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★樹原 涼子さんからのメッセージ |
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| 公式ページ:樹原涼子ようこそピアノランド 当ページのメッセージは、樹原 涼子さんのご了解を得て、上記公式ページより内容を転載させていただきました。各項のタイトルをクリックすると、公式ページの当該ページに移ります。 |
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| 2006年04月17日 | |
| お元気ですか? 先週の金曜日、取材されたコメントが記事になるというので、スタッフが掲載紙(女性セブン)を買ってきました。行きつけの美容院に週刊紙は置いてないので、今までじっくり読んだことがなかったのですが、絵門さんと私が並んだ写真が写っているのを不思議な気持ちで眺めました。 これは、昨年のごきげんバンドとのクリスマスコンサート(12月22日)の打ち上げパーティーでの写真で、ハーモニーホール近くのルーマニア料理店で楽しく食事をした時のものです。いつもカメラを持って来てはリハや打ち上げで写真を撮ってくれるスタイリストの友達のおかげで、この写真が手元にあったのをお貸ししました。(ほんとは、いつ何をどんな風に着用したか記録しておくために持ち歩いているカメラなのですが…) 本番後私服に戻ってリラックスしている表情、その年最後の仕事を終えた安堵感が漂っている…のは私の方で、このあとゆう子さんは聖路加国際病院チャペルでの朗読コンサート(27日)と長野での講演会(28日)までやったのでした。やっぱり、働き過ぎだったかもしれません。でも、そうすることが生き甲斐だったのだから、彼女の生き方をまわりは尊重するしかありませんでした。それを支えていらした三門さんの包容力は本当にすごいと改めて思います。 実は、プライベートな旅だから取材では詳しく触れていないけれど、(ゆう子さんはご自分のホームページにも書かれていたと思うのですが)年末には一緒に一泊旅行をしたのでした。往復の電車や宿で、これから書きたい「うさぎのユック」の続きの話、以前からあたためているミュージカルの話(これは音楽をやってねと言われたけれど、叶いませんでしたね…)、5月頃出版される本にもユックのようなテーマソングを作りたいからまた曲を書いて欲しいなど、いつも“これから”についてたくさん話をしていました。そして、赤ちゃんが欲しい、とも。 やっと、私自身の原稿のペースも戻り、今週からバリバリやっていますが、やはりこたえています。土曜日は小原孝さんが発表会で「光る星があったから」をソロで歌ってくれたのを聴いて、号泣してしまいました。ずっと我慢していたのでいっぺんにほどけたというか…。ありがとう、小原さん。ここでちゃんと泣いておかないと、先に行けないかもしれません。 今週号にもまた取材記事が出るようなので、私の発言部分を校正させてもらいました。週刊紙やテレビでは、病気の悲惨さが強調されがちですが、病気であっても人のためになることを何よりも喜び、そのような仕事を自ら生み出していったゆう子さんの素晴らしさにこそ、スポットを当てて欲しいと思わずにいられません。 売上部数や視聴率が大切な世界で、そしてニュース価値のある短い期間に作ってしまわなくてはならない中にあって、良心を持って仕事をしているマスコミの人にお会いできたこともよかったと思います。 私には、私の仕事を待っていてくれる人がいることが励みになっています。それと同時に、私にしかできない、ゆう子さんへの恩返しもあるかな、と、少しずつ考えてみたいと思っています。 hara hara倶楽部のCD「光る星があったから」は、期せずして、生きること、生命がテーマになって、アルバム全体がひとつの大きな星のようになったなとしみじみ思います。心静かにお聴きいただければ幸いです。 Posted by 樹原涼子 |
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| 2006年04月13日 | |
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こんにちは ※ 過去の記述と重複することばかりの文章ですが、ボクの絵門さんへの思いの形とお許しください。 2006/01/18 |
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| 2006年04月09日 | |
| 4月3日に絵門ゆう子さんが亡くなりました。 5日夜にホームページの原稿を書いたときには、まだ亡くなったことを知らず、6日の朝刊で死亡記事を見て初めて知ったのでした。 その日の夜10時頃、テレビ朝日の取材が来て、絵門さんの思い出は、どんな人だったかと質問を受けたのですが、まだ亡くなったことが信じられず、何と答えてよいのか…。ただ、絵門さんがどんなに最後まで今を大切に生きようとしていたか、ひとつひとつの仕事に全力投球していたかは、伝えなくては…。 7日朝10時30分から聖路加病院のチャペルで告別式。ほとんど眠れないままボーッとして出かけたせいか、財布を忘れて出かけてしまう。三門さん(ご主人)のお別れの言葉を聞いたとき初めて、ああ、亡くなったんだと思う。白い菊に埋もれた絵門さんは、ほんの少しほっそりして、もう笑ってはいなかったけれど、凛として美しかった。彼女の最後の作品となった「その手を胸に」と一作目の「光る星があったから」が流れる中、献花することになるなんて思わなかった…。でも、最後に気に入った曲ができて、クリスマスにも2月にも一緒にステージができてよかったね。ありがとう。絵門さん。 右肩に花を置いて「いってらっしゃい」と言ったら、「涼子さん忙しいのに来てくれてありがとう」と彼女の声が聞こえたような気がしてチャペルの外へ出る。 4月だというのに寒風の中、彼女を見送ろうとする大勢の人たちが道にあふれ、遠くに、一緒にレコーディングしたエンジニアや、「うさぎのユック」を作るきっかけになった女の子のお母さんなどの顔が見えた。みんな、それぞれに絵門さんへの別れを言わずにはいられなくて集まってきたのでしょう。でも、声をかけようにも人が多くて身動きできない。 やっと、絵門さんと仲のよかった共通の友人を見つけたとたん涙があふれてきた。頑張ったよね。最後まで…。そこで女性週刊誌の記者に呼び止められ、絵門さんの話を…と言われる。迷った末、絵門さんは私にどうして欲しいかしら…と考えて、取材を受けることにする。 8日、やっとひとりになって、静かにゆう子さんのことを考える。彼女とおつき合いしたこの3年の間に話したこと、作った作品、お互いのイベントにゲストとして出演したステージ、レコーディング、電話、食事、旅行…。お互いに触発しあって楽しく濃い時間が過ごせたと思う。自分の病気のことよりもまず人のことを気遣い、「ありがとう」「ごめんね」が自然に言える人柄。やろうと思ったことはやり通す意志の強さ、いつも未来のことを考え、今日を精一杯生きていたゆう子さん。約束のいくつかは果たし、いくつかは果たされないで逝っちゃったね。残された私たちで、できることは形にして、伝え続けていくからね。 テレビで流れるゆう子さんの映像を見てもなぜかピンと来ない。私にとってはニュースなんかじゃないんだと思う。ピアノの部屋に行くと、ここで歌の練習をしたよね…と私の中のゆう子さんに話しかける。ゆう子さんの方が年上なのに、いつも私がお姉さんみたいだった。 9日の今日、たくさんの友人や知らない人からも励ましのメールやFAXを頂いたことを思い出し、ホームページを更新しなくてはと思う。私のことを気づかってくださってありがとうございます。 何だか、4日間、私の中の時間が止まってしまったみたいでしたが、大丈夫。少しずつもとに戻していきます。そして、ゆう子さんのために何ができるか、少しずつ考えていきます。 桜の季節。日本がこんなにきれいなときに天国に行ったんですね。 ゆう子さんのことだから、きっと天国で、元気に歌ってる気がする! Posted by 樹原涼子 |
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