしに来た理由が判った。 
絵門さん、どうしてもご自分で眞由ちゃんにユックを読んで聴かせて上げたかったのですね・・・。 そして誰にも邪魔されることなく、ゆっくりお別れしたかったのですね・・・。

やがて始まったお通夜に、しばらくの時間同席させていただくことになった。 
中学校の同級生だけでなく、小学校時代のお友達、先生方、そして馴染みまで・・・。 また、同じ病院で一緒に病気と闘った仲間たちのご家族、その先生方・・・。 その他にも眞由ちゃんとそのご家族を知る多くの方々が、いつ果てるとも無い長い長いお別れの列を作っていた。
その一人一人と手を握り合い、共に泣きながら眞由ちゃんの想い出を語り合うお母さん・・・。 その傍らで何回も何回も頭を下げ続けているお父さん・・・。 そして、気丈に笑顔を作りながらも、時にハンカチを目に当てるお姉さん・・・。
お焼香だけの一種形式的なお通夜の形にいつの間にか慣れてしまっていた私は、今目の前で繰り広げられている心のこもったお別れの情景に、限りない悲しみと併せて大きな感動さえ覚えていた。
絵門さんが泣きながら言っていた言葉に、私は改めて心の底から同意していた。
眞由ちゃんは、確かに天使だった。


あんなに全快を信じ、再会を楽しみにしていた眞由ちゃんが天国へ旅立ってしまったことは、疑うまでも無く絵門さんの心に大きな大きな穴を開けてしまっていた。
誰の目も届かないところでは、きっと悲しみと寂しさに涙を流すこともあったのだろう。
しかし、少なくとも私の目に映る絵門さんは、それまでと変らずにいつも笑顔を絶やすことなく、さらに精力的に毎日を走り続けているように見えた。
ただその笑顔の後ろには、それまでとは比べ物にならない恐ろしいほどの気迫がはっきりと感じ取れた。
自分の選択した道を信じ、納得の行くまで歩き続けようとする決意の現れだったのかもしれない。
それはまるで、眞由ちゃんの分まで私が生きる・・・とでも言っているかのように見えた。


『天に続く橋』と『はるかなる思い』の2作品は、個展という場で絵門さんにお買い上げいただいた、初めてで最後の作品だった。
眞由ちゃんとの悲しいお別れからしばらく経ったある日、私はその二つの絵を届けに、日本橋に近いビルの1階にある絵門さんの事務所を訪れた。
絵門さん曰く、「わざわざ」白い壁の上部には絵を掛けるためのピクチャーレールが取り付けられ、そのフックには既に何本かの絵画展示用のワイヤーが下げられていた。 それは私がいつもの個展会場では使ったことのないような、小品を掛けるには少々立派過ぎるものだった。 
私は思わず苦笑いを浮かべながらも、そんなところに絵の到着を楽しみにして下さっている絵門さんのお気持ちを感じ、とても嬉しい思いで胸がいっぱいになった。
既に運んであった『うさぎのユック』の原画数点と共に、その後ろ姿の猫と犬が白い壁に飾り付けられると、決して広いとは言えない事務所の中が急に明るくなったように感じられた。
ワイヤーの先に付けられた額の紐を掛けるためのフックが立派過ぎるせいか、小さな額たちは壁から随分と浮き上がって不安定に見えた。
個展会場での飾り付けに慣れた私の目は、微かではあるがもう少し何とか・・・という物足りなさを感じていた。
しかし絵門さんにとって、そんなことは大した問題ではなかったようだ。
「最高! 何だか・・・、すご〜くホッとする感じね」
ゆっくりと部屋の中を見回しながら、絵門さんが目をクリクリさせている。
私はちょっと照れ臭い気分になり、その声には気付かない振りをした。 そして、心の中の自分勝手な物足りなさをそおっと消し去ることにした。
実はその事務所の一角で、同じ病気に悩む方々のカウンセリングを行う計画も進んでいた。
絵門さんの頭の中は、既にその計画が実現されたときの情景でいっぱいになっていたのかもしれない。
「こんな雰囲気の中でゆっくりお話しできたら、確実に免疫力アップしちゃうな・・・」
満面に笑みを浮かべた絵門さんの視線が、静かに宙を舞い始めていた。


8月もあと数日を残すのみとなった頃、関東地方に台風が接近しつつあった。
そんな日の夜、絵門さんからいただいたメールの中にこんな一文があった。
《すごい風と雨になってきましたね。 台風になると心の奥が揺さ振られるような感じにいつもなるのです。 変ですね。》
いったい何が絵門さんの心を揺さ振っていたのだろうか・・・?
何か予感めいたものがそうさせたのだろうか・・・?
きっと絵門さんご自身もそれが何なのかわからないまま、それでも前を向いて走り続けていたのだろう。
台風が去ったあとの風の中には、はっきりと秋の訪れが感じられた。


付 記

“想い出 その4”の付記に書いた、『浪漫の詩』と再会したのと同じ日、実は『天に続く橋』と『はるかなる思い』の二つにも再会していた。
たくさんの美しい花々で囲まれた祭壇のあるお部屋の一角に、その二つの絵は飾られていた。
その前で、私はご主人の健一郎さんに、聖路加での絵門さんとのやり取りを懐かしく想い出しながら伝えた。
「今の私の心境そのもの・・・」というあの謎の言葉に、額の裏に書かれたタイトルを見ながら、「何を考えていたんでしょうね・・・」と健一郎さんが呟いた。
そのとき、その部屋のどこかで、絵門さんと眞由ちゃんの二人がニコニコしながら私たちの会話に耳を傾けているような・・・、ふっとそんな気がした。
2008年3月7日

山中 翔之郎
絵門ゆう子さんとの想い出 その13 −絵門さんが・・・怒った?−

《 絵本にサインを入れていただきたいのですが、事務所の方へ来ていただけますか?》
9月も半分近くが過ぎた頃、絵門さんから届いたそのメールは、私をホッとさせると同時に、ちょっぴりドキドキさせてもいた。

翌日の夕暮れ近く、私は茅場町の駅から日本橋方面へ向かって歩いていた。
いつもならばまた何か新しい楽しみを期待してウキウキ気分でいるところだが、その日に限っては、絵門さんの事務所が近づくにつれ、それまでには感じたことのない複雑な感覚に襲われていた。

ちょっぴり辛い想い出・・・。 でも、何もかも思い出そうと決めたのだから・・・。

それはさらに数日前のこと・・・、9月に入ってまだいくらも経っていないある日・・・、絵門さんが・・・、電話の向うで・・・、怒った・・・。
いったい何がきっかけでそうなってしまったのか? 実は今でもはっきりと思い出せない。
いつもと何の変わりもなく話をしていたつもりだったが、そんな私の言葉の中に、絵門さんにとっては聞き捨てなら無い何かがあったのかもしれない。
気が付くと既に2時間近くもの間、私は受話器を耳にきつく押し当てたまま、一言も言葉を発することなく固まっていた。
「気付いていないかもしれないけど、山中さんもしっかりバリアを作ってるよ!」
そんな激しい言葉に、ハッとさせられた。
“バリア”とは、つまり“病気の人と健康な人との間にあるバリア”。 絵門さんにとっては天敵の如き存在。 彼女が如何にその存在を無くそうと望んでいたか・・・。 私も彼女の言葉や行動からそれを強く感じ、そして同じ思いでいたつもりだった。 その憎むべき“バリア”が私自身の中にあると言われたときのショックといったら・・・。 今思い出してみても、胸がぎゅっと締め付けられる。
反論のしようも無かった。
何故なら、自分の中のバリアの存在など、想像どころか意識したことすら無かったのだから・・・。
私の口は固く閉じられた二枚貝となり、途切れることなく続く絵門さんの言葉に、ただじっと耳を傾けていることしか出来なかった。
さらにどのくらいの時間が経ったのだろう。 ふと気が付くと、絵門さんの声が、受話器から聞こえなくなっていた。
ほんの数秒の間をおいて聞こえてきた声は、その直前まで私の鼓膜を震わせていたものとは明らかに違い、いつもの聞き慣れたそれに戻っていた。
「なんか私一人で喋っちゃったけど・・・」
「いや、そんなことは・・・」
2時間ぶりで搾り出した声はえらくかすれていて、自分のものではないようだった。
「私はもう言いたいことは全部言ったから・・・」
「・・・・・」
「だから、山中さんも、考えてみてくださいね」
その声は何だか妙にすっきりしたように聞こえた。 その余りの変わり様に、一瞬だけほんの少し前のことが悪い夢だったように思えた。
しかし、私の中にしっかりと残っているショックは、紛れもない現実だった。
それからしばらくの間、私はそのショックから簡単に抜け出すことが出来ないでいた。
そして・・・、数日が過ぎ・・・。


絵門さんの事務所の前に立ち、1度だけ大きく深呼吸をしてからドアをノックする。
「は〜い!」
厚いガラス越しで少し籠もったように聞こえてきたその声には、それでもいつもの明るさが感じられた。
半分まで下ろされたブラインドの隙間から中を窺うと、絵門さんが笑顔で手招きをしているのが見える。
私はホッとした気持ちがみるみるうちに増えていくのを感じながらも、まだ少しだけドキドキ気分を残したままドアを開けた。
「何だか・・・、ちょっと照れ臭いですね」
何となく感じたバツの悪さが、私におかしな挨拶をさせた。
確かに、直接話しをするのはあの恐怖(?)の2時間電話以来初めてだった。
「何でぇ〜?」
「いやぁ、このあいだの絵門さんは凄く恐かったもの・・・」
「そんなことないよぉ〜」
絵門さんが少しお道化て口を尖らせる。
「でも、正直ショックでした。 思ってもみなかったことだから・・・」
「・・・・・」
一瞬の沈黙が、あの時の居た堪れないような気分を思い出させる。
すると、視線を宙に浮かばせたまま、絵門さんの口がゆっくりと開いた。
「多分・・・、きっと・・・、そんなこと無いと思うのね」
「えっ?」
言葉の意味がよく分からない。
「つまり・・・、このあいだのことだって・・・、きっと山中さんは何も変わってないと思うのね。 でも何だか気になっちゃって・・・。 一端そう思ったら、もう黙っていられなくなっちゃった」
「・・・・・」
「最近よく感じるんだけど、抗がん剤が効かなくなり始めたせいなのかな・・・、考え方が屈折してるって思う時があるの」
「そんなこと・・・」
「ううん、そうなの。 今まで別に気にならなかったことが、妙に気に障ったり・・・」
絵門さんの話す様子は、私に対してというよりは、何か自分の心の中を探りながら、自身に向かって語り掛けているように見えた。
「どうも私の悪い癖なのよね・・・」
「・・・・・・?」
「たとえば一緒の仕事をしていて、この人とは気が合うな・・・と思うと、もうそれだけで、私が考えていることは何もかも100% 理解してくれてると思い込んじゃうのね・・・」
期待はずれだと言われたような気がして、ドキッとする。 確かにそんなところもあるかもしれないが・・・。
「それが原因で、今までにも随分いろんな人とぶつかったりもしたし、時には自己嫌悪になっちゃったり・・・」
「そんなぁ・・・」
「私・・・、とにかく思っていることを全部言わないと気が済まないのね。 でも、時々その気持ちが強くなり過ぎると、何だか気が付かないうちにカッカしちゃって、自分でも何を言いたかったのか判らなくなったり、言わなくてもいいことまで言っちゃったりして・・・」
ふとあの時の電話の声が甦ってくる。
黙ったままでいる私に、ようやく絵門さんの視線が向けられた。
「でも、よかった・・・。 とにかく聞いてくれたから・・・」
「えっ?」
「山中さんは、とにかく私がどんなことを考えているか最後まで聞いてくれたから・・・。 だから、私はもうこのあいだのこと、何も気にしていないからね。 ただ・・・、山中さんの方がどう思ったか・・・。 面倒臭い奴だって思ったでしょう?」
「そんなことは・・・」
私は何故か慌てて否定しようとしながら、実のところはどうなのか、心のどこかで考えていた。
「面倒臭いと思うよ、私みたいな性格は・・・」
私の答えを待つことなく、絵門さんが笑いながら話し続けた。
「でも・・・、一方的に言いたいことを言っちゃった私から言うのもなんだけど・・・、私はこれからも山中さんといろいろ仕事をしたいと思ってるの。 ユックをもっともっといろんな人たちに知ってもらいたいし、第2弾の絵本も早く作りたいし・・・」
心の中で何かが目を覚ますのを感じる。
「もうすぐ新潮社の原稿も書き終わるから、そうしたら第2弾、本腰入れて書き始めるからね。 今度は猫と犬が主人公のお話だから、山中さんのお得意でしょう。 その時は、また是非お願いしたいと思ってるし・・・」
目を覚ました何かが動き始める。
「いろいろな意見の違いは・・・、それはそれで遠慮なくぶつけ合って・・・。 でも、足踏みしていたら時間がもったいないもの。 少しでも前に向かって進んでいたいから・・・」
私の中で“面倒臭い”という言葉は既に大した意味を持たなくなっていた。
確かにあの電話のことから数日間はきつかった。 実際、もういいか・・・という思いを一瞬でも抱かなかったかというと嘘になる。 期待していた第2弾の絵本の夢が消えかけた瞬間も合った。
しかし、100%何の不満も意見の違いも無い人間関係なんてあり得るだろうか? 先ずお互いが何を考えているのかを知ろうとすることが大切なのだ。 その答えがなかなか見つからなくても、あるいは理解し切れなくても、無理に急いで結論を出そうとしなくてもいい。 今いくら考えても分からないことは判らないままでいい。 そのことを面倒臭いと思ってすべてを投げ出してしまう必要なんて無い。 その時がくれば自然と答えは見つかるはずだから・・・。 寧ろ大切なのは、今、自分が何を最優先にやるべきかを見極め、それを信じて全力を尽くすこと。
ご本人曰くの“面倒臭い”所もひっくるめて、これから先も絵門さんと一緒に仕事をしていきたいと、私は強く思った。
決して曖昧にしてしまうのではなく、疑問点はそれとしてしっかりと心に留めながらも、立ち止まることなく前を向いて進むことを、私も選んだ。
「第2弾、早く書いて下さい。 お話が出来ないことには、絵が描けないから・・・」
自分の声に、無意識のうちに力が入る。
「うん、わかった!」
さらに力強い声が返ってくる。
「でも・・・、今度はもうちょっと時間を下さいね」
冗談っぽく言った私に、いつもの笑顔が頷いてくれた。


絵門さんが天国へ旅立ってから約2年余りの間に、彼女と関わりのあったたくさんの方々からいろいろな想い出話を伺う機会があった。 私よりもずっと身近で長い間絵門さんとお付き合いをしていた方々からすれば、今回の私の想い出話などは、「まだまだ、甘い、甘い」「“怒る”のはゆう子の代名詞」「そんなことは日常茶飯事」などと笑われてしまうかもしれない。
確かに、“絵門ゆう子”という強烈なキャラクターに対する免疫力が、私の中にはまだ出来ていなかったのだろう。 あの時の“怒り”だって、そんなに大袈裟に考えなくてもと言われれば、その通りかもしれない。 しかし、当時の私にとって、やはりあの電話での2時間の印象は余りにも強烈だった。
思い出したくなかった・・・というのとはちょっと違う気がする。 ただ、多少なりとも免疫力が上がるまでは、無意識のうちに思い返すことを避けていたのかもしれない。
今このような機会をいただくことで改めてあの時を振り返ってみると、これまで漠然と抱き続けていた印象とは違うものを感じている自分に驚いている。
あの時の絵門さんは・・・、実は・・・、怒っていたのではないのかもしれない。
確かに腹を立てた瞬間があり、かなり厳しい口調で、時には感情的になっていると思えることもあった。
しかしそれは、きっと自分の思いを必死になって伝えようとしていたからではないだろうか。
何とか伝えたいと思うエネルギーが余りに強く大きなために、その口調がまるで怒っているかのように聞こえたのかもしれない。
(どうせ分かってくれない)と諦めたり、(まあ、いいか・・・)と自分自身をも誤魔化してしまう程度の中途半端なやり方では、到底自分の気持ちが相手に伝わることなど望めない。
それまで築き上げてきた関係を壊してしまうかもしれないというリスクを冒すほどの覚悟。それを持ってぶつかっていって始めて、本当に自分の気持ちを相手に伝えることが出来るのかもしれない。
絵門さんはそれが出来る、いや、そうしなければいられない人だったのだろう。
その時はお互いが辛い思いをしたとしても、伝えたいと思う気持ちが正直且つ真剣であればあるほど、後々時を経て思い返したときに残るのは、その辛さに換わる言いようのない懐かしさと、忘れ得ぬ笑顔の記憶なのだ。
まさに今の私がそうであるように・・・。


今回書いたことを思い出しながら、私はふとあることを思いついた。 
『がんと一緒にゆっくりと』の続編『がんでも私は不思議に元気』を、私はこれまでじっくりと読んだことが無かった。 出版直後に絵門さんから戴いた時、さらっと流し読み程度はしたような気もする。 しかし、なぜかじっくり腰を据えて読むことがないまま今日まで来てしまった。
考えてみると、絵門さんはユックの絵本が刊行された頃からいつも口癖のように「締め切りが・・・」と言っていた。 それにも拘らず、実際に脱稿したのはあの年の10月の初めだったと記憶している。
もしかしたら・・・という思いで、本をめくってみた。
あの時絵門さんをあんなに熱くさせてしまったきっかけが、その本のどこかに隠されているかもしれない・・・。 そんな気がしたからだ。
そして、じっくりと時間を掛けて読み進めていくうちに、まさに・・・と思える文章を見つけることが出来た。
その本の最終章となる第七章の中ごろに「セクハラならぬがんハラ?」というタイトルのついた、“バリア”に拘わることが書かれた部分がある。 その中のいくつかの文章を読んだ時、私はまるで自分に向けて言われているような錯覚に陥ってしまった。
絵門さんがどういう順番で原稿を書き進めていたのかはまったく知らない。 しかし、ある程度順番に沿って書かれたのだとしたら、私を驚かせた部分は、あの最後の追い込みの時期にあたる9月ごろに書かれた可能性がかなり高い。
そう考えただけで、私は改めてあの頃の絵門さんの気持ちを思い出し、胸が熱くなるのを抑えることができないでいる。
“バリア”を取り払う重要性を訴えながらも、絵門さん自身も自らバリアを作ってしまう危険性を感じ、“バリア”そのものの定義の曖昧さ、更にそれを排除することの難しさと闘いながら試行錯誤を繰り返されていたのだ。
あの時のことが大きなきっかけになって、私も“バリア”について意識し、自分なりに考えるようになった。 しかし、正直なところ、まだまだ分からないことだらけである。 陳腐な表現だが、純粋な“やさしさ”“思いやり”と、“バリア”との境が、私にはまだはっきりとわからない。 “バリア”を意識するが故に、本来のやさしい気持ちまでをも押し殺してしまいそうな気がして・・・。
絵門さんに今現在の私の考えを伝え、意見を請うたとしたら、彼女はいったいどんな風に答えるだろう?
「随分真剣に考えてくれているみたいね」と少しは認めてくれるだろうか?
いやいや、そんなに甘くはないか・・・。
「まだそんなこと言ってるの!」と雷が落ちてくるかもしれない。


10月に入り、吹き抜ける風はすっかり秋の匂いを帯びていた。
絵門さんが抗がん剤を止めて、既に3ヶ月が過ぎていた。
「取り敢えず3ヶ月間様子を見て・・・」という約束を主治医の中村先生にさせられたと、絵門さんから聞いていた。
正直なところ、だいぶ気にはなっていた。 しかし、こちらからどうこう訊くのは躊躇われ、絵門さんの方もその話題に触れることはなかった。
絵門さんは、原稿書きに、講演に、朗読会の準備にと、私の知る限り相変わらずの忙しい毎日を過ごし、私は私で個展の準備やら何やらに追われ、さらに数ヶ月が矢のように過ぎていった。
気が付くと、つるべ落としの如く、2005年も僅か一ヶ月を残すまでになっていた。


2008年4月8日

山中 翔之郎
絵門ゆう子さんとの想い出 その14 −オーディション そして熱唱−

師走の忙しなさが街のあちこちに顔を出し始めていた。
12月に入って2度目の土曜日の昼近く、私は絵門さんの地元である八千代中央駅に向かう東葉高速線の車中にいた。

まだほんの一ヶ月ほど前のある日、私は絵門さんからの突然の申し出を驚きと共に聞いた。
「そうそう、近いうちにユックのオーディションをやるから、山中さんも選考委員をよろしくお願いしますね」
初耳だった。 最初はいったい何のことやら・・・といった感じで、狐につままれたような気分だった。
しかし、それが当然といった様子の絵門さんに、私の口が勝手に答えていた。
「よく分からないけど・・・・・、分かりました。 ユックのためだったら・・・」
自分でもわけの分からない返事をしながら、既に心のどこかでは得体の知れない期待感が顔を出し始めていた。
その後、少しずつ具体的な内容を聞かされるにつれ、最初は小さかったワクワク気分は徐々に膨らみ、やがて期待がいっぱいに詰まった大きな楽しみに変わっていった。

翌年の2月25日、八千代市市民会館に於いて、絵門さんと地元の子供たちのよる『うさぎのユック』の朗読コンサートが計画されていた。
八千代市の主催ということもあって大ホールでの開催が予定され、1,200を超える客席数が絵門さんをさらに張り切らせていた。
台詞以外の地の部分を絵門さんが・・・、そして、ユック・ニッコ・ノンコ・オットー・バリーの5匹それぞれを子供たちが朗読するという素敵な企画だ。 

今日は、その子供たちを選ぶためのオーディションが午後から予定されていた。
やはり選考役を頼まれていた金の星社の東沢さんと駅前で落ち合い、審査会場になっている市民会館へ向かった。
控え室に案内されると、既に気合充分といった様子の絵門さんが迎えてくれた。
さらに彼女の秘書のSさん、八千代市文化振興財団の理事長さんを加えた5人で、早速選考方法についての打ち合わせが始まった。
5人の前にオーディションの応募者全員のリストが配られる。
「それでは、よろしくお願いいたします」
絵門さんの真剣な声が響くと、それまでの和やかな雰囲気が一変し、不思議な緊張感がその部屋をいっぱいにした。
「A・情熱、B・物語の理解度、C・朗読力、D・印象の4項目について、それぞれ5点満点で点数を付け、その合計点で決めることにしましょう」
しばしの意見交換の後、絵門さんによって最終的な選考基準が決定された。

いよいよ、一人ずつの面接が始まる。
応募してくれた子供たちは、総勢28人。 下は小学1年生から上は中学1年生まで・・・。
絵門さんはその全ての子供たちに対して何ら分け隔てすることなく、始終いつもの笑顔を浮かべながら、時には優しい言葉でリラックスさせたかと思うと、時には真剣な質問をして困らせたりもした。
「なんでオーディションを受けてみようと思ったんですか?」
「お話のどこが一番好きですか?」
「読み終わってから、どんなことを感じましたか?」
そんな質問のあとには、それぞれが希望する役の台詞を朗読してもらった。
モジモジして下を向いたままの子や、ニコニコしているだけで何も話せない子もいる。 そうかと思うと質問に関係なく一人でしゃべり続ける子や、お守りを握り締めて真剣そのものの子も・・・。 そして大人顔負けのしっかりした受け答えをする子まで・・・。
「お疲れ様! よく頑張ったね」
一人一人面接が終わるたびに、絵門さんはそう声を掛けながら両の手を差し出した。
すると、みんな最初はびっくりしながらも、とても嬉しそうに、でもちょっぴり照れ臭そうな顔で絵門さんの手を握るのだった。
「山中さんも、握手してあげてね」
私も相変わらず広げにくい右手に左手を添え、恥ずかしそうに差し出された子供たちの小さな手を握る。
何か忘れ掛けていた不思議な力が、静かにゆっくりと伝わってくるような気がした。
それぞれの個性が光り輝いて見えた素晴らしいひととき・・・。
間違いなくその瞬間は、みんながヒーローでありヒロインだった。
しかし・・・、だからこそ・・・、そのあとに私たちを待っていたのは、まさに苦痛の極致だった。
2時間近く掛かった面接を終え、別室に移って始まった選考作業は難航を極め、なかなか5人に絞り切ることが出来ないまま時間が過ぎていった。

実は、あれから2年以上経った現在でも、その時に使ったリストが私の手元に残っている。
28人の名前の横には、希望役名・学校・学年が記され、その横に書かれたA・B・C・Dの4つの欄には、それぞれ1から5までの数字が書き込んである。
しかし、リストの下方へ行くにしたがって空欄が目立つ。
今だから白状してしまうが、私は面接の途中から数字を書き入れることが出来なくなっていたのだ。 コンサートを実現するには、心を鬼にして冷静に評価しなければいけないということは充分過ぎるほど分かっていた。 しかし、それが出来ないくらい、子供たちはそれぞれがみんな個性的で素晴らしかった。 誰が選ばれてもおかしくないくらいに・・・。
オーディションが始まる前、あれほど懸命に考えた選考方法は、残念ながら私には余り意味のないものになっていた。 きっと絵門さんも、他のみんなも、同じ気持ちでいたのではないだろうか。
しかし、その時は、何が何でも選ばなければならなかった。

既に予定の時間をだいぶ過ぎていた。
もういつまでも子供たちを待たせておくことは出来ない。
私たちは控えの候補者を含めた13人までに何とか絞り込み、子供たちと付き添いの皆さんが待つ部屋に移動した。
「皆さん、今日は本当にありがとう!」
絵門さんの声が、マイクを通して静かに流れ始めた
「とっても・・・、とっても悩みました。 だって、みんなが本当に素晴らしかったから・・・。 出来ることなら、みんなにやってもらいたい気持ちです。 でも、残念だけど、そういうわけにはいきません。 だから、悩みに悩んだ末に、13人の候補者を選びました」
どこからともなくざわめきが起こる。
子供同士で顔を見合わせたり、不安げにお父さんやお母さんの顔を見上げたり・・・。 期待と不安の入り混じった様々な表情が目に入ってきた。
「でもね、もし自分がその中に入っていなかったとしても、絶対にがっかりしないで下さい」
絵門さんの声のトーンが心持ち高くなって聞こえる。
「今ここにいるみ〜んなが、すごい! 先ずやってみたいと思って・・・、次に、思っただけじゃなく勇気を出して手を挙げた・・・。 そして今ここにこうしているってことは、本当にすごいことなの。 みんなの勇気に、私たち選考委員はたくさんの感動をもらいました」
子供たちの顔に微笑みが広がってゆく。
「誰が最後の5人に選ばれるかまだ分からないけど、選ばれた人たちだけがすごいんじゃない。 その5人にはみんなの代表として頑張ってもらうけど、控え役として一緒に練習してもらう人たちがいるからこそ頑張れる。 最初にやりたいと思って手を挙げたみんながいるから頑張れるの。 だから、選ばれなかったからって、がっかりしたりしないでね。 関係ないなんて思わないで、みんなの代表で頑張る5人を最後まで応援してあげてください。 そして2月25日には、みんなステージに上がって、一緒にユックのテーマソングを歌いましょう!」
微笑みが満面の笑顔に変わっていた。
「みんなは、本当に、すごいんだよ!」
絵門さんの力強い声が響く。
その言葉を聞きながら、私は目頭が熱くなってどうしようもなかった。
敢えて確認しなくても、絵門さんの目もまた涙でいっぱいになっているはずだ。
そして、(さあ、いよいよ13人の発表だ・・・)と思った次の瞬間だった。
「それでは・・・、山中さんから発表してもらいましょうか・・・」
「ええっ?」
予想もしなかった言葉に、私は思わず仰け反っていた。
絵門さんを見ると、微笑みを浮かべてはいるが、その目が(ごめん!)と言っているようにも見える。
反対側に目をやると、東沢さんもまた同じように「えっ?」という顔をして私を見ていた。
心の準備も何も無かった。 打ち合わせなどは全くしていなかったのだ。 みんな絵門さんがそのままご自分で発表するものと信じ切っていたのだから・・・。
「絵門さん、ずるいなぁ・・・。 こんな大役を押し付けて・・・」
私は敢えて冗談っぽく言いながら、無理やりに笑顔を作って立ち上がった。
意を決して差し出されたマイクを受け取り、ゆっくりと子供たちの方へ視線を移した。
「本当に・・・、選ぶのが大変だったんですよ」
自分の気持ちを落ち着かせようと、続けて何かをしゃべった。 しかし、その内容は全く覚えていない。 聞いたばかりの絵門さんの言葉を繰り返しただけだったような気もするが・・・。
そして最後に・・・、出来る限り事務的に・・・、選ばれた13人の応募番号だけをゆっくりと読み上げた。
一端名前を口に出してしまったら、ついさっきまで目の前で精一杯頑張っていた子供たちの気持ちを思い出し、きっと声が出なくなってしまいそうな・・・、そんな気がしたからだった。
微かではあるが、一種の罪悪感にも似た感覚を覚えながら、何とか13人分の番号を読み終えた。
腰を下ろした途端、思わず小さな溜め息が漏れてしまった。
「お疲れ様・・・」
隣から、小さな声が聞こえてきた。
絵門さんも辛かったんですね・・・。 私なんかよりも、ずっと・・・ずっと・・・。

その後、残ってもらった13人による合同の面接と読み合わせが行われ、最終決定は後日連絡することにして子供たちの長い一日は終わった。
再び控え室で行われた最終選考は・・・、もう誰が選ばれてもおかしくなかった。
皆がそれぞれの意見を述べ合った末、最終決定は絵門さんの決断に託された。 そして、あの5人が5匹を演じることになったのである。
全てが終わる頃には、既に外は真っ暗になっていた。
会館で用意してくださっていたお弁当は、手をつける時間も無いまま冷たくなっていた。
「折角だから、いただきましょう」
絵門さんの言葉に、最後まで残ったSさんと私が間髪を入れずに同意した。 実際、お腹が空いていたのだ。 冷えてしまったことなど全く気にならないくらいに・・・。
しかし、勢いよく食べ始めたと思う間もなく、絵門さんがお弁当のふたを閉めた。
「あれっ? お腹減ってないんですか?」
私は恥ずかしいくらいのスピードで食べ続けながら、何気なく絵門さんに訊いた。
「うん・・・、なんかこのあたりがパンパンに張っちゃって・・・」
そう言いながら、胃のあたりをぽんぽんと叩く仕草をする絵門さん・・・。
「大丈夫ですか?」
思わず真剣な口調になってしまう。
「大丈夫、大丈夫・・・。 子供たちの迫力に、胸がいっぱいになっちゃったのかな・・・」
そういって笑顔を作る絵門さんの表情は、やはりどことなく疲れているように見える。
その日一日のことを振り返ってみれば、無理もないのかな・・・と思った。
「最近あまり調子よくないんだ」
他人事のように笑ってそう言いながら、自ら車を運転して駅まで送ってくれた絵門さん・・・。
しかし、その時の様子の原因が肝臓の腫れによるものであることを聞かされたのは、それからしばらくあとのことだった。


さらに2週間近くが経った12月22日の夜。 場所は中野坂上にあるハーモニーホール。
「私が歌うんだから、絶対に来てね!」
だいぶ以前から、何回も念を押されていた。
絵門さんの友人のシンガーソングライター樹原涼子さんのクリスマスコンサートに絵門さんがゲスト出演し、あの『光る星があったから』を歌うことになっていたのだ。
やがてその時が訪れ、絵門さんの名前が告げられた。
たくさんの人前に立つことには慣れているはずの百戦錬磨の絵門さんが、傍目に見ても明らかに緊張している。
一所懸命に笑顔を作ろうとしている様子に、客席にいるこちらまでが奇妙な緊張感に襲われていた。
そして始まった歌は・・・、ただただ・・・、心に沁みて・・・、沁みて・・・・・・。

 光る星があったから
 君はいる そこにいる
 僕はいる ここにいるから
 このぬくもり 感じて

気が付くと、涙で視界はぼやけ、熱唱し続ける絵門さんの姿がはっきり見えない。
ぼんやりとしたその輪郭が、その年の3月に四谷で開かれた朗読コンサートの帰り道、路上で両手を広げくるくる回りながら同じ歌を歌っていた絵門さんの姿と重なって見えた。
時には震える声で最後まで歌いきった絵門さんに、私は精一杯の拍手を送った。


その日に絡んで、今だから言える笑い話(?)がある。
そのコンサートが終わったばかりの客席で、私はTV局の取材を受けた。
一年近く前、発売された直後の『うさぎのユック』を取り上げ、絵門さんご自身も出演した“レディース4”という番組の取材だった。
「番組で使ってもらえるかどうか分からないんですが、絵門さんについて一言だけでもコメントもらえませんか・・・」
そう声を掛けてくれた担当者のNさんとは既に絵門さんを介して面識があり、私も迷うことなく、気軽に5分ほどの取材に応じていたのだった。
その数日後に放送された“レディース4”では、ようやく発売になった『がんでも私は不思議に元気』がメインではありながら、22日のコンサートの様子もかなりの時間を掛けて取り上げられていた。
「使ってもらえるかどうか・・・?」といわれていた私のインタヴューも無事に(?)流れ、そのシーンのあとにアップで映った絵門さんの表情と言葉・・・。
それが、まさに笑い話(?)のもとになったのである。
放送後、何人もの身内や友人知人から「見ました」コールをもらった。 その中でも、私のインタヴュー直後の絵門さんの表情が何とも印象的だったという声が多かった。
その時、画面の中の絵門さんは、微笑を浮かべながら、「ああ、山中さん・・・・・・・」とだけ声に出し、あとは微かに動く口元が映るだけで、何を言っているのかまでははっきりと分からなかった。
見る人にとって、その表情はきっと何とも感慨深いものに感じられたのだろう。
私自身も、その「山中さん」のあとに続いた、謎の「・・・・・・・」部分の真相が気にならない訳でもなかった。
そしてさらに数日後、ようやくその真相を知る時が来た。
「サプライズのインタヴューシーンがありますから・・・とだけしか聞かされてなかったのよね」
絵門さんが、妙に楽しそうにその時の様子を振り返り始める。
「いったい誰だろうって、いろいろ想像しちゃった。 たとえば、幼馴染との何十年振りの再会とか・・・。 ありそうでしょう、そういうの」
「確かに・・・」
「そうしたら、な〜んだ山中さんじゃない」
(な〜んだ・・・って)
「つい最近会ったばかりですって、思わず言いそうになっちゃったぁ・・・。 アッハッハ〜〜〜!」
ガクッ! ガクッ! ガクッ!
心の中で何回もズッコケながら、何とか表向きは平静を装った。
それがあの「・・・・・・・」の真相だったのかぁ〜〜〜! それにしても、「な〜んだ」はないでしょう〜〜〜!
絵門さんの表情に感動的な想像を働かせてくれた方々のために、私はその真相を自分の胸にしまっておくことにしたのだった。 (ハッハッハァ~~~)


絵門さん熱唱の日から5日後の27日・・・。
その日の朝を、私は何とも言いようのない不安と共に迎えていた。
今回で3回目となる聖路加チャペルでのチャリティー朗読コンサートが、その日の午後3時から開かれることになっていた。
しかし、その前日も、さらに前々日も、絵門さんとどうしても連絡が取れないでいた。
メールを打っても、無しの礫・・・。 電話をしても、呼び出し音に続く留守電アナウンスが聞こえるだけ・・・。
(準備で忙しいのかな・・・?)と思いたかった。
しかし、漠然とした不安を拭い去ることが出来ないまま、時間だけが過ぎていった。

2008年4月22日

山中 翔之郎
絵門ゆう子さんとの想い出 その15 −みんなで朗読 そして2006年に−

2005年12月27日・・・、3回目となる聖路加チャペル チャリティー朗読コンサートの当日・・・。
その日は朝から冬らしい澄み切った青空が広がり、乾燥した冷たい風が、降り注ぐ陽射しの帯を縫うようにしてゆっくりと流れていた。
しかし、窓の外の清々しい天気とは裏腹に、私の中の不安は益々膨らむばかりだった。
(何か緊急事態が起きたのなら、連絡ぐらいあるだろう)
そう思うことで、自分を安心させようとする。
確かに朗読そのものに関して私はノータッチの立場・・・。 1年前のように原画展をやるわけでもなく、私の仕事といえば、チャペルの入り口に飾る予定の『決意』の絵を持っていくことぐらい・・・。
特に急を要することがあるわけではなかった。 しかし、直前の2日間まったく連絡を取れないままで当日を迎えてしまった不安に変わりはなかった。

相変わらず落ち着かない気持ちのまま出掛ける用意をし始めると、電話の呼出音が響いた。
「絵門です・・・。 おはようございます・・・」
受話器から聞こえてきたその声は、名前を言われなければ本人のものとは思えないほど酷いガラガラ声だった。
「ど、どうしたんですか、その声?」
挨拶も忘れ、思わず大きな声で訊き返す。
「いや〜、風邪引いちゃって、声が出ないの・・・」
「え〜っ? 声が出ないって・・・、コンサート出来るんですか?」
「うん・・・、ユックたち5匹は看護大学の学生さんたちがやってくれることになってるから、あとは何とか・・・」
「何とかって、その声で・・・」
ガラガラ声が私の言葉を遮った。
「それでね・・・、お願いがあるんだけど・・・。 山中さん、ユックのお父さん役をやってくれない?」
「ええっ・・・!」
再び大声が出る。 しかし、絵門さんのその酷い声を聞かされたあとでは、断る・・・という選択肢などは存在しなかった。
「わかりました!」
そう答えながら、頭のどこかでは、(お父さんうさぎの台詞ってどれくらいあったっけ?)と心配になる。
「よかったぁ・・・。 ついでに、もう一つお願いしたいんだけど・・・」
私の心配などは他所に、ガラガラ声がさらに畳み掛けてくる。
「な、何ですか・・・?」
この緊急事態・・・。 こうなったらもう何でも来い・・・といった心境だ。
「今日、眞由ちゃんのお母さんが来て下さるでしょう・・・。 山中さんから頼んでみてくれないかな、ユックのお母さん役・・・」
(ウ〜〜〜ン???)
果たして眞由ちゃんのお母さんが引き受けてくれるかどうか全く予想も付かないが、とにかく頼んでみることを約束して電話を切った。
思わず大きな溜め息が漏れる。
絵門さんから連絡が来たことにホッとしながらも、不安の方は消えるどころか、その数を増やしていた。
(予定通りコンサートを開けるのだろうか・・・?)
(お父さんうさぎだって・・・? いきなり、そんなぁ・・・)


昼前には聖路加に着いた。
チャペル前のロビーは、外からの光が明るい分だけ薄暗い感じがして、驚くほどし〜んとしていた。
そこにはソファーに腰を下ろしている方が数人いるだけで、まだ知っている顔を見つけることは出来なかった。
そういえば今回のスタッフは何人いるのか、まだ絵門さんから聞いていないことに気付いた。
ふと1年前の29日が甦ってくる。
あの日の今頃・・・、外では雪がしんしんと降り続き、外来に訪れる人の姿も無くて病院全体に閑散とした雰囲気が漂っていた。 そんな中で、このロビーだけが物凄い熱気に包まれていたのだ。 窓際の置かれたテーブルの上とその間の柱には、既に『うさぎのユック』の全原画36点が飾られ、20人近いスタッフと関係者が忙しく動き回っていた。 大きなテーブルの上には出来立てホヤホヤの300冊を超える絵本が幾山にも積まれ、その中で絵門さんと私は必死にサインを書き続けていたのだっけ・・・。
今年は・・・、まったく反対の景色が目の前にあった。
病院自体がまだ平常通りの診療をしていることもあり、本館はもちろんのこと、聖路加近辺を忙しなく行き交う人たちの姿が窓越しにも見える。
そんな周囲のざわついた雰囲気の中で、チャペルとロビーだけが不思議なほどに静まり返り、数時間後にここでコンサートが開かれる・・・ということが信じられないようだった。

「おはようございます!」
備え付けのイーゼルに『決意』の原画を飾っていると、二つの声が重なって聞こえた。
絵門さんの事務所で、その年からカウンセリングの手助けをしている二人だった。
「よろしくお願いします。 聖路加のお手伝いは初めてなので、いろいろ教えてください」
「こちらこそ、よろしく・・・」
そう答えながら、1年前はどのようにしてお客様を迎えていたのかを考えてみた。 しかし、私は絵本へのサインという慣れないことに必死になっていただけで、後はただ観客の一人に成り切っていた。
二人には、誰か去年の経験者に訊いてもらうしかなかった。

「オ、ハ、ヨ・・・」
しばらくすると、聞き覚えのあるガラガラ声と共に、マフラーをぐるぐる巻きにした絵門さんが到着した。
「大丈夫ですか?」
挨拶もそこそこに、心配が口に出る。
「大丈夫、大丈夫。 だいぶ出るようになってきたから・・・」
そう言われると、まだガラガラ声であることに違いはないが、朝よりはいくらかまともになって来たようにも思える。
そこで気になり始めたことを訊いてみることにした。
「ところで、今日はあと何人くらいお手伝いに来てくれるんですか?」
「えっ?」
一瞬言い澱んだ後、急にニコッと笑顔を浮かべて、絵門さんの口が開いた。
「これで・・・、全部かな・・・」
「ええっ?」
今度は私の方が言葉に詰まった。
確かに無理もないかもしれない。 去年お手伝いしてくれた人たちのほとんどが、それぞれ本職のお仕事を持っている。 ましてや暮れの27日となれば、一般的には仕事納めを目前にした一番忙しい時である。 絵門さんといえども、さすがに無理は頼めなかったのだろう。
去年のように29日となると、既に一時帰宅をしてしまっている患者さんも多く、入院している方々のためにという第一の目的が上手く活かされなかった。 そんなこともあっての27日だった。
しかし、私たちの会話を聞いた二人の不安そうな顔を見ると、またしても心配が勝手に口を出る。
「大丈夫ですかね・・・?」
「うん、何とかなるわよ。 大丈夫・・・」
絵門さんの声のこと・・・。 そして、スタッフの人数のこと・・・。
余り根拠の無さそうな“大丈夫”が、何回飛び出したことか・・・。
しかしここまで来たら、絵門さんの“大丈夫”が持つ不思議な力を信じるしかなかった。

《 近くまで来ているのですが・・・》
聖路加は初めてという眞由ちゃんのお母さんとお姉さんからのメールだった。
私は慌てて二人を迎えに外へ飛び出した。
7月・・・眞由ちゃんとお別れをした日以来の再会だった。
チャペルへと二人を案内しながら、私は例のお願いをお母さんに話し始めた。
「急なんですが、絵門さんからお願いを言い付かってるんです・・・」
そのあとを言い澱んでいると、突然お母さんの口が動いた。
「実は・・・、私からもお願いしたいことがあるの」
思わぬ言葉に多少戸惑いながら、私はそのお話を先に聞かせてもらうことにした。
「今朝家を出る前に、これから行ってくるよって眞由ちゃんに報告したんです。 そうしたら眞由ちゃんが、お母さんも絵門さんと一緒に朗読したらって・・・」
「えっ?」
「だから・・・、本当に急で、勝手なお願いなんですけど、お母さんうさぎの役をやらせてもらえないか、絵門さんに頼んでみようと思っているの・・・」
一瞬耳を疑った。 こんなことってあるのだろうか・・・。
「びっくりだなぁ・・・。 絵門さんもまったく同じことをお母さんにお願いしようと思っていたんですよ」
自分の声が妙に上擦っているのが分かる。
「ほんとに・・・? きっと眞由ちゃんが、絵門さんにもお願いしてくれたのね・・・」
お母さんがそう言いながら、ゆっくりと青い空を見上げた。

チャペルに戻ると、私はまだ冷めやらぬ興奮を必死に抑えながら、絵門さんに今聞いたそのままを伝えた。
(やっぱりね・・・)
驚くどころか、むしろ当然といった表情を浮かべる絵門さん・・・。
静かに再会を喜びながら、手を握り合う三人・・・。
何か不思議なほど心地良い空気がチャペルの中を流れた。
その流れの中に、眞由ちゃんの笑顔がふと見えたような気がした。


2時半を過ぎると、一般のお客様に混じって患者さんの姿も見え始めた。
27日にした影響なのか、確かに1年前よりもその数は多いように思える。
点滴棒を片手に引っ張りながらも、待ち遠しくて仕方がないといった様子ではしゃぎ合う子供たちの姿は、前回には見られないものだった。 他にも、様々な医療機材が積まれた車椅子を自ら操って来られた方・・・。 付き添いの人に支えられながら、自力で歩いて来られた方・・・。 皆さんそれぞれが大変な入院生活の中で、ひとときの安らぎを楽しみにされているのが痛いほど伝わってくる。
どうしてもこの聖路加で朗読コンサートを続けたい・・・という絵門さんの気持ちが、今改めて分かるような気がした。

今年も金の星社からは、東沢さん等お二人が絵本の販売のために来てくれた。 ビデオ撮影のためにHさんご夫婦が・・・。 さらに、音楽はいつものアンサンブル・アレーズ。 しかしこの日、オーボエの加古さんはまだ小さいお子さんが風邪を引いてしまったためにお休み・・・。 ユーフォニウムの石橋さんとピアノの渡辺さん二人によるこれまでにはないパターンの演奏となった。 そして何人かその顔ぶれが代わってはいるが、今年も看護大学の学生さんたちが患者さんの誘導とお世話をしながら、ユックたち5匹の役をやってくれることになっていた。
確かに一般のお客様への対応は、今年が始めてになるカウンセラーの二人だけだった。 戸惑いながら、また時にはバタバタしながらも必死になって動き続ける二人の姿に、私も微力ながら会場係の一人として走り回っていた。
ただそのお陰で、心配していたお父さんうさぎの台詞を1回も練習できないまま開演の時間が来てしまった・・・。


定刻を少し過ぎた頃、特に司会役も無いまま、絵門さん自らの挨拶で朗読コンサートがスタートした。
その声は、まるで数時間前のことが嘘のように、いつもと変わりがなく澄んで聞こえる。
しかし、お客様には分からないように気遣いながら、その喉の奥ではかすかな咳払いが繰り返されていた。
本番の舞台に立つプロ意識を垣間見る思いだった。
そんな絵門さんを除けば、朗読に関しては、お客様の前に並んだ全員が頭に“ど”の付く素人ばかり・・・。 当然のことながら、噛んだり詰まったりは避けられなかった。
因みに1回も練習できなかった私はと言えば・・・、自慢するつもりはないが、ぶっ付け本番には慣れていた。 いや、この2年近くのうちに慣らされていた・・・と言った方が正しいかもしれないが・・・???
絵門さんに引っ張られながら、5匹の白うさぎとそのお父さんお母さんうさぎは、何とか最後まで辿り着くことが出来た。
続いて、客席にお姿の見えた樹原涼子さんの名前が呼ばれ、そのピアノの伴奏に合わせて、チャペルにいる全員で『光る星があったから』を歌った。
あとから聞いたことだが、これも絵門さんの突然の思い付きだったとか・・・。 ぶっ付け本番にドキドキしたのは、私だけではなかったようだ。
朗読や歌の上手下手を超えた和やかな雰囲気の中で、読み手と聞き手、弾き手と歌い手の区別無く、共通の温もりみたいなものを感じていたのは、私だけではなかったはずだ。
確かに1年前のような華やかさはなかったかもしれない。 しかし一見行き当たりばったりの即席のような会でも、そこには1年前にも負けないくらい多くの笑顔があった。
病気と闘っている人も、健康でいる人も、その笑顔には少しの違いもなかった。
みんなで作った、共通の笑顔だった。


お客様の姿が無くなる頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。
ロビーには静けさが戻り、薄明かりの中の浮かぶその景色は、物悲しさを感じるほどだった。
「また来年も、ここで・・・」
心の中でそう呟きながら、私たちは聖路加チャペルをあとにした。

築地駅に近いファミリーレストランで、ささやかながら打ち上げをすることになった。
メンバーは、絵門さんの他に、眞由ちゃんのお母さんとお姉さん、絵門さんの妹さんとそのお嬢さん、仕事でコンサートには来れなかったが後から駆けつけてくれた秘書のSさん、そして私の7人だった。 
何とか無事にコンサートを終えることができた安心感が、絵門さんをいつも以上に饒舌にさせていた。 久し振りの再会に、眞由ちゃんのお母さんも負けじと応戦・・・。 そんな二人を中心に、和やかなひとときが流れた。
ただ、注文する時は食欲満点といった様子でボリュームたっぷりのメニューを選んだ絵門さんが、実際に目の前におかれた料理にあまり手をつけないでいたのがとても気になった。

店を出ると、さすがに暮れの風が冷たく感じられる。
その風に誘発されたかのように、絵門さんが咳き込む。
顔色が青白く見えるのは、決して夜のせいではない。
「早く帰って休まないと・・・」
「拗らせたら大変ですよ・・・」
誰からともなく心配の声が上がる。
「うん、ありがと・・・。 でも、今日は茅場町の事務所に泊まるから大丈夫。 明日は松本へ行くことになってるし・・・」
「ええっ!」
また一斉に驚きの声が上がる。
Sさんだけがその予定を知っているのか、黙ったまま心配そうな視線を絵門さんに向けている。
「そんなに咳がひどいのに・・・・・」
(どうにかならないんですか?)という言葉は声に出さなかった。 言ってみたところで、絵門さんがその予定をキャンセルするなどということは考えられなかったから・・・。
「とにかく早く寝て、睡眠を取らないと・・・」
眞由ちゃんのお母さんが心配そうに声を掛けると、その隣でお姉さんも(そうそう)と頷いている。
それにも拘らず、二人が東京に不慣れだから自分が東京駅まで送っていくと言い出す絵門さん・・・。
「ありがとうございます。 でも、私たちのことは大丈夫だから、ご自分のことを考えてください」
お母さんの真剣な表情が、一緒になってタクシーに乗り込もうとする絵門さんを押しとどめた。
閉められたドアの窓越しに、名残り惜しそうに手を振る心配顔の二人が見える。
やがてそのタクシーが視界から消えると、絵門さんの顔にホッとしたような表情が浮かんでいた。

Sさんと私で絵門さんを茅場町の部屋まで送って行った。
「大丈夫よ、一人で・・・」
そう言う傍から激しく咳き込む彼女を、Sさんも私もそのままにして帰る気にはなれなかった。
部屋に入るなり、絵門さんがバタバタと何かをし始めようとする。
「すぐにお湯沸かすからね。 お茶でも・・・」
「もう、絵門さんたら・・・。 なんのために送ってきたんですか?」
心遣いは嬉しく思いながらも、目いっぱいの呆れ顔を返した。
思わず苦笑いの絵門さん・・・。
少しでも早く横になることを約束してもらい、早々に失礼することにした。
「今日は本当にお疲れ様でした。 とにかく、ゆっくり休んでくださいね」
私はそう言うと、Sさんより先にドアの外へ出た。
「じゃあ、また明日来ま〜す・・・」
「うん、よろしくねぇ・・・。 おやすみなさ〜い」
二人の交わす挨拶が聞こえてくる。
(また明日・・・?)
翌日の松本行きにSさんが同行することを知って、少しホッとした。

あとからご主人も合流して、穂高で新年を迎える予定だと聞いていた。
(ゆっくりと温泉に浸かって疲れを取れば、風邪もたいしたことなく済むかな・・・)
そんな希望にも似た想像をしながら、波乱(?)の2005年が終わろうとしていた。


そして2006年が明けた。
少なくとも私にとっては、特にいつもと変わりのない正月だった。
ただ、前の年にはいただいた絵門さんからの賑やかな年賀状が、その年は松の内が過ぎてもまだ送られてきていなかったのが、何となく心に引っ掛っていた。
まさかあのあと更に風邪の症状がひどくなり、予定を変更して既に年内にはご自宅の方へ戻っていたなんて思ってもいなかった。
きっとゆっくり休んでいるのだろう・・・と勝手な想像をしながら、私の方は1月下旬に予定している聖路加個展の準備に大慌てだった。

1月23日から10回目となる聖路加個展が始まった。
その直前まで準備に追われていたこともあり、絵門さんとは直接お会いすることもないままで個展を迎えていた。
何とか風邪は抜けた・・・という知らせに、あとはただ快方に向かうだけと単純に思い込んでいた。
「こんにちは!」という声に振り向くと、そこにはあのこぼれるような笑顔がある・・・。
いつもそうであるように、今回もまた同じ笑顔に会えることを、何の疑いもなく信じていた。

会期中に眞由ちゃんのお母さんがお友達と来てくださった。
お母さんも私と同じように、元気を取り戻した絵門さんに会えることを楽しみにしているようだった。
ところが、そのことを絵門さんに伝えたメールの返信で、私は彼女の体調が思っていたよりもかなり厳しい状態であることを初めて知ったのだった。
そこには、ちょうど講演のために栃木県の中学校へ向かっているところだということが書かれてあり、あとに続く文の中には、それまでにもらったメールでは一度も見たことのないような単語が出てきていた。
《・・・輸血・・・腫れて硬くなった肝臓・・・身体を横たえ・・・在宅医療で・・・》
最後に、個展に来られないことと眞由ちゃんのお母さんに会えないことを残念がる言葉で締め括られていた。
急に襲ってきた胸騒ぎを、私は慌てて掻き消した。
どんなに厳しい状態であることを聞かされても、私は絵門さんが必ずまた元気になると思っていた。
それは、私の中では確信といっても良いくらいの強い思いだった。 しかし、本当はそうなってほしいという願いでしかなかったのだろうか・・・?

2月に入っても、在宅による輸血などの治療と、出来る限り身体を横にして安静を保つ・・・という毎日が続いていることは、絵門さん本人から聞いていた。
さらにコンサート直前まで、2月だけでも6回もの講演が予定されていることも・・・。
Sさんを中心に、カウンセラーの二人、更には同じ患者仲間の方にサポートしてもらいながらその一つ一つを必死にこなし、さらにその合間には、あの子供たちと共に25日のためのリハーサルを重ねていたのだった。
「何が何でも、コンサートを成功させたい!」
絵門さんが何回も口にしていたその言葉は、その頃の彼女にとって、何にも代え難い大きな大きなエネルギーの源となっていたに違いない。

2008年4月30日

山中 翔之郎
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