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★山中 翔之郎さんからのメッセージーその1 |
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| 山中さんが、ホームページのためにメッセージを送ってくださいました。 |
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| 絵門ゆう子さんと 私 「絵門ゆう子さんとの想い出」へ | |
絵門さんが天国に行ってしまってから、一ヶ月と十日が過ぎました。 とても長かったような・・・、でもまだ昨日のことのような・・・。 まるで自分の中で時間が行ったり来たりしているようです。 そしていつも思うことは・・・、 出来ることなら、あの日・・・4月3日よりも前に戻りたい・・・。 たとえたった一日でもいいから・・・。 もっともっと話したいことが山ほどあったのに・・・。 一緒にやりたかったことだって数え切れないほど・・・。 「夢は見ているだけじゃダメッ! 実現しなくちゃ・・・! 必ず叶うと信じて、その夢に向って進み続けなくちゃ・・・!」 いつも自分でそう言ってたくせに・・・。 そう言って、弱気な私を何度も力付けてくれたのに・・・。 なのに・・・やりかけの夢をたくさん残して・・・いっちゃった・・・。 この約一ヶ月の間、私は本気で現実と向かい合おうとしていたのでしょうか・・・? 『うさぎのユック』を通して絵門さんと私の繋がりを知る方々からは、私のことをご心配下さった暖かい励ましのメールやお手紙を数多くいただき、押しつぶされそうな私の心を幾度となく救っていただきました。 絵門さんご本人を通じてご縁の出来た方々とは、共通の想い出話をしたり、あるいはそれぞれしか知らない絵門さんとの想い出を披露し合ったりして、時には楽しく、また時にはちょっとしんみりとしながらご本人を偲びました。 しかし・・・、たった一人の時は・・・、ダメでした・・・。 私にとって絵門さんの存在は、自分が思っていたよりもずっとずっと大きなものでした。 絵門さんとの数々の想い出のワンシーンが、何の脈絡もなく突然浮かんでくる度に涙が溢れました。 何も手に付かず、ボーっと見ていたTVの画面に急に映し出された絵門さんの姿に驚き、重なって出てきた「壮絶」というタイトルに、「違う!」と大声を上げてみたり・・・。 直後に私自身の個展を控え、出品制作の最後の追い込み時期でしたが、「ダメかもしれない・・・」そんな言葉さえ何度も頭に浮かびました。 でも、そんな情けない状態の私に何とかパステルを持たせ、描きかけの作品たちの前に座らせてくれたのは、「観に行きたいなぁ・・・」と言ってくれた絵門さんの言葉と、「私の作品を楽しみに待っていてくれるたくさんの人たちがいる」という思いでした。 思い出すどころか悲しみに浸っていることさえ許されませんでした。 それでも勝手に湧き上がってくる涙を拭いながら作品を描き続け、何とか個展初日を迎えることが出来ました。 ただ、そんな精神状態で描いた作品が果たして観てくださる方々の目にどう映るのか・・・? とにかく精一杯描きました。 それだけは間違いありません。 しかし、正直なところ不安でいっぱいでした。 そんな不安と闘いながら、ふと『うさぎのユック』の原画を必死になって描いていた時のことを思い出していました。 あの時は、考えたり悩んだりなんてことをしている余裕がないくらい時間的に厳しい状況の中、何かに取り憑かれたようにひたすら描き続け、気が付いたら40近い原画が出来上がっていました。 そして今回も、残された時間を考えたら絶対無理・・・という中、何故か・・・何故か・・・描き上げることが出来てしまいました。 ただ、ユックの時と大きく違っていたこと・・・、それは完成を喜んでくれる人の中に絵門さんの笑顔が無かったことでした。 どうしようもない寂しさに襲われながら・・・、それでも私はこう思うことにしました。 絵門さんはきっと天国から私の個展を楽しんでくれるに違いない・・・と。 そして、今回の個展が無事開けたのは、余りにも頼りない私を見るに見兼ねて、絵門さんがそっと後押しをしてくれたんだ・・・と。 それまでご自身が何回か個展に来て下さったこともあり、絵門さんと面識のあったギャラリーのオーナーのお心遣いで、会場内にささやかながら絵門さんコーナーが作られました。 『うさぎのユック』の絵本と共に、以前絵門さんから直接いただいたコンサートで朗読中の彼女のお写真も飾らせてもらいました。 何もケースに入れずに壁に立て掛けただけのお写真を見て、お客様の一人が素敵な写真立てをプレゼントしてくれました。 更に可愛らしいお花・・・、そしてチョコレートと・・・、皆さんのあたたかいお気持ちで、そのコーナーがみるみる賑やかになっていきました。 お客様がいる時は、少しでも本当の絵門さんのことを伝えたい・・・と懸命になっている自分がいて、不思議と悲しい気持ちにはならずに済んでいましたが、ふっとお客様が途切れた時、写真の中の絵門さんが「ありがとう・・・」と笑ってくれたように思え、急に涙がこみ上げてきました。 一週間の会期はあっと言う間に過ぎ、当初抱いていた不安は・・・、無駄な心配に終わりました。 ご覧下さった方々の反応はとても熱く、そのどれもが私の心に深く突き刺さり、個展直前のあの辛さが少しだけ報われたような気がしました。 終了後、余韻を噛み締める間もなく直ちに搬出作業に入り、最後の一枚を壁から取り外した時でした。 頭の・・・さらに上の方から、 「お疲れ様! 頑張ったじゃない。 良かったよ・・・」 そんな声が聞こえてきたような気がしました。 そして、それから更に20日余りが・・・。 相変わらず一人になると、ふっとした瞬間に絵門さんのお顔が、声が蘇えってくる・・・そんな日々が続いています。 いや、むしろそれまで無理矢理押さえ込んでいたいろいろな感情がいっぺんに襲ってきたようで、個展が終わってからの方が、決して激しくはありませんが重く深い悲しみが波のように繰り返し押し寄せてきます。 不器っちょな私は複数の仕事を同時進行していくのは大の苦手ですが、ここのところ自分でも不思議なくらいにいくつもの仕事を抱え込み、わざと・・・と思えるほど自分を忙しくさせているようにさえ思えます。 まるで、忙しいことを理由に、絵門さんのことに向き合うのを避けているかのように・・・。 でも、もう自分をごまかしている訳にはいきません。 「何いつまでもメソメソしてるのぉ・・・。 その時間がもったいないよぉ・・・」 そろそろ天国から、あの聞き慣れた声で喝を入れられそうです。 どんなに悲しくても・・・、たとえ涙が止まらなくても・・・、絵門さんと一緒にやってきたこと、そしてこれからやろうとしていたことをしっかりと思い出さなくては・・・。 ただ想い出にするためではなく、ましてや決して忘れるためなどではなく、やり掛けの夢の実現に向って進む、その力とするために・・・。 私は自分のホームページを持っていません。 ブログ・・・というものの経験もありません。 プライベートな日記は学生時代にだけ・・・。 “描く”だけでなく、“書く”ことの方も決して嫌いではないのですが、そういうキッカケが無いまま何十年という月日が過ぎてきてしまいました。 「ゆう子のことについて、何かコメントを書いてくれませんか・・・」 ずっと絵門さんのホームページを管理されている彼女の叔母様から、先日初めてこういうお話があった時、私の中で確かに“何か”が動くのを感じました。 “書く”ことで、絵門さんと話したこと、一緒に行動したこと、そのときの一言一句、一挙手一投足に至るまで、思い出せるものは全て思い出したい。 そのとき私が得たものがいったいどんなものだったのか? それがその後どう変化してどのように育ち、あるいは消え去り、現在どうなっているのか? そしてこれから先どうなっていくのか・・・いや、どうしていくべきなのか? 無理に全てに答を出す必要はないでしょう。 分からないものは分からないままでいい。 いつの日か自ずとその答が見つかる日が来るでしょうから・・・。 大切なのは、今の私が今の私なりに分かるものと分からないものをしっかりと把握すること。 そのことが絵門さんへの私の感謝の気持ちの一番の表し方だと思うのです。 それをこれから先どのように育てていくかは、それこそ私次第・・・。 きっと天国の絵門さんは、時には笑い、時には不安げに、また時にはちょっとばかりチャチャを入れながら、たくさんの仲間たちと一緒になってやさしく見守ってくれる・・・。 そんな気持ちから今回のコメントを書き始めました。 しかし、これだけ書いて・・・やっとその入り口に立っただけ・・・。 もし許されるならば・・・、この機会を一つのキッカケとさせていただき、これからゆっくりと、少しずつ、しっかりと、“書く”ということを通して絵門さんとの2年間を思い出していきたい・・・。 私は今、強くそう思っています。 絵門さんの笑顔を思い出しながら・・・。 |
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| 2006年5月13日 山中 翔之郎 |
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| 絵門ゆう子さんとの想い出 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10 その11 その12 その13 その14 その15 |
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| 絵門ゆう子さんとの想い出 その1 −出逢い− 「猫・・・お好きなんですか?」 これが、後に絵門ゆう子さんとなる人と初めて交した言葉だった。 2002年冬。 1月ももう終わろうとしている頃だった。 私は、東京築地の聖路加国際病院内の画廊で、2回目となる個展を開いていた。 銀座あたりのギャラリーと違って、そこは病院の中・・・。 朝の9時から始まり、昼過ぎまでは外来で訪れる方も多く、ご覧くださる方が切れることはまずない。 しかし終了時間の夕方5時近くになると、さすがにその数もまばらになる。 その日も既に午後の4時をだいぶ過ぎ、そろそろ帰り支度を・・・と、テーブルの上に並べたポストカードを片付け始めた頃だった。 ふっと人の気配を感じて振り向くと、一目で入院患者さんと分かる白いガウン姿の女性が一人、酸素ボンベのようなものを引っ張りながら、真剣な表情で絵を観ていた。 足がほとんど隠れて見えないほど長いガウンのせいか、その姿はどこかフワフワッ・・・とした印象で、傍らのボンベがなければ飛んでいってしまいそうにさえ思えた。 入院中に画廊を散歩コースの一つにして下さる患者さんも少なくない。 そういう方は人の数が減った夕方近くになって一人静かにご覧になり、私と目が合うとちょっと恥ずかしげに微かに笑みを浮かべながら軽く会釈され、特に会話も無く戻っていかれる場合が多い。 私も患者さんの方から話し掛けられたとき以外は、あえてこちらから声を掛けることはせず、 「どうぞまた明日も観に来て下さい・・・」と、その後ろ姿に向って、心の中で呟くだけ・・・。 その時も私はいつもと同じように、そのまま片付け仕事を続けることにした。 10分・・・20分・・・、いやもっと経っていたかもしれない。 その時間の長さがさすがに気になり始め、私はもう一度その女性がいる方に眼を向けてみた。 相変わらずフワフワッとした感じで僅かずつ移動しながら、額縁のガラスにぶつかりそうなほど顔を近づけてみたかと思うと、一歩二歩とさがってみたり・・・。 時には真剣そのものといった表情になったり、ふっと微笑みを浮かべたり・・・。 一作一作を実に丁寧に観続けている姿に変わりはなかった。 その余りに熱心な様子に、私の心が何かを感じていたのかもしれない。 気が付くと私はその女性の近くに立ち、彼女の視線の先にある作品を確認しながら、こう声を掛けていた。 「猫・・・お好きなんですか?」 この私の一言をキッカケに、その女性の口からは堰を切ったかのように次々と言葉が溢れ出し、しばらくの間止まることがなかった。 その鼻にはボンベからの細いチューブが入れられたままで、懸命に話し続けるその様子は、見ているこちらの方が息苦しくなってくるほどだった。 「そんなに慌てて喋らないで・・・。 ゆっくり聞かせてもらいますから・・・」 思わず私はそう言って落ち着かせようとした。 だが、あまり効き目はなかった。 一瞬話が止まってニコッとしたかと思う間もなく、それまで以上と思えるスピードでお喋りは再開された。 正直言ってその時の話の細かい内容まではっきりとは記憶していないが、絵の中の猫と同じような三毛猫がご自宅で待っている・・・という話から始まり、ご自身が乳癌になった時からいろいろな経過を辿った末、その前年の暮れ近くに聖路加国際病院に入院し、そこで命を助けられて今に至る・・・といった、後の著書「癌と一緒にゆっくりと」の中で何十ページにも渡って書かれてある内容を、一気に聞かされたに違いない。 それに実のところ、最初は一所懸命に耳を傾けていたが、途中からはその女性の体調の方が心配になり、話を聞くどころではなくなっていた。 「退院したら・・・」「早く元気になって・・・」 そんな言葉が話の端々に聞こえてきた。 しかし、詳しく病状を聞かされ後の私には、その言葉を現実的に考えることは難しかった。 それは、あくまでその患者さんの“希望”、そして“願い”でしかないように思えた。 その希望が・・・、願いが叶うように・・・。その時の私にはただひたすらそう祈ることしかできなかった。 ただ・・・、私のそんな気持ちをよそに、必死になって話し続けるその人の眼・・・。 その眼の中心にある瞳の輝きは、今でもはっきりと覚えている。 あんなに強く、あんなに激しい輝きを帯びた瞳を、それまでに見たことがあっただろうか・・・? 今にもフワフワッと飛んでいってしまいそうな弱々しい全身の雰囲気とは逆に、その余りにも印象深い瞳の輝きは、私の心の中に強く、しっかりと焼き付けられた。 ひとしきり話しは続き、ようやく訪れた一息の間・・・。 それでもまだ話し足りない様子で再び開きかけたその口を遮るように、ほとんど相槌しか打てなかった私からやっとの一言・・・。 「よかったら記帳して下さい。 3月にまた個展をやるので、案内状出しますから・・・」 それはその時の私が出来る精一杯の励まし・・・だった。 「うわぁ、ありがとう! それまでには元気になって行くね」 彼女は至極当然のようにそう言うと、見るからに細い指でペンを握り、どこか嬉しそうに見える表情で記帳してくれた。 そこには予想外にしっかりとした字で・・・、“三門裕子”とあった。 そう、私がその時初めて会ったその人は、華々しい活躍をされた池田裕子さんでも桐生裕子さんでもなく、もちろんその時はまだ存在していない絵門ゆう子さんでもなかった。 私の目の前にいたのは、ただひたすら“生きたい”“生き続けたい”と願う一入院患者でしかない、“三門裕子”という一人の人間だった。 癌が全身に転移して一度はその命を失いかけたけれど、助けられた命にひたすら感謝しながら、しっかりと前を向き、明日という日を信じ、一瞬一瞬を必死になって生きている一人の人間の姿がそこにあった。 あの眩いばかりの瞳の輝きと、力に満ち溢れた眼差しは、生きていることの素晴らしさ・・・を、命の大切さ・・・を、その時すでに私に教えてくれていたように思えてならない。 あの瞳の輝きが、その後の絵門ゆう子さんとの全ての始まりだった。 そして、あの瞳の輝きは、きっと最後の最後まで・・・彼女が天国に旅立ったその瞬間まで変ることはなかったに違いない。 その日以降、残された会期の数日間に、作品をご覧になっている三門裕子さんの姿を一度だけ見た。 お友達らしい方とご一緒で、三毛猫の絵を指差しながら「うちの子に似てるの・・・」とか「また次の個展にも行くんだ・・・」といった言葉が聞こえてきた。 しかし、その時は他にも人が多く、もう一度ゆっくりとお話しをすることがないまま個展は終了した。 その後、3月、7月と個展が続いた。 本当に元気になって来てほしいと心から思った。 そんな願いを込めて案内状を出した。 しかし、三門さんの姿を見ることは出来なかった。 悔しいけれど・・・、考えたくなかったけれど・・・、 「やっぱり・・・」そんな気持ちがだんだん大きくなっていった。 |
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| 2006年5月30日 |
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| 絵門ゆう子さんとの想い出 その2 −再 会− 聖路加国際病院に入院中の三門裕子さんと病院内の画廊で初めて出逢ってから、すでに一年半の月日が過ぎていた。 その間、私は聖路加画廊での2回を含め、計5回の個展を開き、その度に三門裕子さん宛てに案内状を出していた。 しかし、そのうちの一度として三門さんがお姿を現してくれたことはなかった。 最初の2回は、初めて記帳してくださった方々全員に対してのその御礼も兼ねた案内で、正直なところ三門さんだけを特に意識することも無かった。 しかし3・4・5回目となると、案内を出す先もかなり絞るようになる。 名簿の中の“三門裕子”さんの欄になる度に、(さて、どうしようか・・・?)と考えた。 同時に、(どうされているかな・・・?)という思いと共に、あの瞳の輝きが蘇る・・・。 すると結局最後には、案内状にそのお名前を書かずにはいられなくなった。 しかしその結果は・・・無しの礫の連続だった。 (やっぱり・・・良くないのかな・・・) 勝手に浮かんでくる想像は、自分の願いとは反対にどんどん悪い方へとその速度を上げていった。 (励ましのつもりでDMを送り続けることが、もしかしたら逆に迷惑になっているのかもしれない・・・) そんな思いさえ浮かび始めていた。 (今回で最後にしよう・・・) そう心に決めて、6回目となる“三門裕子様”を書いた。 どこか諦めのような気持ちと共に、一抹の寂しさが胸を過った。 2003年の7月初旬、梅雨明けにはもうしばらく・・・という頃、私は再び聖路加画廊での個展の真っ最中だった。 始まってまだ2日目の月曜日、お昼を少し過ぎた頃だっただろうか・・・。 “画廊”といってもレストランへの通路にもなっている関係で、平日のその時間帯はかなり多くの人の通りがある。 その日も私は行き交う人々の邪魔にならないようにと、一応画廊の入り口とも言うべき通路の端に立ち、わざわざ足を止めて絵をご覧下さるくださる方々の表情を嬉しく眺めていた。 カチャカチャという軽い金属音にふと外来受付の方へ目をやると、片手に点滴棒、もう一方の手でキャリーバッグを引っ張って歩く一人の女性の姿が目に入った。 生成りのパンツルックでいかにも颯爽としたその歩き方は、傍らの点滴棒がなければ、まさに“元気”を絵に描いたような・・・そんな印象を抱かせるほどだった。 患者さんの元気そうな姿を見るのは、特に理由は無くただ嬉しいものである。 その女性の姿に、私も思わず微笑んでいたに違いない。 ところが、どうやらその女性がこちらに向って歩いているように思え、その勢いの良さに少々慌てながら、お顔に焦点を合わせてみた。 するとやはりその視線は間違いなくこちらに向けられている。 「誰っ?」と考える間もなく、私の目の前にはすでにその女性が立っていた。 どちらかと言えば小柄で、少し茶色掛かったショートヘア・・・。 そのふっくらとした頬にニコニコと溢れんばかりの笑みを湛えながら・・・。 「いつもご案内いただいて、ありがとうございます!」 ペコッと下げた頭が元に戻り、再びその両目が私を見た瞬間、私の頭の中で何かがカチッと音を立てたような気がした。 同時に記憶回路が同じ言葉を繰り返しながら激しく動き始めた。 (誰だっけ? 誰だっけ? 誰だっけ?・・・・・・・・・・?) (いつ? いつ? いつ?・・・・・・・・・・・・?) (外来の方? 入院されていた方? それとも他のどこかで・・・???) そんな心の内を悟られまいと、懸命に・・・でもきっと中途半端な笑みを浮かべながら、私は当たり障りのない返事をして時間を稼いだ。 「こちらこそ、ありがとうございます。 お元気そうで・・・」 「う〜ん、お蔭様で。 あの時に比べたら、すっかり元気になっちゃって・・・・・・・」 (この喋り方・・・確か・・・?)と一瞬思い出し掛けた気がした。 しかし、短時間でハッキリとその答を探し出せるほど、私の記憶回路の性能は良くなかったようだ。 (ダメだ、思い出せない・・・) 無駄な抵抗は止めにして、私はこういう状況の時のための“奥の手”を出すことにした。 「どうぞ、また今回もご記帳下さい」 「でも、前にもう書いたけど・・・?」 「お手数掛けちゃいますけど、毎回記帳していただけると嬉しいんです」 大した意味のない苦し紛れの一言・・・。 でも彼女は再びニコッと笑顔になると、 「じゃあ、喜んで・・・」と、ペンを手にしてくれた。 私は胸を撫で下ろしながら、思わずペン先に注目した。 ところがホッとしたのも束の間、まだ何も書かれないまま、ペン先がスッと紙面から離れた。 「どうしようかな・・・」 彼女の口から小さな声が漏れた。 (えっ・・・なんで・・・?) しかし、そんな私の心配を他所に、彼女は「うん!」と自分を納得させるかのように、小さく、でも力強く呟くと、一気にペンを走らせた。 そしてそこには、不思議な懐かしささえ覚える字で、“三門裕子”と書かれてあった。 「え〜っ!!!」 私の口からは、自分でも驚くほどの大声が飛び出していた。 一年半振りの再会だった。 しかしその間、無意識のうちに悪い方、悪い方へと加速し続けていた想像を無理矢理にUターンさせ、更にそれまで以上のスピードで目の前の現実に追いつかせるのは決して簡単なことではなかった。 私は失礼も省みずに、三門さんの頭のてっぺんからつま先まで、視線を2往復・・・、いや3往復はさせてしまったかもしれない。 ひと休みしていた記憶回路が再び慌てて動き出し、その中に“三門裕子”という名前が一つしかないことを確認した。 それでもまだ私は自分の目を疑っていた。 それもそのはず、目の前にいるふっくらとした頬にショートカットのヘアスタイル・・・パンツルックで颯爽と歩くその人が、1年半前の少し長めの髪にこけた頬・・・白くて長いガウンを着ていたあの三門さんだなんて・・・。 そんなこと、いったい誰が想像できるだろうか・・・。 実際、今こうして改めて思い起こしてみても、まだ信じられないでいるのだから・・・。 それは・・・、まさに“復活”だった。 きっと呆然としていたであろう私を、三門さんがちょっと不思議そうに見ていた。 その視線を感じてハッと我に返った私は、やっと目の前の現実を受け容れ始めていた。 そして、そんな自分に気付くと、今度はその現実に起きていることが無性に嬉しくなってきたのである。 「入院されていた時にここでお会いした、あの三門さんですよね・・・?」 返事も待たずに、私は続けた。 「うわぁぁぁ、全然判らなかった・・・」 アウト・・・! 思い出していなかったことが、完全にバレてしまった。 でもそんなことはどうでも良い。 ただ、何だか分からないけど嬉しかった。 「そうかなぁ・・・? そんなに変った・・・?」 三門さんは私がなかなか思い出せなかったことなどお構いなく、むしろちょっと嬉しそうにさえ見える表情を浮かべながらそう呟いた。 そして、おもむろに傍らのキャリーバッグから取り出した一枚の紙を私に手渡したのである。 「今度本を出したので、よかったら読んでみて下さい」 そのA4ほどの大きさの紙に書かれてあったのは、その頃まだ発売されて間もない彼女の著書『がんと一緒にゆっくりと』に関するご自身の挨拶文だった。 その頃はまだその本の存在さえ意識することも無い私だったが、そのタイトルには見覚えがあった。 「この本の広告、新聞に出てましたね?」 「そうなの・・・。 結構騒がれちゃって・・・」 (・・・ってことは、三門さんが著者・・・?) また何だか頭の中がごちゃごちゃとし始めたのを感じながら、もう一度その挨拶文を読み返してみた。 そして、そこで初めて“絵門ゆう子”というお名前に接したのである。 私の中で、“三門裕子”さんと“絵門ゆう子”さんが、重なったり離れたりしていた。 三門さんとの再会は、絵門さんとの新たな出逢いとなった。 一年半ぶりに再会した二人の三門さんが、やっと一人になりつつあったところに、今度は絵門さんが新登場・・・。 何と劇的、且つ忙しい日なのだろう・・・。 今にして思えば、記帳の際のあの一瞬の躊躇いは、“絵門”か“三門”か、どちらの名前を書くべきか迷っていたのではないだろうか。 そして記帳の瞬間、絵門さんはあの入院中のご自分に戻り、一患者・一観客として“三門裕子”と記されたのだろう。 もしあの時、“絵門ゆう子”と記帳されていたら、その場で私が絵門さんと三門さんが同じ人物だと気付くことはもちろんなかっただろう。 そしてその後、記帳された住所が同じであることに気付きでもしない限り(その確率は限りなくゼロに近い)、“三門裕子”さん宛に個展の案内を出すことは二度となかっただろうし、初めて出逢った記憶自体もだんだんと薄れ、やがて消え去ってしまったのだろう。 考えただけでも恐ろしくなる・・・。 あれから今日に至るまでのこと全てが無くなっていたかもしれないだなんて・・・。 あの『うさぎのユック』の絵本も・・・、絵門さんが下さったたくさんの方々との素敵なご縁の数々も・・・、あのことも・・・、このことも・・・、何もかもが・・・。 そう、この私自身さえも、今とは違う私になっていたのかもしれない・・・。 あの時、絵門さんが“三門裕子”と記帳してくれたことで、単なる偶然で終わっていたかもしれない最初の出逢いが、やがてその後の全てを生み出すための大きな大きなきっかけとなった。 大袈裟・・・と笑われるかもしれないが、私にとっては、どこにでも転がっていそうな“偶然”が、無くては生らない“奇跡”になった瞬間だった。 一年半前の時のようにゆっくりと・・・ではなく、どちらかと言えば忙しなさを感じるほどの速さで会場をひと回りした三門さんが戻ってきた。 「またご案内送って下さ〜い!」 点滴の薬が残り僅かになってきていた。 私は軽く頷き返しながら、多くの患者さんと別れる際の常套句を口にした。 「お大事に・・・。 ご無理しないで下さいね」 三門さんはその言葉が聞こえなかったかのように、応えるでもなく、頷くでもなく・・・。 実はこの二つ目の言葉が、三門さん・・・いや絵門さんにとって、人から言われるのを最も嫌う言葉の中の一つだったのである。 そのことを知るのは更にその半年後、次の聖路加画廊での個展で再びお会いした時のことだった。 「じゃあ、また・・・」 ニコッと微笑みながらそう言い残して去っていく後ろ姿は、現れた時と同じく、やはり“颯爽”という表現がピッタリだった。 “三門裕子”さんと“絵門ゆう子”さん・・・。 私の中で、この二人の・・・いや、二つの名前の間に存在するギャップを埋めるための半年間が始まっていた。 |
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| 2006年6月18日 | |
| 絵門ゆう子さんとの想い出 その3 −三門さんから絵門さんに− 一年半振りの再会の日から次の聖路加個展までの半年間、直接三門さんとお会いすることは一度も無かった。 しかし、“絵門ゆう子”というお名前のお陰で、TV、新聞、本などを通して、それまでは全くと言ってよいほど知らなかった彼女のことを随分と知ることになった。 三門さんとの再会の日・・・つまり絵門さんとは初めてお会いした日、帰宅してそのことを家族に話すと、その絵門ゆう子さんという人物が、かつて池田裕子さん・桐生ゆう子さんとしてTV等で活躍されていたことを教えられ、先ずはビックリ! 更にその数日後、偶然に見たTV番組『金スマ』に、なんと三門さん・・・いや絵門さんが出演しているではないか・・・。 それも2週連続で・・・。 お化粧をされているせいか、病院で会った時よりずっと華やかに見えるが、確かに三門さんに間違いない。 いや、TVに出演されている時は、やはり絵門さんとお呼びすべきなのか・・・? そんな具合に、しばらくの間は同一人物でありながらも異なった二つのお名前の間に存在するギャップに振り回されっぱなしだった。 しかし、彼女の著書『がんと一緒にゆっくりと』を読んだり・・・、その年の秋から始まった朝日新聞連載の『がんとゆっくり日記』を毎週楽しみにしたり・・・、更には11月頃に民放で放映された“絵門ゆう子 密着ドキュメンタリー”ともいうべき1時間番組を見たりするうちに、少しずつではあるがお二人(?)の姿が重なりつつあった。 同時にまた、いくつかの新しい発見もあった。 『がんと一緒に・・・』を熟読するうちに、ご主人である“健ちゃん”の存在の大きさを痛感し、いつの間にかご本人に匹敵するくらいの“健ちゃん”ファンになってしまった。 また、ドキュメンタリーの中で絵門さんがウィッグを選んでいるシーンを見て、聖路加での再会の時のあのショートヘアもウィッグだったことに気付き、何故か一人で大慌てをしてしまった。 そして何よりも胸を打たれたのは、同じドキュメンタリー番組の中で、絵門さんが朗読をしているシーンを見た時だった。 後に知ったことだが、それは彼女が聖路加病院退院後、NHK時代の先輩アナウンサー青木裕子さんの温かい励ましの下で初めて挑戦した朗読会での一コマだったのである。 その喜びに満ち溢れた表情と声が、初めて会った時の必死に喋り続ける彼女の姿を思い起こさせ、目頭がどうしようもなく熱くなった。 もしもその年の暮れに開かれた聖路加チャペルでの初の朗読会のことを知っていたなら、何をさて置いても必ず駆け付けていたことだろう・・・。 (いつか絵門さんの朗読を目の前で聴きたい!)そんな思いが私の中でどんどん大きくなっていった。 そうこうする内にその年も終わり、あの2004年が始まった。 2年前の一つの偶然がきっかけとなり、その年が私にとってあんなにも劇的な一年になろうとは、その時の私はまだ何も気付いてはいなかった。 1月も半ば近くになり、2月早々に始まる聖路加個展のDMを出す時期になっていた。 私の中の三門さんと絵門さんは、重なる部分がだいぶ多くはなっていたが、まだ完璧に一人にはなっていなかった。 どちらのお名前でDMを出すべきか迷った挙句、最終的には前回記帳してもらった通りに“三門裕子”さん宛てに出すことにした。 ただ、いつものようにDMを出すだけでは何故か気が済まなかった。 元気になって再会できたことが本当に嬉しかったこと・・・、数々のご活躍のことを何も知らずに失礼したこと・・・、そしてこれから先の活動にも多いに期待していること・・・等々を何とか伝えたいという気持ちでいっぱいだった。 私は迷うことなくそのことを手紙にしたため、DMに添えて投函した。 「ご案内ありがとう! お手紙も嬉しく読ませていただきました」 2月の第一週、個展も半ばを過ぎた日の午後だった。 半年前と同じように点滴棒を片手に握った三門さんが、やはり半年前と変らない・・・、いや更にパワーアップしたと思える笑顔で目の前に立っていた。 私はその姿に心底ホッとしながら、もしまたお会いできたらぜひ・・・と思っていたことを、挨拶もそこそこに訊いてみた。 「また朗読会を開くご予定はありますか? ぜひ伺いたいと思って・・・」 「うわっ、ホント? うれしい・・・ッ! 実はちょうど・・・・・・」 そう言って教えてくれた次の朗読会は、思っていたよりもすぐの2月29日に予定されていた。 「来ていただけるようだったら、私の方に直接メール下さい」 三門さんは名刺を差し出しながらそう言うと、「じゃあ拝見しますね・・・」と、作品が掛けられた壁の方へ移動していった。 「どうぞごゆっくり・・・」 私はそう応えると、手渡されたばかりの名刺に目を戻した。 中央に“絵門ゆう子”と印刷されたその右下には、一人の女の子のイラストがあった。 大きな目に長い睫毛、緑のバンダナに同色の服、左手に青いティーカップ、右手には一輪の赤いバラ、なにやら模様の入ったピンクの長いエプロンに同じくピンクのスリッパ・・・。 三門さんを一人のままにしておくのが気に掛かりながらも、私はそのエプロンに描かれた模様に何故か惹かれていた。 かなり見難いそれに目を凝らす。 すると目が慣れてくるにつれて、はっきり分からなかった模様がだんだん見えてきた。 小さな5つのハートの中に文字が一つずつ・・・。 それらを繋げてみると『ゆ・っ・く・り・と』という言葉になった。 そして、その下には英語で『Yuko Emon』。 それは・・・彼女の自画像だったのだ。 今改めてその名刺を取り出してみても、決して上手とは言えないけれど(絵門さん、ごめんなさい!)、あたたかく心に沁みてくるイイ絵だ。 実はその頃の私は、ご本人に対して、“三門さん”とお呼びすべきなのか、はたまた“絵門さん”の方が良いのか、正直なところまだ迷っていた。 今こうして当時を思い出しながら書いている最中でも二つのお名前が入り混じって出てきてしまう。 “絵門ゆう子”というお名前の名刺をもらったのをきっかけに、これから先は“絵門さん”で統一することにする。 さて、その名刺のイラストに胸の真ん中辺りがジワッとなるのを感じながら、私は絵を観続けているはずの絵門さんに視線を戻した。 すると私の目に映ったのは、何故か絵ではなく天井を見ている彼女の姿だった。 いや、正確に言うと天井を見ているのではない。 焦点の定まらないような目で、作品が並ぶ位置よりもかなり上の方に視線を漂わせていたのだ。 その様子にちょっと不安を感じた私は、恐る恐る絵門さんに近づいた。 「どうかしましたか?」 彼女はまるで私の声に気付いていないかのようだった。 そしてしばらくそのままでいたかと思うと、何かを思い出したかのように突然こちらを向いた。 「山中さんは・・・人物は描かないの?」 その目がキラっと光ったような気がした。 私はあえて積極的に宣伝はしていないが、依頼があれば人物の肖像画も描いている。 そのことを伝えると、「そうなんだ・・・」と呟きながら、またその視線が宙を舞い始めた。 (いったい何だろう・・・?) そんな疑問を確かめる間も無かった。 「じゃあ、またお会いしましょう」 絵門さんは突然そう言うと一瞬だけ笑みを浮かべ、唖然とする私にはお構いなく、また先ほどと同じように焦点の定まらない目つきに戻って歩き出した。 私は何だか狐に摘まれたような気分だった。 その後に判ったことだが、実はその表情は・・・、絵門さんの頭の中に何かアイデアが浮び、それを瞬時に分析している時のものだったのである。 その時絵門さんの頭の中にいったいどんなことが浮かんでいたのか・・・? もちろん私には知る由もなかった。 会期が終わり近づいた頃、私はようやく朗読コンサートのチケットをお願いするメールを打った。 もちろん私の中には、一観客としてその日がくるのを楽しみにする気持ちしか存在していなかった。 しかし絵門さんの頭の中では、すでに私は一観客でいることが許されていなかったようだ。後に『うさぎのユック』原画制作の際に苦しんだ時間との戦い・・・。 実はこの時すでにその予行演習が始まろうとしていたのである。 個展が終わってまだ2、3日しか経っていない2月10日、絵門さんからその始まりを知らせるメール着信音が響いた。 携帯電話の画面には、チケット購入への感謝の言葉に続き、単刀直入の一言が・・・。 『お願いしたいことがあります。 ご連絡いただけますか?』 私はその“お願い”が何なのか皆目検討も付かず、早速指示された電話番号に掛けてみた。 「はぁ〜い、絵門ですぅ・・・」 まるで携帯と睨めっこでもして待っていたかのようなタイミングで明るい声が聞こえてきた。 「あっ、どうも・・・、山中です。 メールを見て・・・」 慌てる私に構わず、絵門さんはいきなり本題に入った。 「実はね、山中さんにお願いしたいことがあるの。 今度のコンサートで・・・・・・」 その後に続く“お願い”の内容を、私は驚きと共にただ黙って聞いていた。 ドキュメンタリー番組でも取り上げられていた初めての朗読をきっかけに、絵門さんはプロの音楽家の演奏と共に朗読をするというご自身独自の朗読会をその後何回か開いていた。 そして2月29日に控えていたのは、彼女の地元である八千代市で初めて開く朗読会だった。 当然のことながら、絵門さんの意気込みは相当なものだったに違いない。 絵門さんは既に自らの朗読会に“絵門ゆう子 浪漫朗読コンサート”というタイトルを付けていた。 そこで彼女は、そのタイトル文字が書かれた大きな掛け軸(幅1メートル・長さ5メートル余り・・・)を作り、それを舞台の中央に掛けようと考えていたのだ。 その制作を専門家に依頼するにあたり、さらに彼女の頭に浮かんだのが、文字の下にご自身、そして一緒に舞台に立つお二人の演奏家のイラストを入れるというアイデアだった。 そしてそのイラストを・・・私に・・・ということだったのである。 「人物は描かないの?」という聖路加での絵門さんの言葉と、その時の一連の表情の謎がようやく解けた。 嬉しい・・・と思うよりも、驚きと不安の方が先だった。 何せそれまでの私には全く経験のないことだったから・・・。 どんな大きさで、どんなイメージで、どんな物に、何を使って、どれだけの時間で・・・等々、分からないことだらけだった。 いい加減な気持ちで安請け合いをするわけにはいかなかった。 でもだからと言って、頭からお断りをする気持ちにはならなかった。 お礼を言いつつも即答のできないまま、近いうちに改めて詳しいお話を聞かせてもらう・・・ということで電話を切った。 思いも寄らぬ展開に、どこか戸惑っている自分がいた。 「今日これからお会いできますか?」 驚きの電話から3日後、突然の呼び出しに少々慌てながらも、もう既にこの時“強引を強引と感じさせない”不思議な絵門さんペースにはまりつつあったのかもしれない。 その小一時間後には、お互いの中間地点でもある西船橋駅に程近い自然食のお店で、二つのコーヒーを前にして向かい合っていた。 聖路加以外でお会いするのは初めてだった。 つまり・・・、傍らに点滴棒のない絵門さんを見るのもその時が初めてだったことになる。 さすがに首にはプロテクターを着けていたが、元気溌剌の雰囲気は病院で感じる以上だった。 挨拶もそこそこに、絵門さんの一言・・・。 「山中さんも頚椎の手術をされたんでしたね」 そのことは個展のDMに添えた手紙の中で軽く触れてあった。 「そう、僕も4ヶ月くらいはプロテクターのお世話になってたかな・・・」 「じゃあ、私たち頚椎仲間ね・・・」 その言葉に二人とも思わず吹き出した。 ひと笑いしたお陰で、少なからず緊張していた私の気持ちはいっぺんに和らいだ。 そしてその後2時間近くもの間、例の“お願い”の詳しい内容はもちろん、入院中から退院後に至るまでもろもろの話が休むことなく続いたのである。 私はそんな絵門さんを見ながら、初めてお会いした時の・・・鼻に酸素のチューブを入れたまま懸命に話し続ける絵門さん・・・いや三門さんの姿を思い出していた。 そして今目の前で、これから先の夢の数々を嬉々として語る絵門さんの瞳に、まさにあの時と同じように強く光る輝きをはっきりと見たのである。 明日という日を信じ、夢に向って一瞬一瞬を必死になって生きようとしているあの瞳の輝きを・・・。 その瞬間、私の中でずっとわだかまったままでいた“三門さん” と“絵門さん”のギャップが埋まり、バラバラだった二人がやっと一人になった気がした。 “お願い”・・・については、結局受けることになった。 絵門さんが朗読し、二人の音楽家が演奏している姿を、とにかく楽しそうに・・・とのこと。 その資料として、それまでのコンサートのビデオと写真をごっそりと預かった。 ジャンボ掛け軸に直に描くのではなく、いつものように紙にパステルで描いた作品を機械処理して作るとのこと。 それには正直ホッとした。 しかし、与えられた時間はたったの10日間・・・。 今度は目の前がクラクラした。 更に輪を掛けて私を悩ませることになったのは、絵門さんが望む絵の雰囲気だった。 「山中さんの好きなように描いて下さい!」 最初はこんなありがたい言葉をいただいたのだが、その一言では終わらなかった。 「別に本人にそっくりじゃなくていいの」 「あくまでイメージで構わないから・・・」 「とにかく、可愛く、可愛く、可愛く描いてくださればOK・・・」 「いつもの山中さんの絵のように繊細じゃなくても・・・」 「イラスト調と言うか、漫画チックな感じと言うか・・・」 (オイ、オイ、オイ・・・、随分と好き勝手なことを並べてくれるじゃないの・・・。 そんな絵は描いたことないよぉ〜) 心の中でそう叫びながら、でも実際にはウンウンと頷いていた。 喜んで・・・と素直に言える状況では決してない。 むしろ不安だらけだった。 しかし、どうなるか分からないけど、(やってみたい・・・)と望む自分がいた。 それでも敢えて、(やってみよう!)と思う自分が・・・いた。 そう思わせてしまう何か不思議な力が、きっと絵門さんの言葉の中にあったのだろう。 そしてその絵門さんが天国に行ってしまった今でも、私の心の中は、その不思議な力にどれだけ感謝しても感謝し尽くせない気持ちでいっぱいなのである。 絵を描く・・・ということには変りは無いが、私にとっては明らかに新たな挑戦だった。 不安だらけのはずだったのに、あまりに時間が無くて、不安や迷いなどを感じている余裕も無かった。 開き直っていたのかもしれない。 心のどこかで、そんな状況を楽しんでいたようにさえ思う。 まさにこれぞ、絵門マジック! しかし、そのイラスト引渡しの日、そしてコンサート当日と、絵門さんには立て続けに驚かされることになる。 今思い出しても・・・本当に・・・びっくり! びっくり! |
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| 2006年7月7日 | |
| 絵門ゆう子さんとの想い出 その4 ―浪漫の詩― 「お待たせしましたぁ・・・」 背後から10日振りに聞く声が・・・。 振り返ると、淡い桃色の毛糸の帽子を被り、同じような毛糸のマフラーをプロテクターの上から首に巻いた絵門さんがニコニコしながら立っていた。 その視線は、私に・・・というよりは、私が手にしたちょっと大きめなイラストケースに向けられていた。 場所は代々木駅の改札口を出たところ・・・。 朗読コンサート用のジャンボ掛け軸に使う絵の制作依頼をいただいて、ちょうど10日目の2月23日・・・。 本番まで一週間を切り、その当日に掛け軸を間に合わせるには、この日が資料を揃えるリミットだった。 掛け軸制作を依頼するK氏の工房までは、代々木駅から徒歩で10分弱の距離だった。 そこまでの道のりを歩く間中、絵門さんの視線はイラストケースと私の顔を行ったり来たり・・・。 「その中に入っているのね・・・」と言っては、ニヤリ・・・。 「早く見たいなぁ・・・」と溜息混じりに、またニヤリ・・・。 そのお預けを食った猫みたいな目で見られるたびに、私はまるで自分が意地悪をしているような錯覚にとらわれ、妙にバツの悪い思いをしながら歩いていた。 初めて歩いた道とは言え、実際よりもかなり遠く感じたのはそのせいだったのかもしれない。 工房に到着するや否や、K氏との挨拶もほどほどに、早速作品の披露となった。 厚手のボードに挟んだ絵をケースからゆっくりと出し始めると、この10日間私の頭の中にず〜っと居座っていた心配事がまた顔を出した。 (果たして、気に入ってもらえるだろうか・・・?) 私はにわかに不安を感じ始めた。 (早くっ! 早くっ!) 声には出さないまでも明らかに心の中でそう叫びながら、大きく見開かれた目でジッと私の手元を凝視している絵門さんを見ると、その不安は更に大きく膨らんでいった。 しかしだからといって、今更どうにかできるものでもない。 私は覚悟を決め、(エイ、ヤッ!)とボードを開いた。 「うわっ! すごい! すごい! いいよぉ・・・、素敵!」 絵門さんの口から飛び出してくるありがたい言葉の連発に、正直なところほっと胸を撫で下ろした。 「ブンちゃんとミナコさんの二人の雰囲気が、何とも言えなくイイ感じねぇ・・・」 “ブンちゃん”とは、オーボエ奏者の加古文子さん・・・。 そして“ミナコさん”とは、ユーフォニアム奏者の石橋美奈子さんのこと。 お二人ともプロの演奏家で、“アンサンブル・アレーズ”という名のユニットを組み、絵門さんの朗読コンサートに参加されて何度も一緒の舞台に立っていた。 しかし、その当時私はまだお二人に直接お会いしたことが無く、絵門さんから預かった何枚かの写真に写っている小さな小さなお二人の姿だけを参考に描くしかなかった。 つまり・・・、似ているか否かという問題以前に、そのイメージを表現するだけで精一杯だった。 だから、絵門さんがお二人の絵を気に入ってくれた様子に再度胸を撫で下ろしたのは言うまでも無い。 絵門さんの視線がご自身の絵の部分に移る・・・。 その目に更に真剣さが増したように見える。 「・・・・・・・・・・・」 決して短いとは言えない・・・、かと言って長い・・・とも言い難い、何とも微妙な間を置いて、絵門さんの口から小さな唸り声にも似た声が漏れた。 「う〜〜〜ん」 私の中で、一度は消えかけた不安が再びその頭をもたげ始めた。 「あのね・・・、私この絵とっても気に入っているのね・・・。 構図もバッチリだし・・・、雰囲気も夢があって素敵だし・・・。 ただ・・・・・・」 (ただ・・・?) 「ただね・・・・・・」 (ただ・・・、何?) 「気を悪くしないでほしいんだけど・・・」 心臓の鼓動がだんだん大きくなってくる。 それでも何とか冷静を装う。 「いいですよ。 遠慮なく言ってください」 「うん・・・・・・。 私の・・・顔・・・なんだけど・・・」 (絵門さんの顔・・・?) 「ちょっと・・・リアル過ぎるのね」 (・・・・・・???) 「つまり・・・、なんて言うか・・・・・・」 何とも歯切れの悪い言葉が続く。 ・・・と思いきや、何か意を決したように、突然絵から視線を上げた絵門さんが一気に喋りだした。 「もっと可愛く描いてほしいの! 子供っぽくなっても構わない! 漫画っぽくなっても全然構わないから、とにかく可愛い〜って感じにしてほしいの!」 一発ずつしか打てない火縄銃が、突然最新式の機関銃になったかのようだった。 「睫毛を思い切り長〜く・・・。 髪の色は、真っ黒よりも少し茶髪っぽくした方が若く見えるのね。 アイラインをもう少し濃くして、ここには頬紅を・・・。 ここのラインはもうちょっとふっくらとさせて、こっちはむしろスッキリと・・・。 etc・・・etc・・・etc・・・・・・」 一旦理想を追い求め始めた絵門さんには“妥協”ということは存在しなかったようだ。 次から次へと出てくる要望に、私はただ唖然として聞き入るばかりだった。 絵門さんが望んでいたご自身の絵のイメージは、私が思っていた以上にもっとずっと漫画の主人公に近い美少女だったようだ。 10日前に聞いた「漫画チックな感じ・・・」という絵門さんの言葉を改めて思い出した。 ちょっと大袈裟に表現したのかと思っていたが、大袈裟でもなんでもなく、まさに本心そのものだったのだ。 (どうしよう・・・???) 家に持ち帰って修正し、後日改めて・・・・・・などという時間は無い。 頭の中がパニックし始めていた。 私は無意識のうちにイラストケースの開け、中を覗き込んでいた。 そしてそこにもう一枚絵が入っていたことを思い出した。 それは本番の絵を描く前の下描きとして、絵門さんの部分だけを描いたものだった。 まさかこのような状況になるとは想像もせず、制作過程の一つとして見ていただくのも話の種になるかな・・・ぐらいの軽い気持ちで入れてきたのだった。 完成作品と比べると、当然のことながら描き方もかなりラフで、色も部分的にしか入れていない。 このタイミングで出すわけにはいかない・・・そう思って再びケースの中へ戻そうとした・・・その時、 「その絵は・・・?」 いつの間にか絵門さんが私の手元を覗き込んでいた。 「いや、これは・・・・・・」 一瞬どうしたらよいのか判らなかった。 しかしそのまま仕舞う訳にもいかず、その絵の説明をしながらゆっくりとテーブルの上に出した。 「私、こっちの方が好きだな!」 静かだが、きっぱりとした口調だった。 「えっ! でも、アレーズの二人が入ってないし・・・、色も全然だし・・・、パステルなんて持ってきてないし・・・」 自分の声がだんだん小さくなっていくのが分かった。 「そうかぁ・・・。 何とかならないかなぁ・・・。 こっちの私の方が好きなんだけどなぁ・・・・・・」 ちょっと悲しそうな絵門さんの表情に、胸がキューっと締め付けられた。 (何とかしたい・・・。 でも、どうすれば・・・?) 絶望にも似た気持ちで胸がいっぱいになりかけた時、ふと傍らに人の気配を感じた。 振り向く間もなく、私の目の前に透明ビニールのケースに入った12色の色鉛筆が置かれた。 「それで良かったら、使って・・・」 K氏の穏やかな声が聞こえた。 思わず振り向いた私の目に、微笑みを浮かべたK氏の顔が映った。 「一枚の紙に全部描いてなくても大丈夫だから・・・。 別々にスキャンして、あとでパソコンの中でうまく一緒にしちゃうからサ。 とにかく・・・、何とか絵門さんだけ仕上げてよ」 目から鱗が落ちた。 それも一枚に留まらず、ポロポロと、何枚も・・・。 (あとで、うまく、一緒に、しちゃう・・・??? 何それ? そんなの有り?) パソコンに対する己の無知さ加減に呆れながらも、その一方で素直に喜び感謝している自分がいた。 「やったぁ!」 この叫び声の発生源は私ではなく、絵門さん・・・。 K氏が微笑みを浮かべたまま、私に向って軽く頷いた。 その意味が何となく分かったような気がして、私も頷き返していた。 (よしっ!) 私は決めた。 「絵門さん、自分で描いてみる?」 「えっ・・・?」 思わずこちらを見た絵門さんの顔に、“しまった!”という表情が浮かんでいた。 きっと私が腹を立ててそう言ったとでも思ったのだろう。 「違う、違う・・・。 僕はお化粧するのが苦手だからですよ」 絵門さんの顔がだんだんと笑みでいっぱいになっていった。 「うん! やってみる。 やってみたい・・・」 そう言い終わるか終わらないかのうちに、絵門さんの手には髪の毛用の茶色の色鉛筆が握られていた。 無言で真剣に色鉛筆を動かし続けている絵門さんの表情は、まさに“無邪気”そのもの・・・。 一瞬、私の隣にいるのは絵門さんではなく、小さな子供がただ無心にお絵描きに夢中になっている・・・、そんな錯覚にとらわれてしまうほどだった。 自分の描いた線が気に入らないと言っては消しゴムでごしごし・・・。 さらにそのゴム滓を素手でぱさぱさ・・・。 残っているパステルの粉が擦れて広がる・・・。 そんなタブーの連続・・・。 いつもの私だったら目を覆いたくたるような情景が次々と目の前で繰り広げられる。 しかし、その時の私は何故かそんな状況を心のどこかで間違いなく楽しんでいた。 (今日は、何でも有り・・・!) 心の中の私がそう叫んだ。 決して投げやりになっていたわけではない。 真剣に色鉛筆を動かし続ける絵門さんの横顔を見ていると、ひょっとしたら私の中にあったかもしれないつまらないプライドなど全く無意味に感じられた。 自分の気持ちに正直に、できる限りの最善を尽くす姿・・・。 それは、とても新鮮で且つ魅力的だった。 そんな彼女に対して、いつの間にか素直に敬意を表している自分がいた。 「ここがどうしても上手くいかない・・・。 山中さん、描いてくれますか?」 「オッケー、いいですよ」 色鉛筆を受け取って、早速紙の上を走らせる。 気が付いてみたら、私もまた無邪気に絵を描くことを楽しんでいる子供になっていた。 ひょっとしたらこの10日間、“楽しく絵を描く”ということを忘れていたのかもしれない。 気に入ってもらえるように・・・そんなことばかりを考えて・・・。 どれくらいの時間が過ぎたのだろう? そんな感覚さえなくなるほど、何回も交代を繰り返しながら夢中になって描き続けていた。 とにかく絵門さんの納得がいくまでやる・・・そう覚悟を決めていた。 何と言っても、もうその日しか残された時間は無かったのだから・・・。 そして、ようやく完成・・・。 絵門さんにとって決して満足とまではいかないにしても、何とか納得出来るまでに漕ぎつけることができた。 「お疲れ・・・」とK氏の笑顔が無言でそう言ってくれたような気がする。 あとはバラバラにスキャンした画像をパソコンの中で組み合わせてもらうだけ・・・。 私の出番が・・・、ようやく終わった。 時計に目をやる。 工房に着いてから3時間近くが過ぎていた。 「ふ〜っ!」 どちらからともなく溜息が出た。 まるで、それまでずっと息を止めてでもいたかのように・・・。 僅かな間を置いて、絵門さんの妙に神妙な声が聞こえてきた。 「ひどいよね、私って・・・。 山中さんが折角描いてくれた絵を自分の好きなように描き直しちゃうなんて・・・」 「・・・・・・」 一瞬応えに窮した。 しかし、私の気持ちが変わることはなかった。 ただ、ほんのちょっぴりだけ意地悪な虫が顔を出した。 「本当にショック! こんな経験は初めてだなぁ・・・」 私の言葉にこちらを向いた絵門さんの顔が“申し訳ない!”でいっぱいになっていた。 「うそ、うそ・・・。 冗談ですよ。 かえってこちらこそお礼を言わなくちゃ・・・」 「えっ・・・?」 「久し振りに楽しんで絵を描くことができました。 それに、女性の顔のお化粧法も少しは勉強できたし・・・」 「・・・・・・?」 まだ要領を得ないままでいる絵門さんにはお構いなく、私は散らかったままのテーブルの上を片付け始めた。 先の丸くなった12色の色鉛筆、消しゴム、カッターの間には、いろんな色の混じった消しゴムの滓、色鉛筆の削り屑が・・・。 その一つ一つが子供の頃の心を蘇らせてくれた。 そして、この日の貴重な経験を、絵門さんのとびっきりの笑顔と共に、私の心にしっかりと焼き付けてくれた。 朗読コンサートを翌日に控えた2月28日・・・。 受話器の向うから、絵門さんのいつもの明るい声が聞こえてきた。 「山中さ〜ん、出来たよぉ! すっごく素敵だから・・・。 明日、楽しみにねぇ〜」 掛け軸の上部“浪漫朗読コンサート”というタイトルをどんな字体にするか・・・? そのことについてはあのあと二転三転した末、最終的には絵門さんの希望通りご主人の健一郎さんが書いた文字が使われることになった。 絵門さんの、自らのこだわりを大切にする気持ちと、それを実現するためのエネルギーの強さ・・・。 それにはいつも驚きを通り越して感動さえ覚える。 ようやく完成したジャンボ掛け軸が飾られた舞台を想像しながら、私はその日一日をかけて一枚の絵を額装していた。 その絵とは・・・、絵門さんと私が共同で仕上げた“絵門ゆう子”の絵と、“アンサンブル・アレーズ”のお二人を描いた絵を、強引に切り貼りして一枚にした作品・・・。 「原画も皆さんに見てもらいたい」という絵門さんの希望は、私の希望でもあった。 当日ホールのロビーに飾られたその絵を初めて見る人は、「何だ、この継ぎ接ぎの絵は?」と、きっと思うことだろう。 しかしその絵に残る一見醜い継ぎ痕は、私にとって、楽しく絵を描くことの素晴らしさを再確認させてくれた大切な大切な思い出なのだ。 そしてこの時の経験は、やがて『うさぎのユック』の原画を描く時の大きな強い支えとなるのである。 額装を終えたあと、その絵に添えるためのタイトルカードを作った。 『浪漫の詩』というタイトルと共に、“絵門ゆう子・山中翔之郎 共画”と入れることにした。 翌日のための私なりの準備が終わったのは、既に朝の5時を過ぎていた。 4年に1度だけの特別な日に開かれる絵門さんの朗読コンサートが、もう数時間後に迫っていた。 2006年8月13日 付 記 明け方近くにこの回を書き終えたその日、絵門さんと親しかった数人の方々と連れ立って、新盆を迎えた三門家を訪れた。 そしてそこで、思い掛けずも『浪漫の詩』と再会をした。 勝田台でのコンサート以来、2年半振りの再会だった。 冷静に考えてみれば、何も不思議なことではなかった。 コンサート終了後、その絵の依頼主である絵門さんのもとに納めてあったのだから・・・。 ただ、ここのところずっと当時に思いを馳せ、頭の中で懸命になって『浪漫の詩』を思い浮かべ続けていたものだから、実物を目の前にした時、一瞬全身に電流が走った。 久し振りに見るその絵は、ただただ愛しく・・・、懐かしさでいっぱいの例の継ぎ痕は、この時期のせいか、湿気を含んでその部分だけが盛り上がり、あの時懸命になって隠そうとした努力の跡は微塵も見られなかった。 しかし、その誤魔化しようのない継ぎ痕が、何故か妙に嬉しく、無邪気に絵を描く絵門さんのお顔が蘇ってくるようだった。 「山中さん、絵を描く時は、楽しく、楽しく・・・」 絵門さんのそんな声が、何処からともなく聞こえてきたような気がした。 大切にしてくれてたんですね・・・。 ありがとう! |
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| 2006年8月16日 | |
| 絵門ゆう子さんとの想い出 その5 −2・29事件− 2004年2月29日、昼にはまだだいぶ間がある頃、私は寝不足で眠い目を擦りながら、初めて訪れた東葉勝田台駅前の街中を歩いていた。 その日絵門さんの朗読コンサートが開かれる八千代市の勝田台文化センターには、さして迷うこともなく10分にも満たないほどの徒歩で着くことが出来た。 ホールのある3階までエレベーターで上がる。 扉が開くとそこはロビーになっていて、既に何人かのスタッフらしき方々が忙しく動いていた。 見回してみたが、絵門さんの姿は無い。 もちろん他に知っている人はいない。 仕方なく、その中の女性の一人に声を掛けてみることにした。 「あのぉ〜、山中と申しますが・・・」 「あっ、おはようございます。 お待ちしていました」 その優しい笑顔に、ホッとする。 後に判ったことだが、偶然にもその女性は絵門さんのご主人の姉上 宏美さんだった。 彼女はその日の裏方の中心的な役を担っていて、手伝いに来ていた他のスタッフの皆さんにも早速私を紹介してくれた。 「ほら、あの動物の絵を描かれる、山中さん・・・」 (絵門さんの絵を・・・じゃなくて、動物の絵・・・?) 確かにその通りだが、予想とは違った紹介のされ方に少々面食らった。 実は、絵門さんがスタッフの皆さんとの事前の打ち合わせの際に、以前私が彼女に差し上げた猫や犬の絵のポストカードを皆さんにも見せ、しっかりと宣伝してくれていたのだ。 どちらかと言えば、知り合い同士を直接紹介することが苦手な絵門さんだったが、そうして間接的にでもしっかりと私のことを伝えてくれてあったことがとても嬉しかった。 そのお陰もあってスタッフの皆さんとはすぐに打ち解け、その後の諸々の準備も支障なく進めることが出来た。 我が家から引っ張ってきたキャリーカートの荷解きをしていると、絵門さんがホールの中から現れた。 「おはようございます!」 お互いに声を掛け合う。 本番まではまだかなり時間があるというのに、絵門さんを包む空気は既にもう不思議な光を放ち始めているように見えた。 それまでお会いした時とは違って、何かこちらが圧倒されるような雰囲気を感じるほどだった。 「あの絵、持ってきてくれました?」 「もちろん。 でも、何処に飾りますか?」 私は辺りを見回しながら訊き返した 「えぇぇぇとぉぉぉ・・・・・・???」 絵門さんが急に“しまった”顔になる。 (そこまで考えてなかった・・・)と心の中の声が聞こえてくるようだ。 その日、私は3枚の額装した絵を持ってきていた。 1枚は、例の『浪漫の詩』。 そしてあとの2枚は、アンサンブル・アレーズのお二人 加古さん、石橋さん を描いたイメージ画だった。 その3枚を並べて飾ったら・・・というアイデアは素晴らしかったのだが・・・・・・。 何度見回してみても、絵を飾る場所もなければ、そのための設備も用意されているようには見えなかった。 「ごめんなさい。 あとはお任せします。 よろしく・・・」 最初の威勢の良さは何処へやら・・・。 絵門さんはちょっとトーンの低くなった声でそういい残すと、舞台稽古の始まった場内へ戻っていった。 スタッフの方々の中から苦笑する声が漏れる。 思わずポカン・・・としている私と違って、宏美さん始めスタッフの皆さんは、どうやらそのような状況には馴れっこのようだった。何よりも先ず良いアイデアを思い付くことが大切・・・。 そのあとは皆で知恵を出し合って実現すればいいこと・・・。 何もかも全部自分ひとりでやらなければ・・・なんて思わないで・・・。 結局はスタッフの皆さんの協力を仰いで素敵な臨時即席展示場が出来上がり、その3枚の絵は何とか無事に飾ることが出来た。 あっと言う間に時間が過ぎ、開場を知らせるアナウンスが流れた。 既にしばらく前から列を作っていらした方々が客席に急ぐ。 400近くある座席のほとんどが埋まるのに、さして時間は掛からなかった。 私もようやく一観客となることにして、ゆっくりと座席に腰を下ろした。 しかし、なぜか自分も出演者の一人ででもあるかのように妙にドキドキしていたのは、舞台の中央に飾られたあの『浪漫朗読コンサート』の掛け軸のせいだったのだろう。 高さ約5メートル、幅約1メートルの大きな掛け軸の下の部分には、原画を何倍にも拡大してプリントされた『浪漫の詩』の3人の姿が、薄明かりの中でぼんやりと浮かんで見えた。 まだ一週間も経っていないあの代々木での数時間が、何故か無性に懐かしく感じられた。 やがて開演を告げるベルが鳴り、アンサンブル・アレーズの演奏による美しい調べに乗って、舞台の上手から絵門さんが静かに登場してきた。 スポットライトを浴びた絵門さんは・・・、まさに別世界の人・・・。 ゆっくりと朗読を始めたその姿は、僅かに微笑を浮かべた表情から受ける可愛らしさと共に、スッと伸ばした背筋に何か凛とした強さみたいなものを感じさせた。 その時初めて気が付いた。 その首にいつもの見慣れたプロテクターが無い! 後に聞いたことだが・・・・・・。 絵門さんが座る椅子の傍らには小さな四角いテーブルが置かれ、その上には薄紅色のシクラメンの鉢植えが飾られてあった。 実は、その花の後ろ・・・客席からは見えないように、プロテクターが置かれてあったのだ。 頚椎骨折の影響で長時間プロテクター無しの状態でいるのは決して楽なことではないはずだ。 それにも拘らず、私の記憶に間違いなければ、その日絵門さんが舞台でプロテクターを着けることは一度もなかった。 「万が一、首が辛くなった時のためにね・・・。 まっ、おまじないみたいなモンよ」 そのちょっとお道化た言葉の中に、絵門さんが長年培ってきた“語り”というものに対するプロ根性を感ぜずにはいられなかった。 第1部の『ふうちゃんの秘密の引き出し』に続き、第2部では『うさぎのユック』が朗読された。 今改めて考えてみると、それが私と『うさぎのユック』との初めての出逢いだったのだ。 まさかその年の内に自分がユックたちの絵を描くことになろうとは・・・、もちろんその時はまだ微塵にも思っていなかった。 さてコンサートは、その『うさぎのユック』の朗読も終わり、絵門さんお得意(?)のアドリブお喋りによるかなりの時間オーバーを除けば、さしたるトラブルも無いままいよいよ終演を迎えようとしていた。 ところが・・・、“想い出 その3”の最後で予告した“びっくり”の2連発・・・。 代々木のK氏の工房に於ける第一弾に続き、その何倍もびっくりさせられた第2弾は、まさにこの時、何の前触れも無いまま突然やってきたのである。 「皆さ〜ん、お楽しみいただけましたか?」 観客の皆さんに問いかける絵門さんの笑顔に、明らかに安堵の色が見てとれた。 緊張感が薄れた穏やか雰囲気が客席にも感じられる。 私も首を回したり背筋を伸ばしたりしながら、かなりリラックスした気分で絵門さんと観客の皆さんとのやり取りに耳を傾けていた。 「ところで、今日は何の日かご存知ですか?」 「・・・・・・・・・???」「?」「?」 「今日は2月29日。 4年に1度しかない特別な日です」 初めてそのことに気付いた方も多いのか、客席のあちこちで“納得”のざわめきが起こる。 我が意を得たりと、絵門さんの笑顔がその輝きを増し、声のトーンが更に上がった。 そして次の瞬間、“びっくり”が・・・私の上に・・・いきなり・・・落ちてきた・・・!!! 「実は、この大きな掛け軸の絵を描いてくださった山中さんは、今日が誕生日なんです」 (えぇぇッ・・・!!!) 一瞬自分の耳を疑った。 まさに晴天の霹靂! 決して大袈裟ではなく、本当に座席から転げ落ちそうになった。 そんな私の様子に気付くはずもなく、絵門さんの名調子が尚も続く・・・。 「4年に1度の誕生日なんて、歳を取らずに済んで、ちょっと羨ましいですね」 思い掛けぬ話題に場内も大喜び・・・。 何処からともなく拍手の音さえ聞こえてくる。 気が付くと会場中が何だかとても和やかな雰囲気でいっぱいになっている。 “誕生日”という明るい話題は、閏2月29日というただでさえ特別な日をさらに印象深いものにするのに、間違いなく大きな役割を果たしていた。 しかし、その中で私一人だけが冷や汗を拭いながら、それまで経験したことも無いほど自分の顔が紅潮しているのを感じていたのだ。 ただ単に恥ずかしい・・・というだけで、そこまで動揺するはずはない。 (な、なんでそうなるの? 私の誕生日は、3月だよぉ〜〜〜)と心の中で思い切り叫ぶ自分がいる。 その一方で・・・、(本当に3月だっけ・・・? ・・・だよな)などと自問自答している自分もいた。 思いも寄らぬ展開に、頭の中は真っ白・・・。 気が付くと舞台には既に絵門さんの姿はなく、場内は明るくなって、観客の皆さんが出口へと向い始めていた。 私も慌ててその流れに混じってロビーへと出た。 「お誕生日、おめでとうございま〜す!」 ドキッとしながら振り向くと、私が山中本人であることを今日知ったばかりのスタッフの方の一人が、ニコニコ顔で追い越して行った。 (やっぱり聞き違いじゃなかった・・・)頭の中でぼんやりとそう思いながら、口からは自分でも思いも寄らぬ言葉が、驚くほど素直に、何の躊躇いもなく出ていた。 「ありがとうございます!」 私は自分のその言葉に驚きながら、同時に何とも言いようのない不思議な感覚に囚われていた。 その時・・・私は・・・瞬間的に・・・2月29日生まれ・・・になっていたのだ。 (いいんじゃない・・・。 それもあり!) 同じことをつい最近・・・あの代々木で呟いたばかり・・・。 また新たな絵門マジックに掛かってしまいそうな予感を覚えながら、パニックしていたはずの頭の中で、超高速の分析が始まっていた。 (いいんじゃない、それで・・・。 だって、落ち着いて考えてみな。 今ここにいる400人近い人たちの中に、私の本当の誕生日を知っている人なんておそらく一人も居やしない。 そして、自分と同じ空間にいる人の中に今日2月29日を誕生日とする人がいる・・・というただそれだけのことで、今偶然ここに居合わせた人たちのほとんどが、何だかお目出度いようなちょっといい気分になっている。 そんな雰囲気を絵門さんもきっと喜んでいるに違いない。 それを今すぐ慌てて飛んでいって、間違いを訂正してもらう必要がはたしてあるのだろうか? そんなことをしたら、一人一人が心の中で挙げてくれた祝杯がその行き場を失い、せっかく盛り上がった和やかな雰囲気が、いっぺんに気の抜けたしらけムードに取って代わられてしまうではないか) ほんの少し前と比べても、明らかに元気を取り戻しつつある自分が居た。 そして頭の中では、一つの結論が出された。 (絵門さんのとんでもない勘違いには本当に驚かされたけど・・・、いいんじゃない、私も一緒に勘違いしてしまおう。 年のせいか最近だんだんひどくなってきた物忘れが、今日一日特にそのひどさを増したっておかしくない。 それに4年に一度しか来ない誕生日なんて、なんかちょっと神秘的で、年も取らずに済むし、いいんじゃない。 時にはこういうのもあり! 私は本日限定の2月29日生まれで〜す!) 私はいつの間にかこの状況を完全に楽しんでしまっていた。 そしてその思い通り、その日我が家に戻るまでの間、私は2月29日生まれを通したのである。 「お疲れ様でしたぁ!」 翌日の昼過ぎ、絵門さんからご丁寧に労いのお電話をいただいた。 さすがに少し疲れの感じられる声ではあったが、大仕事を終えた後の充実感に満ち溢れていた。 (どうしようかな・・・) 私は迷っていた。 本当のことを伝えるべきか否か・・・。 しかし正直なところ、その時はまだ私自身が“2月29日生まれ”を楽しみ続けていた。 結局そのことには触れないまま電話を切った。 さて、どうしたものか・・・??? そのままにして置いても、別にどうということもないように思えた。 だが、何かのきっかけで真犯人(?)が現れ、絵門さんの勘違いが判明したとしたら、どうだろう・・・? 「ごめんねぇ〜」で済んでしまいそうな気もするが、「何ですぐに言ってくれなかったの?」と逆に怒られては適わない。 そこで当時の私としては珍しくパソコンを持ち出し、上記した前日の出来事を、自分でも多いに楽しみながらちょっとばかり面白おかしく文章にしてみた。 読み返してみると、我ながらなかなかの出来栄え・・・??? 早速プリントアウトすると、いきなり強烈な想い出をいただいたお礼の気持ちと共に郵送することにしたのである。 そして更にその2日後・・・、 「嘘っ・・・??? 山中さんじゃなかったぁ?」 受話器の向こうから、挨拶もそこそこに絵門さんの叫び声が響いてきた。 その慌てふためいている姿を想像するだけで、私の腹はよじれによじれ、言葉を返すことさえ儘ならなかった。 「じゃあ、いったい誰だったんだろう?」 絵門さんの自問自答がしばらくの間続いた。 しかし結局のところ思い出すには至らず、その答えは宿題として残されたのだった。 私だけがびっくりドキドキさせられ、でも同時にとても楽しい思いをさせてもらった“2・29事件”が、ようやく終わろうとしていた。 ところで、はたして本当の2月29日生まれはいったい誰だったのか・・・? 実は、その後絵門さんとの会話にその話題が登場することは、何故か二度と無かった。 更に絵門さんを知る方々の中から、「我こそは・・・」と名乗りを上げる方もいなければ、そのことについての情報を聞くことも未だに無い。 ・・・・・・・・・・・・・ん? 今こうして当時のことを思い起こしているうちに、ふと思い付いたことがある。 もしかしたら・・・、そう、もしかしたら・・・だが、あれは絵門さんの演出・・・? 4年に一度しかないあの日を、更に印象深く観客の皆さんの心に残すための・・・・・・。 まさか・・・・・・、でも・・・・・・。 「自分のことだけを考え、人を騙して不幸にするような嘘は、どんなことがあっても絶対に許されないと思うのね。 でも、人を喜ばせたり幸せな気分にするような嘘は・・・、時には必要なのかな・・・って思う訳。 もちろん後にも先にもなんの影響もないような他愛の無い嘘・・・だけどね。 でもそれは、誰にも絶対にバラしてはダメ! もしも後で嘘だと分かったら、どんなにその場限りの他愛のないものであったとしても、折角のいい気分が台無しになってしまうもの・・・。 時には嘘も必要・・・! でもそれは自分の心にしまったままあの世まで一緒に持っていく覚悟でなくちゃね」 既に絵本『うさぎのユック』が完成してからだいぶ経っていた頃だったと思う。 何がきっかけでそんな話になったのかは思い出せないが、“嘘”ということについて熱っぽく語っていた絵門さん声が、今また聞こえてくるような気がする。 まさか、あの時それを実践したのかな・・・? 「だってあの時急に思い付いたんだもん。 驚かせちゃって、ごめんなさい。 でも・・・、なかなか良いアイデアだったでしょ」 それとも・・・、 「そんなことないよ・・・。 あの時本当にそう思ってたんだもの・・・。 驚かせちゃって、ごめんなさい。 でも・・・、まんざら悪くない勘違いだったでしょ」 いずれにしても、悪戯っぽくぺロッと舌を出した絵門さんの笑顔が見えるようである。 はたして真実は如何に・・・。 それは、神・・・いや、絵門さんのみぞ知る・・・・・・。 “2・29事件”とは別に、同じその日付けに係わる絵門さんの印象深い言葉がある。 あの時私は恥ずかしながらパニック状態に陥り、頭の中は真っ白になっていた。 しかし、落ち着いてもう一度思い起こしてみると、“びっくり”話の後に続く絵門さんのその言葉だけが今でもはっきりと蘇えってくる。 「4年後の2月29日にも、また今日と同じこの場所で朗読コンサートを開きたいと思っています。 皆さん、その時もまた元気でお会いしましょう!」 そんな絵門さんの言葉で、舞台は幕を閉じたのだった。 ご主人健ちゃんのふるさとは、絵門さんにとってもきっと掛け替えのないふるさとになっていたのだろう。 その大切なふるさとの皆さんとの約束・・・。 その言葉を信じたかった。 いや、間違いなく信じていた。 きっと絵門さんご自身もそうであったに違いない。 そして、その日会場にいた全ての人たちも・・・。 でも・・・・・・、でも・・・・・・。 あの時の絵門さんの笑顔を思い出し、今また新たな悲しみを覚えているのは、たぶん私だけではないはずだ。 きっと天国にも閏年があって、次の2008年2月29日には、絵門さんお得意のお喋りと共に、勝田台とは比べものにならないほどたくさんの天使たちみんなに、あのとびっきりの笑顔の種を蒔いていることだろう。 その日が来たら、ちょっと耳を澄ませて、はるか彼方の空を仰いでみようと思う・・・。 “2・29事件”の余波も治まり、その一ト月余り先に迫っていた個展までの間、私はその準備に集中するため、ほとんどずっと自宅に籠り切りになっていた。 そして同じ頃、絵門さんの方では、『うさぎのユック』絵本化の話がにわかに現実味を帯びてきていたのである。 |
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| 2006年8月30日 山中 翔之郎 |
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| 絵門ゆう子さんとの想い出 6 −ユックがぴょん!ぴょん!− 「もしもその話が決まったら、山中さんに絵を描いてもらいたいなぁ・・・」 「うわぁぁぁ、もちろん、喜んでぇぇぇ・・・!」 ニコニコ顔の絵門さんから突然飛び出してきた冗談とも本気ともつかない言葉に、私はちょっとお道化て応えるしかなかった。 “その話”とは、絵門さん作の朗読本『うさぎのユック』の絵本化のこと。 と言っても、この会話は2月29日の勝田台での朗読コンサート終了後、帰り際のロビーで交わされた立ち話の一つに過ぎない。 実はその日のコンサートに、出版社“金の星社”の方が来ていて、絵門さんとの挨拶の中でそのような話が出たらしい。 そのことを考えれば、全くの冗談、可能性がゼロ・・・という訳ではないけれど、まだその時点では、具体的に云々という段階には程遠い話でしかなかった。 絵門さんの言葉も、真剣に受け止めればかなりドキドキものの大変な内容なのだが、少なくともその時の私にとっては、全くの雲を掴むような話・・・。 絵門さんの表情からも、まだまだ現実味を感じることはできなかった。 私自身が一ヶ月程先に個展を控え、その準備の遅れ具合の方に気持ちの大部分が向いていたこともあったのかもしれない。 しかし絵門さんの中では、たとえ可能性が1%しかなくても、既にその話は単なる夢物語ではなく、現実のこととして動き始めていたのかもしれない。 やがて4月も後半に入り、私は画廊ボザール・ミューで10回目となる個展を迎えていた。 そして忘れもしないその2日目、聖路加以外の個展では初めて絵門さんが来てくれたのである。 私にとっての彼女のトレードマークとも言うべきいつものキャリーバッグを引っ張り、もちろん首にはちゃんとコルセットを着けて・・・。 自称“方向音痴”とのことだったが、そのせいかどうか、絵門さんの妹さんも付き添いとして(?)ご一緒下さった。 思えば、聖路加で初めてお逢いした時の約束が2年越しで果たされた訳で、あの時の感激は今でもはっきりと覚えている。 「うわぁぁぁ〜〜〜、 生きてるみたい!」 到着するなり新作の絵を前にして大はしゃぎの絵門さんに対して、そんな彼女を傍らで穏やかにたしなめる妹さん・・・。 その対比を何ともほほえましく感じながらも、はたしてどちらが本当にお姉さんだったか・・・と、一瞬戸惑ってしまった。 ひとしきりの大騒ぎのあと、陳列台の一角に置かれたアジサイの鉢植えを見つけた絵門さんが、その葉にやさしく触れながら呟いた。 「まだちょっと早かったかな・・・」 それは既に初日早々に届けられていた絵門さんからの“御祝”の鉢植えだった。 確かに花芽はたくさん付いているが、しっかりと色付いて開いているものは数えるほどしかない。 「大丈夫! これからたくさん咲きますよ」 「うん、そうね、きっと・・・」 絵門さんはまだ少し残念そうな表情を浮かべながら、ご自分を納得させるように静かに頷いた。 「素敵なお花をありがとうございました。 家でも大事に育てますから・・・」 その時いただいたアジサイの鉢植えは、絵門さんが天国に行ってしまったあとの今年の梅雨時にも、2年前の何倍にも大きくなってたくさん青紫の花を咲かせてくれたのである。 「私ね、アジサイの花が大好きなの。 だから、時期がちょっと早かったけど、どうしてもこの花を贈りたかったんだ・・・」 まるで少しでも早く花が開くようにと自らのエネルギーを送り込んでいるかのように、その葉をやさしく何度も撫でながら呟かれた言葉・・・。 これから先もその青紫の花を見るたびに、そんな絵門さんの言葉を思い出すのだろう。 そして今はまだ悲しみが一緒のその想い出が、年を経るたびに梅雨の鬱陶しささえ忘れさせてくれるような明るく楽しい想い出に変っていってくれますように・・・。 そう・・・、その時もう一ついただいたものがある。 「これ、勝田台の時の写真です。 山中さんの絵もちゃんと写ってるよ」 そう言って渡してくれた何枚かの写真は、絵門さんの地元八千代市在住の写真家 植村正春氏によって撮影されたもので、彼女の魅力を実に見事に捉えていた。 実はそのうちの1枚を、絵門さんが天国に旅立った直後の銀座での個展で・・・、そしてこの7月の聖路加個展でも、追悼の気持ちと共に、天国の絵門さんにも絵を見てもらいたいという思いから会場に飾らせていただいた。 もちろんそんなつもりで下さった訳でないことは分かっている。 しかし、ご自分で選ばれただけあって、その写真の中でスポットライトを浴びて朗読をしている絵門さんは実に活き活きとしていて、そのいかにも彼女らしい明るさいっぱいの表情は、私一人だけでなく、個展に来てくださった全ての皆さんを勇気付け、たくさん元気を与えてくれたに違い無い。 話をユックに戻そう・・・。 と言っても、その日絵門さんが画廊にいた1時間余りの間、何故かユックの絵本化が話題に上ることは無かった。 むしろその数日後、会期もあと2日を残すばかりとなった日の夕刻、熱心に作品をご覧になる一人の女性がいた。 初めて来廊されたこともあってか、特にお話しをするでもなく帰ろうとされたので、記帳をお願いした。 そして、当然初めて見るお名前の横に小さめに書かれた“金の星社”という文字に気付き、慌てて声を掛けさせていただいた。 後に『うさぎのユック』絵本化の際、大変なお世話をいただくこととなる編集者の東沢さんとは、そんな風にして初めてお話させていただいたのだった。 もちろんそのキッカケを作ってくれたのが誰であったかは言うまでもない。 「絵門さんからぜひ見に行ってと薦められて・・・」 私の中で俄かにあの時の絵門さんの話が蘇えってきた。 「そういえば、絵本の話は進んでるんですか?」 私の口からは思わずそんな質問が飛び出していた。 自分では特に何か期待を込めて訊いたつもりではなかったのだが、東沢さんにはそうは聞こえなかったのだろう。 私の中に突如芽生え始めた何かを、私自身よりも先に東沢さんの方が敏感に感じ取っていたのかもしれない。 「いや、まだまだ何も決まっていない全くの白紙の状態なんです」 “白紙”という言葉にちょっと力が篭っているように聞こえる。 それは聞きようによっては、間違った期待を抱かせないようにしているようにも思えた。 その時点で絵門さんと東沢さんとの間でどんな話がされていたのか、もちろん私は知る由もない。 しかし、少なくともある程度具体的な段階の中で、私の名前を出してくれている・・・ということだけは実感した。 (もしかしたら・・・) 正直なところ、そんな気持ちが俄かに私の心の中に生まれたことは確かだった。 するとその一方で、 (そう旨くは行かないよ・・・) もう一人の自分がクールに囁いた。 しかし、いったん生まれてしまった期待は見る見るうちに大きくなっていった。 (たとえば絵本という形で、自分の絵を一人でも多くの人達に見てもらいたい! そして私の絵で、いろいろなメッセージを伝えたい!) 絵の世界に飛び込んで既に5年余りが過ぎ、私の中でそんな思いが日に日に強くなっていくのを感じていたところだった。 ただそれはまだまだ漠然としたもので、自分から具体的な行動を起こすまでには至っていなかった。 「金の星社の東沢さんが来て下さいましたよ・・・」 個展が終わって数日後、私は絵門さんへの御礼の電話の中で、一応の報告をした。 「よかったぁ、行ってくれたんだ。 それで・・・、何かお話は・・・?」 私は“白紙”という言葉が印象に残った東沢さんとの会話を有りのままに伝えた。 「そうかぁ・・・。 まだどうなるかは全然判らないんだけど、私の希望は伝えてあるのね・・・」 「希望って・・・?」 「もちろん、絵は山中さんに・・・ってこと」 「それは・・・、あ、ありがとう・・・。 うれしいです」 受話器を握ったまま、思わず頭を下げていた。 「でも本当にどうなるか、私にもわからないの。 本当に・・・」 その後何度か同じ内容の話は聞いたものの、特に進展のないまま6月に入っていた。 梅雨の走りの激しい雨が降る第二土曜日の夜、銀座の泰明小学校に程近いギャラリーYで絵門さんの朗読会が開かれた。 40人ほどで身動きも取れないほどの決して広くはない会場ではあったが、いつものようにアンサンブル・アレーズのお二人も参加・・・。 絵門さんの“朗読”に注がれる情熱は、その会場の大小に関係なく変ることはなかった。 朗読会に引き続いて懇親会も催され、和気あいあいとした雰囲気のせいか、絵門さんも一口だけのビールにほろ酔い気分・・・。 いつもの明るさが尚一層パワーアップしたようだった。 やがてお開きの時を迎え、慌ただしく撤収作業が始まった。 そんな中、私が7月に迫った聖路加での個展のDMを絵門さんに手渡した時、一瞬の間を置いて絵門さんの口が開いた。 「そうそう、絵本のことなんだけど・・・。 実は、今回の第一作についてはベテランの方に絵をお願いするということになったのね」 「・・・・・・」 いかにも何気無い素振りで切り出された話に、やはり即答はできなかった。 「私も山中さんのことを出来るだけ推していたんだけど、出版社さんからすれば、絵本作家として私は全くの新人なわけ・・・。 もちろん山中さんも初めてでしょ。 だから・・・、文も絵も両方が新人というのはリスクが大き過ぎるらしいの」 「・・・・・・」 「あまり無理を言い過ぎて、この話自体がご破算になったら元も子もないし・・・。 何とかユックを成功させて、また2作目ということになれば、その時は山中さんにお願いすることだって充分に可能だと思うし・・・・・・」 「わかりました。 大丈夫、わかりましたから・・・」 私はなおも喋り続けようとする絵門さんを遮るように言った。 ひたすら何気無さを装いながらも、懸命に私の気持ちを気遣ってくれているのが痛いほど感じられ、むしろ私の方が心苦しいくらいだった。 「しょうがないですよ。 出版社とすれば当然のことなんだろうし・・・。」 確かにちょっとばかり残念ではあった。 しかし、それは自分自身で予想していた程度のもので、“ショック!”とか“ガックリ!”いうような激しいものではなく、むしろ(やっぱり・・・、そんなもんでしょ・・・)と、残念ながらも妙に素直に納得している自分がいた。 そう・・・、その話はそれで終わるはずだった。 しばしの夢に心躍らせ、しかし現実の厳しさを思い知らされ、自分だけでちょっとばかり悲劇のヒーロー(?)気分を味わいながら、冷静に納得して、いつもの自分に戻る・・・。 そうなるはずだった・・・。 少なくとも、後片付けに忙しい皆さんより一足先に、まだ止みそうにない土砂降りの雨の中を一人歩き始めた時までは・・・。 しかし、そのあとには、全く予想もしていなかったもう一人の・・・本当の自分がいた。 ギャラリーを出てまだそれほど歩いてもいない頃から、私の中でそれまでに感じた覚えのない不思議な気持ちの変化が始まっていた。 それは決して心地の良い部類のものではなく、一歩進むたびにその不快さが増していった。 「ちくしょう!」 突然搾り出されるようにして飛び出してきたこの汚い言葉・・・。 それが私の中のどこから出てきたものなのかは見当もつかなかった。 ただ、一度口から出たその言葉は、堰を切ったかのように、そのあと何十回・・・いや何百回となく繰り返された。 いったい何が原因で、何に向けてのことなのか全く解らない! 冷静に考えられる状態ではなかった。 ただその時の感情を表す唯一の言葉・・・。 それは、“くやしい!”の一言だった。 ただひたすら、くやしかった。 何に対してなのか・・・? 誰に向ってなのか・・・? ただ何だか解らないけど、とにかく、くやしかった。 翌日目覚めても、“くやしい”という気持ちには何の変わりもなかった。 しかし、さすがに前夜のような感情の昂りは鳴りを潜め、多少なりとも冷静に自らを省みることができるようになっていた。 ちょうどそこへ東沢さんからのFAXが届いた。 その内容は当然の事ながら既に前夜絵門さんから聞いたことを再確認させられるものだった。 しかし意外なことに私がその文面から感じたのは、辛い内容を伝える事務的な冷たさではなく、むしろ人の心に触れたようなあたたかさだった。 それはきっと、絵門さんが下さった気遣いとどこか共通するような、編集者としての東沢さんの気配りからだったのだろう。 まだ依然として続く“くやしさ”の嵐の中で、私は僅かながらもそこから脱出するための光を見たような気がした。 何ということはない・・・。 結局のところ、その“くやしさ”の原因はと言えば・・・、他ならぬこの私自身だったのだ。 少しずつ冷静さを取り戻すにつれ、“くやしさ”の矛先がはっきりと見えてきた。 それは・・・、絵を担当することになった大ベテランの絵本作家さんでもなければ、東沢さんでもない。 もちろん絵門さんである訳がない。 私自身の経験の乏しさ、実績の無さ、そこから生まれる自信欠乏症による押しの弱さ・・・。 そんな自分が情けなくて・・・、そのくせそんな自分でいることを妙に納得している・・・いや、納得した振りをしていられることが、とにかく、くやしくて、くやしくて、堪らなかったのだ。 「お前の絵本を作りたいと思う気持ちは、そんなにいい加減なものだったのか? だったら、もう2度とそんなことは考えるな!」 自分で自分を思い切り罵倒した。 すると、罵倒された自分が、ゆっくりと立ち上がった。 (このくやしさは、決して忘れない!) 私は自分自身にそう誓った。 それまでに味わったことのないくやしさが、絵本に対する自分の本当の気持ちを教えてくれた。 (私にしか描けない絵本を、いつか必ず描く! 私じゃなければダメだと言われる作家に、いつの日か必ずなる!) 私は心の中で叫んだ。 すると、それまで全身に重く圧し掛かっていたものが嘘のように消え去った。 「絵門さん、東沢さん、ありがとう!」 今度は小さく声に出してみた。 そしてもう一つ、心の中で祈った。 (ユックが、どうか素敵な絵本になりますように・・・!) その数日後、私は絵門さんと東沢さんに手紙を書いた。 結果がどうであれ、絵本の対する自分の本当の思いを確認するきっかけを作ってくれたのは、間違いなくお二人だった。 だからこそ、あの“くやしさ”も含めた自分の気持ち全てを正直に伝えることが、お二人への感謝の気持ちを伝える最良の方法だと信じた。 はたしてお二人がどう思われたのか・・・。 そのことについては、その後訊くことも、聞かせてもらうこともなかった。 それからの2週間は聖路加での個展の準備に没頭した。 そしてその間に、予定には無かった1枚の絵を急遽描き上げることにした。 実は、(もしかしたら、ユックを・・・)という気持ちが湧き始めた頃、自分なりのユックのイメージを絵にしてみたいという思いに駆られ、何の当てもなく白いうさぎの絵を描き始めていた。 その描き掛けの絵をどうしても完成させ、聖路加の個展に展示したかった。 もちろん決して売る為などではない。 あの“くやしさ”も含めて、ユックのことで経験することができた自分の心の動き全てを忘れないために・・・。 そして、そんな自分の強い思いを知ることができたことへの感謝の気持ちを込めて・・・。 最後の最後まで悩んだ末、私はその絵に『決意』というタイトルを付けることにした。 聖路加個展の2日目・・・。 梅雨の真っ最中だというのに、めずらしく明るい陽射しを感じる午後だった。 「こんにちは!」 聞き慣れたあの明るい声が耳に飛び込んできた。 振り向くと、点滴棒に片手を添えたいつもの聖路加スタイルの絵門さんが、やはりいつもと変わりない笑顔を浮かべていた。 その傍らには妹さんが今回も付き添いで・・・と思った。 「付き添いじゃないのよ」 絵門さんがわざとらしく膨れ面を作る。 「この人は私に付き添うためじゃなくて、山中さんの絵が見たくて来たんだから・・・」 「そんなことないでしょう」 ちょっぴり慌てる妹さんにはお構いなく、早速絵を見始めようとする絵門さんに、妹さんも私も苦笑いをするしかなかった。 しばらくの間、私は他のお客さんへの対応に追われていたが、ようやく一息ついた瞬間に、絵門からお声が掛かった。 「ねえねえ、山中さ〜ん」 作品から目を離すことなく、私を手招きする。 「そんなぁ・・・、手招きなんかして失礼よ!」 妹さんの言葉はまるで耳に入らない様子で手招きが続く。 「は〜い、なんですか?」 私は別に気にすることもなく、むしろ絵門さんの視線の先にある絵の方が気掛かりだった。 案の定、絵門さんは『決意』と対面したまま、その白うさぎの瞳から視線を外そうとはしなかった。 「まさにユックね・・・」 「えっ?」 少しばかり慌てる私にはお構いなし・・・。 「この絵はお値段が付いてないけど、売ってはいただけないんですか?」 妙に丁寧な言葉遣いのときの絵門さんは、私の想像が及ばないようなことを考えていることが多い。 私は正直に答えることしかできなかった。 「ごめんなさい。 売るつもりはないんです」 「なぜ・・・?」 「これは・・・、自分のために描いた絵だから・・・」 「でも、これ、ユックですよね?」 「んんん・・・」 私は思わず言い澱んでしまった。 「どう見たって、ユックそのものだもの・・・」 「だけど、もう僕がユックを描くわけにはいかないでしょう?」 「・・・・・・」 今度は絵門さんが返事に窮した。 「でも・・・、売るとか売らないとかいうのではなくて、もし誰かにこの絵を譲るとしたら・・・、それは絵門さんしかないって思ってますから・・・」 「えっ・・・」 「ただ、今はまだ・・・、勘弁して下さい」 私はちょっとお道化て頭を下げた。 「・・・うん、わかりました」 絵門さんの顔から笑みが消えたように見えた。 沈黙が流れる。 その時・・・、 「あっ!」 妹さんの口から小さな驚きの声が漏れた。 「星のしるしがある・・・」 ああ、ついに見つかってしまった。 『うさぎのユック』の中に、ユックの特徴として、耳の先に星形のしるしが・・・という部分がある。 私は既に公にユックの絵を描ける立場ではないと自覚していたが、私の中ではこの絵はやはりユック・・・だった。 私は自分だけに分かるように、耳の内側のピンク色をほんの少しだけ変えて、何となく星の形のような模様を描き入れていたのだ。 「本当だ、 星のしるしだぁ・・・」 絵門さんの顔に笑みの戻るのがはっきりと見て取れた。 「でも、私が考えた星じるしは、耳の先の毛が星の形に色を変えて、陽の光を受けて金色に輝いているの」 「・・・・・・」 「山中さん、そのうちに描き直してくださいね」 「えっ・・・・・・」 絵門さんの言葉の真意を量り兼ね、何と返事をしたらよいのか解らなかった。 しかし不思議なことに、絵門さんはもうそれ以上その絵のことに触れようとはしなかった。 ただその時、絵門さんの視線が焦点を無くして宙を漂い始めたことに、私は全く気付いていなかった。 その焦点が定まるところに、絵門さんは何を見ていたのか・・・? その答えは、思いも寄らぬ早さで知らされることになった。 聖路加での1週間の会期を何とか乗り切り、まだその疲れも癒えない7月14日・・・。 何の前触れもなく、ユックが ぴょんぴょん やってきた! |
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| 2006年10月3日 山中 翔之郎 |
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| 絵門ゆう子さんとの想い出 その7 −ユックの星印が光った!− 「急なんだけど・・・、今日お会いできませんか?」 聖路加の個展が終わってまだ間もない7月14日の昼近くだった。 陽がだいぶ昇ってから眠りに就いた私は、絵門さんからの電話で起こされた。 「う〜ん、一つ予定が入ってるんですが・・・」 私はまだ半分寝ぼけた頭でそう応えた。 「そうかぁ・・・。 じゃあ、その後にお時間いただけませんか? どうしてもお話したいことがあるんだけど・・・」 少々強引なところにはさして驚かないが、その時のめずらしく真剣な口調に否応無しに目が覚めた。 「わかりました。 夕方になってしまうけど、構いませんか?」 「全然、オッケー! 少しでも早い方がいいから・・・」 「でも、いったい何の話ですか?」 絵門さんの急ぐ様子が、さすがに気になった。 「う〜ん、実は・・・・・・」 「・・・・・・」 「やっぱり、会ってからゆっくりお話します」 その時だけ、受話器の向うに絵門さんの笑顔がほんの一瞬見えたような気がした。 夏の夕方は6時を過ぎてもまだまだ明るい。 梅雨が明けたばかりの陽射しがいまだに雲間から射している。 待ち合わせ場所にした数寄屋橋の小さな公園は、会社帰りの人たちで思いのほか混み合っていた。 私がようやくミニサイズの太陽の塔に着いた時には、既に絵門さんが今や遅しという風情で待ち構えていた。 「食事の前に、ギャラリーYに付き合ってくれますか?」 時間が時間なので、何か食べながらという話になっていたのだが・・・。 一ト月ほど前の、あの土砂降りの夜のことが一瞬脳裏を過ぎった。 「あれ以来一度もご挨拶に行ってないものだから・・・」 「ああ、あの時・・・ですね」 心の中を読まれたような気がして、ちょっと慌てた。 ギャラリーYに入ると、正直なところ少しばかり複雑な気分になった。 そんな私の気持ちとは関係なく、絵門さんはギャラリーのオーナーらしき女性を見つけると、早速朗読会の時のお礼を述べ、さらにご自分の近況報告をし始めた。 私は数歩離れたところに立ったまま、その二人の会話に特に耳を傾けるでもなく、展示されている作品をぼんやりと見ていた。 「こんなところで絵本の原画展なんかできたら素敵でしょうね・・・」 絵門さんのそんな言葉が聞こえ、思わず聞き耳を立てた。 「それは素敵だわ。 ぜひ使って下さい。 でも、そんなご予定があるの?」 オーナーらしき女性がにこやかに訊き返した。 「ええ・・・、実はこんど私の書いた話が絵本になるんです」 そのあとに続く話を想像すると、そのまま聞き耳を立て続けるのが辛かった。 (絵門さん・・・、その話題はちょっとキツイなぁ・・・) 自然と自分の身体がその場から離れようとした・・・その時、 「今日もその打ち合わせで・・・」 そう言いながら絵門さんがこちらをチラッと見る気配を感じ、私は思わず離れかけた足を止めた。 「ねっ、山中さん・・・」 「えっ?」 「あ〜あ、言っちゃった・・・」 わざとらしく手で口を押さえながら、その大きく見開かれた目が悪戯っぽくキラッと光った。 私はまだ事態が飲み込めずに、ひとりポカンとしたままでいた。 そのほんの数分後、私たちはギャラリーと同じビルの上階にあるスペイン料理の店にいた。 テーブルを挟んで座ると、オーダーもそこそこに本題に入った。 「実はね、東沢さんにもう一度話してみたの」 ギャラリーでの突然の予告編のお蔭で、今度はその言葉を落ち着いて聞くことが出来た。 「それで・・・?」 「そしたら、もう一度検討してみてくれそうなの」 「ほ、ほんとに・・・?」 「うん。 それでね、どんな感じの絵になるかだけでも分るように、1枚でも2枚でも構わないから、山中さんの頭の中にある『うさぎのユック』のイメージを絵にしてもらえないですか?」 「・・・・・・」 「簡単でいいから・・・なんて言うと、とても無責任みたいで怒られそうだけど、デッサンみたいな感じで充分だと思うのね」 「・・・・・・」 「どんなに口で説明するよりも、絵を見てもらうのが一番だと思うの・・・」 私はただ黙ったまま、立て続けに飛び出してくる絵門さんの言葉に耳を傾けていた。 消えたはずのチャンスの芽が再び訪れてきた・・・。 それも、こんなに早く・・・。 しかし、私は自分の気持ちをなかなかリセットできないでいた。 そんな不器用な自分が、どうしようもなく歯痒かった。 もちろん絵門さんの言葉を信じたかった。 しかしその一方でそれを押し止めようとするもう一人の自分がいた。 (ダメダメ、期待しちゃ。 どうなるか分からないぞ。 またもう一度悔しい思いをしたいのかい・・・) でも・・・、でも・・・、やっぱりやってみたかった。 結果はどうなろうと、前へ進むことしか考えられなかった。 その時やれるだけのことを、ただ精一杯やってみたかった。 たとえ再び悔しい思いをしようとも・・・。 自分の気持ちがようやく前を向きかけた時、真剣な顔をした絵門さんの言葉が、私の背中を力強く押してくれた。 「私にもどうなるか分からない・・・。 本当に分からないんだけど・・・、でも私は、やっぱり山中さんに描いてもらいたいな・・・」 「・・・・・・!!!」 “嬉しい“とか、“感激”とか・・・そんなふうに単純に思うことは出来なかった。 ただ、胸の奥の方に“ズシンッ!”ときた。 私はもう一度夢を追いかける決心をした。 「分かりました! とにかく、精一杯描いてみます!」 「うわっ、よかったぁ! お願いします!」 絵門さんの顔に笑みが戻っていた。 「金の星社だって、きっとOKしてくれると思うんだ。 こういう時の私の勘て、結構当たるのよね」 さらに得意げな表情まで加わった。 「本当にそうなってくれると・・・嬉しいけど・・・」 「うん、大丈夫! 絶対に大丈夫・・・!」 その妙に自信に満ちた言葉がいったい何を根拠に出てきたものなのか・・・、もちろん私には分かるはずもなかった。 絵門さんの言葉通り、本当に “勘”だけだったのかもしれない。 しかし、そんなことはもう大した問題ではなかった。 「いつまでに・・・なんて言いません。 納得できる絵が描けたら、連絡して下さい」 はっきりとした締め切り日は示されなかった。 しかしその分、絵門さんの並々ならぬ意気込みが感じられ、私は心の中で(少しでも早く!)と強く自分に言い聞かせた。 一瞬『決意』の白うさぎが頭に浮かんだ。 その耳の先の星印は、まだ描き直してないままだ。 しかし、一度は光を失ったはずのその大きな瞳が、再びキラッと光ったように思えた。 一度は諦めた夢が、今また目の前に大きく広がって見えた。 その日の夜、先ず、もう一度原作を読み返した。 改めて長い・・・と思った。 その次の日も・・・、さらに次の日も・・・、あえて描くことをせず、何度も何度も読み返した。 4日目を過ぎた頃から、今度はあらゆる場面を頭の中で絵にしながら読み返した。 すると、一度は淡い期待と共に思い描きながら、結局は消し去ってしまったいくつかの場面・・・。 その一つ一つが改めて蘇えり、今新たに思い描いた場面のいくつかと重なり合った。 私は鉛筆を手にすると、無我夢中でそれらの場面をデッサン帳に描きなぐった。 それは、緻密な計算をしたり、考えに考えた末に搾り出したり、と言うようなものではなく、まるで何か不思議な力によって描かされた・・・とでも表現するしかないような感覚だった。 決して大袈裟ではなく、頭を働かせる間もなく、手が勝手に動いてくれていた。 あっと言う間に(実際には何時間か経っていたのだろうが・・・)、何十枚ものデッサンが描き上がっていた。 それからまた更に数日を掛け、あえて冷静な目で検討を加え、最終的にはその中で特に印象的なもの3点に色を付けた。 「出来ました!」 7月22日、再びユックと向かい合って8日目の夜、私は電話で絵門さんにそう伝えた。 すると彼女は翌日いくつもの予定があったにもにもかかわらず、その全てをこなした最後に会う時間を作ってくれたのだった。 「私も早く見たいもん!」 (疲れているのでは・・・?)という私の心配は、絵門さんのその言葉に一蹴された。 翌23日、朝から何回か電話が来るたびに待ち合わせ時間が遅くに訂正され、ようやく茅場町のとあるコーヒーショップで落ち合うことが出来た頃には、時計の針は既に7時を回っていた。 絵門さんの顔にはさすがに疲労の色が濃く浮かんでいた。 しかし、私が手にしたイラストケースに注がれるその視線だけは、いつも以上に鋭く熱かった。 「早く〜〜〜、見たいよ〜〜〜」 コーヒーを飲むのももどかしく、駄々っ子に変身した絵門さんに即され、私は先ず自分の中でも一番印象的な場面を描いた絵をテーブルの上に出した。 「うわっ・・・」 絵門さんは一言そう発したまま、しばらくの間完全に固まっていた。 その視線の先の絵は、ユックたち5匹のうさぎがライオンに立ち向うために大きな白蛇に成り済まし、夕陽を背にそのかま首を高く持ち上げた場面・・・。 「どうしたら、こんな絵が出てくるの・・・」 それは私への質問と言うよりは、ほとんど独り言といった方が良かった。 実際私自身の中にもその答は見つからなかった。 それどころか、私の方こそ誰かに訊きたいくらいだった。 私は何も答えないまま、彩色した残りの2枚の絵を並べて置いた。 一つは、5匹揃って初めてのピクニックへ出掛けた場面・・・。 そしてもう一つは、かま首を持ち上げようとユックを先頭に飛び上がった瞬間・・・。 「わぁぁぁ!」 その2枚の絵に気付いた絵門さんが再び短く叫んだ。 その声とほとんど同時に彼女の右手がすっと伸び、次の瞬間にはその指先がジャンプしたユックの太い前足を撫でていた。 (あっ、擦らないで・・・) そう叫んだつもりだった。 しかし、実際には声になっていなかった。 「ユック・・・」 絵門さんはまるで何かを語り掛けるかのように、絵の中のユックを撫で続けていた。 その愛しさに満ち溢れた表情が私を黙らせたのだ。 その姿は、大好きな絵本を母親に読んでもらっている幼い子供そのものに見えた。 その本に登場する動物たちを、まるで本当に生きているかのように撫で続ける無邪気な子供に・・・。 名作と言われている絵本・・・。 その多くは、たくさんの子供たちによって何度も繰り返し読まれ、そのたびにめくられ、撫でられ、擦られ、時には折り曲げられ、さらには落書き(描き)までされ、一見ボロボロに見える。 しかしその姿こそが、実はその絵本がいかに多くの子供たちに愛されているかを示す証であり、誇るべきことにさえ思えるのだ。 まだ絵本になるかどうかも分からない絵の中のユックを、まるでもう完成した絵本であるかのように撫で続ける絵門さんの姿が、私に無言のエールを送ってくれているように思えた。 (今日は、これも、あり・・・かな) 以前にも、絵門さんを前に、同じようなことを心の中で呟いたことがあった。 (でもそのうち折を見て、原画に直接触れてはいけません・・・とご注意申し上げよう) また絵門マジックにやられてしまった・・・と思いながらも、私自身がとても満ち足りた気分を味わっていた。 私は絵門さんの気が済むまでそのまま黙っていることにした。 その日、私は彩色した3点の他に、鉛筆だけのデッサンを数点持ってきていた。 お母さん兎のお腹の中でぎゅーぎゅー詰めになっている5匹・・・、その5匹が光の中へ生まれ出て行く瞬間・・・、ユックの前足を鍛えるための訓練・・・、湖の向こうに昇る朝日を見つめる5匹の後ろ姿・・・等々。 どれもデッサンのためのデッサンとでも言うようなもので、絵門さんに見てもらうだけのつもりだった。 しかし彼女の強い希望により、結局はそれらも全て東沢さんにお預けすることとなった。 テーブルの上に広げられた絵を片付け始めた時、絵門さんの目がもう一度光るのを感じた。 最初の話では、私の方からそれらの絵を東沢さんへ送るようにとのことだったのだが・・・。 「この絵、一度私に預からせてください。 一つ一つにコメントを付けて送りたいの・・・」 その真剣な表情に、もはや反対する理由などあるはずもなかった。 「大丈夫! 私の方からちゃんと送るから・・・」 それについては正直なところ少々心配だった。 私はその心配を振り払うために、絵を安全に郵送するための梱包方法を繰り返し絵門さんに伝えた。 ご自宅でもまた、一枚一枚絵の中のユックたちを撫でながら、思いの丈をコメントに込める・・・そんな絵門さんの姿を想像した。 (どんなに擦られちゃっても、イイや。 今日は・・・、何でも・・・、あり!) 心の中でもう一度そう呟いて、私は絵門さんに全てを託した。 それからの毎日は、まさに合格発表を待つ受験生の心境だった。 とは言っても、発表日がいつと決まっているわけではない。 正直なところ、その状況にはかなり辛いものがあった。 忘れよう忘れようとしても、一時としてそのことが頭から離れることはなかった。 そして何も変化のないまま、7月も終わろうとしていた。 実際にはまだ1週間ほどしか経っていないと言うのに、月が替わる・・・というそのことだけで、何ヶ月も過ぎたような錯角さえ覚え、思わず溜息を繰り返していた。 まさに7月もあと一日を残すのみとなった30日、既に夜の9時をだいぶ過ぎた頃だった。 突然鳴った電話に、私はなぜかいつも以上にドキッとした。 「絵門です・・・」 その声はいつもの第一声に比べて心なしか小さく聞こえた。 私は軽く胸騒ぎを感じながら、それでも平静を装った。 「何か進展がありましたかぁ?」 「実は今日、東沢さんから連絡があって・・・」 なぜか絵門さんの声は益々聴き取り難くなり、それはわざと声を潜めているかのようにさえ思えるほどだった。 私は思わず受話器を強く耳に押し付けた。 「ユック・・・・・山中さん・・・・・お願い・・・・・になった・・・・・」 「えっ? よく聞こえないんですけど・・・」 心臓の鼓動が急に早くなる。 すると、一気にボリュームを上げた絵門さんの声が鼓膜を震わせた。 「ユックは山中さんにお願いすることになったって!」 「えぇぇぇ! ほんとに・・・?」 私も負けずに大声を上げていた。 「でもね、これはまだ内緒の話だから・・・」 絵門さんの声が再び小さくなる。 「じゃあ、まだ決定したわけじゃないんですね?」 私も釣られるように声を潜めた。 「ううん、決定なのは間違いないの。 ただ、すでにお願いしてある先生にちゃんとお断りのご挨拶をして、そのあと正式に山中さんの方へ連絡があると思うよ」 「・・・・・・」 「それまでは内緒にしておいて下さいって東沢さんに言われたんだけど、やっぱり黙ってられなくて・・・」 「・・・・・・」 「だから、東沢さんから連絡があるまでは、山中さんも私がお話したことは内緒だからね・・・」 (なんだよ〜〜〜、ドキドキさせてぇ・・・。 いくら内緒だからって、電話でひそひそ話しをしなくたってイイじゃん!!!) 私は心の中でそう叫びながら、受話器ごと握り締めた両手を思わず高く上げていた。 「ありがとう! 絵門さん、本当にありがとう!」 「私じゃないよ。 山中さんの描いた絵が良かったから・・・」 「いや、そんなことないって。 絵門さんが推してくれたから・・・」 「違う、違う。 私は何もしてないよ・・・」 傍ではちょっと聞いていられないような・・・、しかし本人にとっては嬉しくて嬉しくてどうしようもない・・・そんなやり取りがしばらく続いた。 「ところで・・・、一つだけお願いしたいことがあります」 絵門さんの急に改まった口調が私を緊張させた。 「どうか、眞由ちゃんの気持ちも一緒に込めて描いて下さいね。 それだけは絶対にお願いします」 絵門さんと共に、ユックたちの生みの親である眞由ちゃん・・・。 まだ一度も会ったことのない眞由ちゃん・・・。 13才で白血病と闘いながら、いつも笑顔を絶やすことがないという眞由ちゃん・・・。 私はそれまでにたった一度だけ、絵門さんと眞由ちゃんが一緒に写っている写真を見せてもらったことがある。 その中に小さく小さく写っている眞由ちゃんの顔を、私は改めて思い浮かべた。 「わかりました。 眞由ちゃんの分まで・・・。 いや、眞由ちゃんになったつもりで描きます!」 「うん、ありがとう。 あとは山中さんの思うように・・・、山中さんが描きたいように描いて下さいね。 絵本らしい絵本に・・・なんて思わないで、子供のためだけじゃなくて大人にも喜んでもらえるような・・・、そう、画集のような絵本になったらいいなぁ・・・」 “画集のような絵本”という言葉が、やたらと強く胸に響いた。 とにかく嬉しかった。 嬉しくて、嬉しくて、どうしようもなかった。 あの時のくやしさが深く激しかった分だけ、この時の嬉しさは特別なものになった。 受話器を置いた後、私はしばらくの間身動き一つ出来ないでいた。 少しでも動いたら最後、身体中の至るところから大切なものが抜け出てしまいそうに思えたのだ。 そしてその頭の中では、今さっき絵門さんと交したばかりの会話が何度も何度も繰り返されていた。 それが決して幻ではないことを確かめるかの様に・・・。 金の星社の東沢さんから直接依頼の知らせをいただいたのは、絵門さんの電話から一ト月近く後のことだった。 決して短いとは言えない日数ではあったが、その間、私は不思議と不安な気持ちにはならなかった。 むしろその間何度か掛かってきた絵門さんからの電話の声の方が、いつもと違って不安げに聞こえた。 「まだ連絡ないですか・・・?」 「まだ、ですね・・・」 「そう・・・・・・。 でも、絶対に大丈夫! 大丈夫だからね!」 絵門さんの言葉は、私に・・・というよりはご自身に向けられているようだった。 それでも私は、その「大丈夫!」という言葉の持つ力に励まされ、前を向き続けることが出来た。 そう、あえて心配事と言えば、それは一つだけ・・・。 “時間”ということだった。 「年末の聖路加のコンサートまでに完成させたいな」という絵門さんの希望を何度か聞かされていた。 “絵を描く”ということに変わりは無いだろうが、絵本制作が初めての私にとって、その手順、方法、そして何よりも所要時間については全くの未知数だった。 その点を考えると、絵門さんの言葉を思い出すたびに、少しでも早く正式な知らせが欲しいと思う気持ちは強かった。 そんな状況の中、一つだけ行動に移したことがある。 それは聖路加での個展で絵門さんから言われていたこと・・・。 つまり、『決意』の白うさぎの耳の星印を描き直すことだった。 あの時は、『決意』の白うさぎを“ユック”と呼べずにいた。 しかし、もう誰に遠慮することもない。 正々堂々と“ユック”と呼べる喜びを感じながら、私は絵門さんの希望通り、ユックの左の耳の外側に金色の星を描き入れた。 8月25日、東沢さんから待ちに待った電話があった。 早速そのことを絵門さんに伝えた。 「よかったぁ〜! さあ、いよいよですね」 絵門さんの声が弾む・・・。 「ええ、いよいよです!」 自分の言葉に、武者震いが全身を走り抜けた。 ユックの耳先の星が、今度こそ本当に、金色の光を放ち始めた。 |
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| 2006年10月21日 山中 翔之郎 |
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| 絵門ゆう子さんとの想い出 その8 −『うさぎのユック』原画完成まで− 「お待たせしましたぁ〜。 遠くまでありがとうございま〜す」 9月に入って既に10日が過ぎようとしていた。 その日の昼過ぎ、絵門さんの地元 八千代中央駅の改札口を出たところで、私は金の星社の東沢さんと共にお迎えの到着を待っていた。 声のする方に眼をやると、いつものように満面に笑みを湛えた絵門さんが左手を小さく振りながら近づいてくるのが見えた。 その高く透き通った声のヴォリュームは、首にプロテクターを着けた姿からは想像し難い大きさで、通り掛かりの何人かが思わず振り返るほどだった。 ご本人自らのお出迎えに恐縮しながらも、東沢さんも私もその光景に思わず顔を見合わせ、吹き出しそうになるのを懸命に堪えながら彼女の方へと近づいていった。 「ん? どうかした・・・?」 そんな私たちの様子に、絵門さんが微笑んだままで訊く。 「いやいや・・・、何でもありませんよ」 慌てて答える私の様子をさして気にするでもなく、むしろその視線は、私の右手に下げられた大きめなイラストケースに注がれていた。 その表情が、その年の2月 初めて絵門さんから絵の依頼を受けた頃の、あの代々木駅前の瞬間を思い起こさせた。 あの時の絵門さんの、笑顔の中で光る熱いほどの視線が再び目の前にあった。 その日は、絵本の話が正式に決まってから、いわゆる原作者、画家、編集者の3人が一堂に会しての初めての打ち合わせだった。 それより1週間ほど前、東沢さんから正式な依頼のお電話を頂いてから数日後に、既に東沢さんと私との最初の打ち合わせは済んでいた。 そこで絵本制作の心得と共に具体的な手順などを聞かせてもらい、1週間後を目安にラフ画を仕上げることになっていた。 提示されたページ割りに従ってその場面場面に添える絵を考える毎日は、今思い出してみても再び心が躍るのを覚えるほどの本当に楽しい1週間だった。 最終的に40点近くになった原画のほとんど全ての原型が、この時にはもう既に出来上がっていた。 そして、そのラフ画が描かれた何冊かの大きめなデッサン帳が、絵門さんの熱い視線を浴びせられたイラストケースの中に入っていたのだ。 その日の打ち合わせ場所になった絵門さんの事務所は、駅からはほんの数分の距離にあった。 その近さにもかかわらず、僅かな道すがらでさえも、絵門さんのヴォルテージは上りっぱなし・・・。 「どんなふうになったんだろう。 ああ、早く見たい!」 聞き手役となった私たち二人は、共にたじたじ状態のままで事務所のあるマンションに着いた。 そこには、スタッフとして絵門さんを支えている彼女の妹さん、義姉の宏美さん、そのお友達の姿もあり、ご挨拶を交しながらの視線はどれも、絵門さんと同じように私の持つイラストケースに集中していた。 世間話もそこそこに、早速打ち合わせに入る。 最初、絵門さんの希望としては60ページの絵本に・・・ということだった。 それは、原作を出来る限りカットしたくないという理由からだ。 しかし、出版にかかわる様々な現実的要素を考慮した末、最終的には48ページという枠の中にまとめることが決まっていた。 その結果として、原作自体もかなり短くする必要がある。 そんな関係で、先ずは文章の削除部分の確認と校正の作業から始まった。 つまり、しばらくの間は絵の出番は無し・・・。 私は一傍観者となって、手付かずのままだったお茶をようやく口に運ぶことができた。 しかし・・・、その状況はものの5分と続かなかった。 絵門さん、東沢さん、お二人ともなぜかその作業に集中し切れていないように見える。 「ねぇ、提案なんだけど・・・」 絵門さんがまるで何かに痺れを切らしたかのような口ぶりで東沢さんを見た。 「折角山中さんのデッサンもあるんだから、文と絵と同時進行しませんか?」 「そうですよね。 そうしましょう」 間髪を入れずに同意した東沢さんの言葉が合図になり、そのためのスペースがあっと言う間にテーブルの上に作られた。 私は手にしていた湯呑みを慌てて茶托に戻し、急に襲ってきた緊張感を振り払うかのように、大きめなデッサン帳を勢いよく広げた。 「わぁ〜、すご〜い・・・」 絵門さんの目が大きく開かれ、その輝きを増す。 「みんなもこっちに来て見てみなよ」 遠慮がちに少し離れたところから覗き込んでいた人たちにも声が掛けられた。 「わたし、鳥肌が立ってきちゃった・・・」 宏美さんが腕を擦りながら呟く。 それを聞いた絵門さん、その隣に座る妹さんが、さもありなん・・・とばかりに同時に頷く。 そのちょっとした騒ぎはしばらくの間続き、その後に文と絵と一緒の打ち合わせが再開されると、私たちは一気にその中へのめり込んでいった。 考えてみれば、それまで絵を描く時はいつも独り・・・。 今回のように、複数の人たちとの共同作業の中で絵を担当する・・・という経験は、私にとってまったく初めてのことだった。 そのこれまでに味わったことのない雰囲気の中に身を置くのは、とても恐ろしくもあり、またそれ以上に心地良くもあった。 私は不思議なくらい素直な気持ちになっている自分に驚ろいていた。 いつも何かと顔を出す“遠慮の虫”は全くその姿を見せることもなく、絵門さんの原案に対して私は正直に自分の意見を言わせていただいた。 「なるほど・・・、それでいきましょう」と、こちらが呆気の取られるほど素直に同意してくださる時もあれば、明らかにムッとした表情になる時も・・・。 今考えてみれば、私も随分と恐いもの知らずだったものである。 ただ単に鈍感なだけだったのかもしれないが、彼女のその不満気な表情に私自身が怯むことはなかった。 しかし、その場に同席していた東沢さんや他の皆さんは、浮かべた笑顔とは裏腹に内心ドキドキしていたのかもしれない。 和気あいあいとした雰囲気の中に、時としてピリピリした緊張感が入り混じった濃密な時間は、延々と夜の8時過ぎまで続いた。 そしてその時、みんなの気持ちの底に流れていたものはただ一つ・・・。 「素敵な絵本にしたい!」 それしか無かった。 私が実際に原画を描き始める前に、3人揃っての打ち合わせは全部で3回行われた。 1回目から10日ほど経って開かれた2回目は、絵門さんの活動に賛同する、とある健康食品関係の会社のオフィスを借りて行われた。 場所は日本橋駅から5分ほど茅場町方面に向かった辺りだった。 絵門さんが都心に出てくる時、予定がたったの1つだけということは先ず無い。 僅かな時間も無駄にしないようにと、その日もいくつかの予定が当然のようにセットされていた。 しかし、一端打ち合わせが始まれば、彼女が中途半端に妥協することなど決して有り得なかった。 納得のいくまで意見の交換を続けるうちに、予定していた時間はあっと言う間に過ぎてしまった。 絵門さんの携帯電話の呼び出し音が何度も鳴り響き、その都度申し訳なさそうに予定のキャンセルを詫びる言葉が繰り返された。 予定を3時間近くオーバーして、何とか物語の最後まで辿り着いた。 文、そして絵、共に課題を残し、次回を最後にすることを確認して、ようやくその日の打ち合わせは終わることになった。 そんな1日の中でも、一つだけはっきりと進展を感じられることがあった。 その日、私は3点の原画を東沢さんに預けた。 絵本のカバー用の原画だけは、印刷の関係で早めに・・・ということを東沢さんから聞いていたのだ。 表紙となる『決意』、裏表紙用で5匹一緒の『みんな揃って・・・』、そして特に予定には入っていなかったが、カバーの折り返しに使われることとなった、カタツムリと一緒の『ゆっくりと・・・』の3点である。 『決意』は7月の時点で既に完成していた。 他の2点も、ストーリーにはこだわらずにお話全体のイメージで・・・という東沢さんの要望に従って、急遽描き上げていた。 ところが、この中で一番苦労したのが、実は既に完成していたはずの『決意』だった。 表紙はどんな絵に・・・ということについては全く議論されることもなく、この話がスタートした最初の段階から暗黙の了解のうちに決まっていた。 しかし、一つ大変な問題があった。 それは、この絵が最初から表紙のため描かれたものではないということだった。 つまり、一作品としての構図上のユックの位置だけを考え、タイトルが入るスペースのことなど全く意識していなかったのである。 そのままだとタイトルがユックの耳の上に掛かってしまう上に、全体のバランスも良くない。 更にユックのシンボルともいうべき左の耳先の星印が隠れてしまうことになる。 それはもう、考えるまでもなく論外だった。 「絵を描き足していただくなんてこと、できますか?」 東沢さんからその言葉を聞いた瞬間、私の頭の中に、あのジャンボ掛け軸のために描いた原画『浪漫の詩』が蘇えった。 第4話で書いた継ぎ接ぎの絵である。 今回もまさにその再現だった。 「何とかやってみましょう」 一応そうは答えたが、心の中では(大丈夫!)と確信していた。 あの時のとんでもない経験が、この大切な時に役に立ってくれるとは・・・。 私はホッとする以上に、その繋がりが何故か可笑しくて笑い出しそうになった。 そんな経緯を経て再度完成した『決意』を絵門さんにも見てもらった。 「わぁ〜! ユック、久し振り!」 先ずは2ヵ月半振りの再会を喜んだあと、その継ぎ接ぎ跡に視線が止まった。 「へぇ〜、すごいね。 こんなことできるんだぁ・・・」 その反応は、私をちょっとだけへそ曲がりにさせた。 「前に1度貴重な経験をさせていただきましたからね・・・」 そう言いながら、絵門さんの様子を伺う。 私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼女の視線が宙を舞い始め、その頭の中の記憶回路が音をたて始めたような気がした。 その数秒後・・・。 「あ〜あ、そうよねぇ。 山中さん、こうゆうのお得意だもんね」 絵門さんがちょっぴり上目遣いで悪戯っぽく微笑む。 彼女の頭の中に搭載されたコンピューターの性能の良さは認めるが、「お得意だもんね・・・」はないもんだ。 私は少し拗ねたような笑みを返す。 東沢さんが不思議そうな顔で二人のやり取りを見ていた。 数分後、私たち3人は御礼の挨拶もそこそこに会議室を飛び出した。 その日の絵門さんにはどうしてもキャンセルできない予定がもう一つあり、既にその約束時間は過ぎていた。 自称方向音痴の絵門さんの道案内として、私がその約束場所の三越の本店までご一緒することになった。 その道すがら・・・、絵門さんが突然思い出したかのように口を開いた。 「本当に・・・、ユックが絵本になっちゃうのね・・・」 「えっ?」 「半年前には、まだまだ夢のような話だったのに・・・」 「ああ、確かに・・・夢でしたね」 私もこの半年間のことを思い返しながら答えた。 「でも、夢はただ見ているだけじゃダメなのよね」 俄かにその声が力強くなる。 「夢は・・・実現させなくちゃ!」 「・・・・・・」 「きっと叶うんだって信じれば・・・、そしてそのために精一杯頑張れば・・・、夢は・・・、夢は必ず実現できるのよ! 必ず・・・!」 それは私との会話というよりは、まるで自分自身に言い聞かせているように聞こえた。 歩くスピードが明らかにその速さを増し、愛用のキャリーバッグが激しい音を立てる。 私は相槌を打つこともできないまま、そのスピードに付いていくのがやっとだった。 私の方が道案内役のはずだったのに・・・。 (絵門さんはいつもこうして前を向き、力強く歩き続けてきたのだろう。 そしてこれから先も、ずっと・・・) ふっとそんなことを思った。 そして、そのことに何の疑いも感じない自分がいた。 それにしても、彼女は本当に自分の行き先を分かっているのだろうか・・・??? 「あっ、絵門さん! そっちじゃなくて、こっち、こっち・・・」 案の定違う方向へ行き掛けた彼女を何とか引き止める。 「あ、そっかぁ・・・。 私、道が分からなかったんだ・・・」 ぺロっと舌を出して照れ笑いを浮かべる絵門さん・・・。 私は思わず一人で笑い声を上げていた。 更に10日が過ぎた。 10月1日に行われた3回目は、思いも寄らぬ場所での打ち合わせとなった。 その日は乳がんの早期発見を掲げるピンクリボンキャンペーンの日でもあり、有楽町マリオンの朝日ホールで開かれるセミナーに、絵門さんもパネラーの一人として参加することになっていた。 そんな忙しいスケジュールの合間を使っての打ち合わせだった。 その後の彼女の活動予定、完成までに残された時間、等々を考えると、原画を間に合わせるためには、その日がいろいろな意味でタイムリミットだった。 「年末の聖路加チャペルでの朗読コンサートまでに完成を・・・!」ということは、建前ではあくまで“希望”ということになってはいたが、実際には“絶対条件”の“大前提”・・・と感じていたのは私だけだったのかな・・・??? とにかく時間は限られていた。 「急なんだけど・・・、今日の打ち合わせに・・・、テレビ取材が入るの・・・」 待ち合わせより15分近く遅れ、息を切らせながら到着した絵門さん・・・。 その開口一番の一言を、私はすぐに理解できなかった。 「・・・・・・?」 返事に窮する私の様子を見て、さらに詳しい説明が続いた。 「前に出演した『金スマ』が、あれからあとも私のことをずっと追っててくれて、今日の打ち合わせの様子も取材したいということなの」 「えっ? じゃあ、みんなテレビに出ちゃうんですか?」 一瞬うろたえる私の様子に、絵門さんが思わず吹き出しそうになる。 「違う、違う・・・。 番組で使うかどうかは全く分からないけど、取り敢えず私の活動の記録として撮っておいてもらうだけだから・・・」 「はぁ・・・???」 「だから、お二人は何にも意識しないで、いつも通りに打ち合わせをして下さればOKなの」 “いつも通り”という言葉に何となく安心して、紹介されたテレビ局の方に連れて行かれた場所は、なんと帝国ホテルの高層階にある会議室だった。 「こんな所、ちょっと来れませんね」 東沢さんが耳打ちをする。 驚きで眼を丸くしていたのは私一人だけではなかったようだ。 案内された10畳はあると思われる部屋に入ると、天気が良いこともあって、大きな窓から見える景色はまさに“絶景”の一言だった。 「うわぁぁぁ、最高! こんな所で打ち合わせしたら、ますます素敵な絵本が出来ちゃうね」 絵門さんの言葉が緊張をほぐしてくれた。 それをきっかけにして最後の打ち合わせが始まると、もうテレビカメラの存在は気にならなかった。 その後ずっと絵門さんが『金スマ』に出演することがないまま時が過ぎ、私の中でもその時の記憶はだいぶ薄れ掛けていた。 しかし、突然絵門さんが天国へ旅立ったあの日から数日後、急遽放送された『金スマ』の特別番組の中で、短い時間ではあったがその時の映像が流された。 その瞬間、画面には映ることのなかったあの時の記憶が悲しいくらい鮮やかに蘇えってきた・・・・・・。 「すご〜い、こんなふうになるのねぇ・・・」 あの時の絵門さんの声が聞こえてくる。 私はその日の為に、少しでも出来上がりのイメージが湧くようにと、白紙の状態で作られたダミー本にデッサンのコピーを張り付けたものを作ってきていた。 絵門さんがそのダミー本をめくりながら話す声は、既に夢の実現を確信し、完成の日の訪れをただひたすら期待していた。 そう、あの時の明るい太陽の光が満ち溢れた部屋の中は、絵門さんだけではなく、みんなの期待でいっぱいになっていた。 光の粒子がみんなの気持ちと同化して、その一粒一粒がキラキラと輝いていた。 絵門さんが参加するセミナーの時間が迫っていた。 何箇所かの細かい部分については、個々に連絡を取りながら進めることになった。 決して充分とは言えないままではあったが、3人揃っての打ち合わせはその日で終了した。 「では、これで本番を描き始めますね?」 セミナー会場に向かう絵門さんを見送った後、私は東沢さんに確認した。 「ええ、お願いします」 東沢さんの真剣な声が返ってくる。 「で・・・、いつまでに仕上げれば・・・?」 私は思い切って質問した。 その答えは、私にとって何よりの重要であると同時に、少しばかり聞くのが恐くもあった。 東沢さんが言い難そうに口を開いた。 「う〜ん・・・、出来れば・・・、今月中に・・・」 (40作÷31日=1.2903・・・・・・) どんなに計算に弱い私の頭でも、その答えが意味することは容易に理解することが出来た。 つまり・・・、1日1作のペースで描いても間に合わない・・・ということだった。 冷静になって普段の制作ペースを考えれば、その数字は“不可能”でしかなかった。 「無理しないでね。 間に合わなかったら、予定を延ばせばいいんだから・・・」 何度か絵門さんの口から聞いた言葉が蘇えってくる。 しかし、それをそのまま鵜呑みにするほど私は鈍感ではなかった。 むしろその言葉の裏側に秘められた、全く逆の意味を持つ絵門さんの思いを、今またひしひしと感ぜずにはいられなかった。 一瞬、眩暈にも似た感覚に襲われる。 (出来れば・・・ということは、本当はもう少し・・・?) 思わず口から出そうになった言葉を、私は何とか呑み込んだ。 ベテラン編集者の東沢さんのことだ。 私にとって初めての絵本制作であることを考えれば、多少の余裕を考慮されているだろうことは充分に想像できる。 しかし、無理矢理に本音を聞きだしたとしても、むしろそれが、逆に大きなプレッシャーになるような気がした。 彼女が実際にどれほどの猶予日数を考えているのかは分からないが、とにかく締め切りは“10月31日”と自分に言い聞かせた。 「間に合いそうですか・・・?」 私の様子がおかしいと思ったのか、東沢さんの心配そうな声が聞こえた。 しかし、間違っても「はい!」とは言えなかった。 「とにかく・・・、やれるだけやってみます」 懸命に笑顔を作りながら、そう答えるのが精一杯だった。 そんな二人のやり取りを、絵門さんが後ろでニコニコしながら聞いているような・・・、ふっとそんな気がして振り返った。 「暮れの聖路加までに、お願いね・・・」 耳元で囁く声がする。 しかし、そこには有楽町の雑踏があるだけだった。 それからの1ヶ月間・・・、私は間違いなく現実とは別の世界にいた。 絵門さんと眞由ちゃんの思いを感じながら、ユックたちと一緒の毎日が続いた。 普段制作するスピードとは比べ物にならない速さで絵は描き上がっていった。 ページごとに登場する、ユックたちたくさんの白兎、ライオン、リス、鳥、蝶、等々・・・、延べ145の生命が次々と息をし始め、その鼓動が聞こえてきた。 あの限られた期間であれだけの数の絵を描いたという事実が、今もって信じられない。 “描いた”のではなく、何か不思議な力によって“描かされた”としか思えない。 あの時の私は、いつもの私ではなかった。 私に“何か”が乗り移っていたのかもしれない。 ただ、気が付くと、まるで呪文のように「ガンバレ! ガンバレ!」「ダイジョウブ! ダイジョウブ!」と自分を励ましながら描き続ける私がいた。 パステルを持ったまま、まるで気を失うかのように眠りに落ちる。 2〜3時間寝て起きたら、また気を失うまで描き続ける。 その繰り返し・・・。 肉体的にはその限界を超えようとしていた。 しかしどんなに身体が悲鳴を上げても、心の中はいつもたのしい気持ちでいっぱいだった。 そう・・・私は・・・最高に・・・幸せだった。 そして、ユックたちとの幸せな日々に別れを告げる時が、もう数時間後に迫っていた。 11月4日午後3時・・・それが原画引渡しの最終リミットだった。 時刻は既に正午をだいぶ過ぎている。 ユックたちとの対面を待ち受ける絵門さんの様子が眼に浮かぶようだ。 「もうすぐ、連れて行きますから・・・」 心の中でそう呟きながら、私は残された僅かな時間を惜しむかのように、ぎりぎりまでパステルを握り続けた。 |
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| 2006年12月27日 山中 翔之郎 |
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| 絵門ゆう子さんとの想い出 その9 −絵本『うさぎのユック』完成 !− 「ごめんなさい・・・、ちょっと、遅れそうです・・・」 自分でも情けなくなるような弱々しい声しか出なかった。 私はほとんど夢遊病者のような状態で、御茶ノ水に向かう地下鉄を待っていた。 11月4日午後、ホームの時刻表示盤は既に約束した3時近くを示している。 「大丈夫だから・・・、慌てないでゆっくり来て下さいね」 携帯電話から聞こえる絵門さんの声が、いつもにも増してやさしく聞こえる。 普段よりも明らかに重いイラストケースが、その日の私には更に何倍も重たく感じられた。 その中には、まだほんの1時間ほど前にようやく描き終えたばかりの、『うさぎのユック』の原画34枚が入っていた。 原画引渡しの場所に指定されたのは、御茶ノ水YWCAのホール控え室・・・。 普通ならば、直接出版社に届ければ済むことだった。 しかし、その前にどうしても原画を見たいという絵門さんの強い希望で、その日予定されていた講演会場での引渡しということになったのだ。 実は私自身も、出来上がった原画をそのまま事務的に出版社の方へ納品する気にはなれなかった。 やはり誰よりも先に絵門さんに見てもらいたい・・・という気持ちが強かったからだ。 御茶ノ水駅からYWCAへ向う道すがら、私は右手に感じるズシッとした重さの中に、ユックたちと共に過ごした日々の重さをかさね合わせていた。 「どうですかぁ・・・?」「大丈夫・・・?」 この1ヶ月のうちに何度か掛かってきた絵門さんからの電話の声が妙に懐かしく蘇えってくる。 ちょっぴり遠慮がちに、そして多分限りなくナーヴァスになっていた私への気遣いで満ちたその声が、何とか最後まで私を頑張らせてくれたような気がした。 ようやくYWCAに辿り着いた時には、約束の時間を既に30分近く過ぎていた。 受付の方に案内されて控え室の前に立つ。 軽くドアをノックし、返事を待たずにノブを回した。 その瞬間、部屋の中から突然拍手が起こり、何が起きたのか分からずにいる私をあたたかく迎え入れてくれたのだった。 「お疲れ様でしたぁ!」 その声と共に、絵門さん、妹さん、そして東沢さんの3人の笑顔が視界に飛び込んできた。 全身からスーッと力が抜けるような感覚が妙に心地良く感じられる。 「お待たせして済みません。 何とか出来上がりました」 思いも掛けぬ拍手の出迎えに応えながら、私は何だか急に照れ臭くなり、それを誤魔化すかのように早速原画を披露することにした。 控え室といっても楽に20畳はあるかと思われる部屋の中央に、いかにも年代物の木製のテーブルが10脚ほど集められて大きな長方形を作っている。 その一方の長辺の中央に私が立つと、向い側に並んだ3人の熱い視線が既に私の手元に注がれていた。 「じゃあ、話の順に出していきますね」 私はそう前置きをすると、先ず最初に、物語の始まり・・・まだまだ小さい5匹の白うさぎがお母さんうさぎのお腹の中でスヤスヤと眠っている場面の絵をテーブルの中央に置いた。 次の瞬間、何を思ったのか、絵門さんがやおらテーブルの上にあがってしまったのである。 置かれた絵を前に正座し、両の手を左右に大きく広げてつき、更に腰を浮かせて絵の上に覆いかぶさるようにして見始めたのだ。 「すごいよぉ〜〜〜」 身体の奥底から搾り出されたような、呻きにも似た声が部屋中に響いた。 食い入るようにして5匹を見つめるその眼は、みるみるうちに涙でいっぱいになった。 「絵の上に落ちちゃう!」 妹さんが慌てて差し出したハンカチを黙って受け取ったまま、絵門さんはしばらくの間じっとその絵を見続けていた。 思いも寄らぬ絵門さんの行動に呆然としていた私は、はっと我に返り次の絵を出そうとした。 「すごいよ、山中さん・・・」 最初とは別人のような優しい声が聞こえてきた。 思わず手を止めて絵門さんを見ると、笑顔の中の眼だけがまだ涙でいっぱいになっている。 私は何も答えずに・・・、いや、答えられずに眼をそらすと、出し掛けた次の絵をテーブルの上に置いた。 何か一言でも口に出したら最後、絵門さんと同じように涙が溢れ出てきてしまいそうだった。 何とか気を逸らせたくて、私は次々と絵を並べていった。 やがて少しずつ気持ちが落ち着くにしたがって、多少のコメントを言い添えたり、東沢さんと印刷に関する確認をしたり・・・。 全ての作品を出し終わるまでには小1時間が経っていた。 その間、絵門さんは最初と同じ姿勢をほとんど変えることなく、新しい絵が出されるたびに様々な感嘆の声を発し続けていたのである。 「それにしても、これだけの数・・・、大変でしたね」 東沢さんが原画を一枚一枚揃えながらしみじみと呟いた。 「そうぉ・・・? 私は絶対に間に合うと思ってたよ」 今度は絵門さんが事も無げにそう言うと、残った涙を拭きながら私を見て悪戯っぽく微笑んだ。 そしてこう付け加えてくれたのである。 「ありがとう・・・」 その一言が私の鼓膜を震わせた瞬間、この1ヶ月間のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。 辛かったこと、苦しかったこと、そんな記憶が全て消え去り、楽しかった思いだけが光り輝いていた。 その日、絵門さんが『うさぎのユック』の原作を書く大きなきっかけを作った少女 眞由ちゃんが病床で描いたというユックたちの絵を、東沢さんが持ってきてくれていた。 「眞由ちゃんが描いてくれた絵、山中さんも見てね・・・」 しばらく前から絵門さんに言われていたのだが、原画が出来上がるまではさすがにその機会を作る余裕がなかった。 薄めの画用紙に色鉛筆で描かれたその2枚の絵を見た時、私の全身を電気にも似た感覚が走った。 そこには、私が原画の中で描いた場面と重なる絵がいくつも描かれていたのだ。 大きな樹の根本にあるユックたちのお家の玄関、居眠りノンコの鼻の先にとまった黄色い蝶、その蝶に向かってジャンプするバリー・・・。 さらに不思議なのは、原作には直接出てこない脇役たち・・・、リス、カタツムリ、テントウムシまでが描かれてあった。 眞由ちゃんとは、会うどころか1度も話したことさえ無い。 それぞれ別々に絵門さん原作を読んだ二人が、いくつもの同じ場面を思い浮かべて絵に描いていたことがとても不思議に思えた。 「眞由ちゃんと山中さんの気持ちは一緒なんだ。 眞由ちゃん、山中さんをずっと応援してくれてたのね、きっと・・・」 いつの間にか私の横でその絵を覗き込んでいた絵門さんが、独り言のように呟いた。 1度流れた電気が、さらにその電圧を上げて、もう一度身体中を駆け巡った。 その日、さらにもう一つ強く心に残っていることがある。 それは絵本の表紙に印刷された『うさぎのユック』という題字のこと・・・。 改めてご覧いただければお分かりの通り、何とも味わいのある字体で書かれたちょうど7つの文字が、虹の七色で印刷されている。 実はこれもこの日に最終決定されたのであった。 この字体と色について、それぞれに絵門さんの強いお気持ちが込められている。 先ずは字体について・・・。 「表紙の題字って、誰が書くんですか?」 本格的に原画を描き始める直前、ふっと頭に浮かんだ疑問を東沢さんに効いてみたことがある。 「絵と一緒に画家さんに書いていただくか、それがダメならこちらで考えますが・・・」 東沢さんの答えに、あるアイデアが頭に浮かんだ。 「絵門さんのご主人にお願いしたら・・・?」 「えっ?」 不思議がる東沢さんの声を聞きながら、私はあのジャンボ掛け軸を制作した時のことを思い出していた。 第4話では軽く触れただけだったが、あの掛け軸の“浪漫朗読コンサート”という字は、ご主人 健一郎さんが書かれた文字を基にして作られたものだった。 1度はボツになった話をギリギリのところで復活させたのは絵門さんだった。 「子供みたいな字って、書こうと思っても書けないのよね。 なかなか味のある字でしょ」 そう言って舞台に掛けられた掛け軸を見上げながら、まるで自分で書いたかのように自慢気に話す絵門さんの顔は、何だかとても嬉しそうに見えた。 その時のことを東沢さんに話すと、早速絵門さんに相談してみることになった。 その後お二人の間でどのような話が交されたか、原画制作に没頭していた私の耳に入ってくることは無かった。 後々健一郎さんから直接聞いたところでは、気が付いたら東沢さんから題字用にとクレパスが送られてきていた・・・とのこと。 正式に絵門さんご本人からの依頼も無いままに決定事項と | |