★エム ナマエさんからのメッセージ
公式ページ:ようこそ! エム ナマエ 夢の力
当ページのメッセージは、エムナマエさんのご了解を得て、上記公式ページより内容を転載させていただきました。各項のタイトルをクリックすると、公式ページの当該ページに移ります。



【2006/04/17】★ 特別記事 ■ 「ありがとう」 絵門ゆう子さん 天国に召される
◆ 悲報
 その夜、人工透析が終了したボクを、家内のコボちゃんがいつものように迎えにきてくれた。結婚以来、一度も欠かされたことのない行事である。
 更衣室で着替えをしているボクの様子を見ていたコボちゃんが口を開いた。どこか用心深く言葉を選んでいる。
 そして伝えられたのは絵門さんの逝去。ほとんど反射的に合掌する。
 永遠に聞きたくない知らせだった。信じたくない出来事だった。
 医学が何をいおうと、人間の運命がどうであろうと、絵門さんの絶命だけは回避できると思っていた。彼女だけは大きな力に守られて、未来永劫命を許されると感じていた。
 まだ信じたくない。それが数日遅れのエイプリルフールであることを祈った。何かの間違いであることを願った。
 けれども…。いつまでも悲報がボクの中で空虚な回転を続けている。

◆ 受け入れなくてはならない事実
 翌朝、目覚めると同時にラジオが悲報を語っていた。テレビでも同様だったらしい。
 朝日新聞が絵門さん逝去を大きく告げている。
 筆者は以前、絵門さんとエム ナマエとの対談を企画実現してくれた、ご本人自身も癌の克服経験を持つ上野記者である。それは誠実で真心のこもった記事であった。
 絵門さんの悲報を公共の電波や活字が告げている。信じたくないボクでも、起きた出来事を受け入れなくてはならない。
 告別式は4月7日の金曜日。翌日である。代々木の山下医院に予約していた副甲状腺昂進病のPEIT治療を急遽変更してもらった。
 重く苦しい気持ちが迫ってきた。絵門さんの告別式に参列する。それは予想も空想もしたくなかった事態である。

◆ 絵門ゆう子さんのこと
 今までも、このホームページで絵門さんのことを思いをこめて語ってきた。ここで繰り返して、今更のように未熟な筆を披露する必要もないと思う。
 ただ特筆したいのは、彼女が天国に召される直前までボクらは仕事の打ち合わせをしていたという事実である。

◆ エッセイ集「ありがとう」
 絵門ゆう子作・エッセイ集「ありがとう」。この本に書かれた18編のエッセイそれぞれに、エム ナマエがオリジナルのイラストレーションを制作していたのだ。すべてのテーマが「ありがとう」。それら18の「ありがとう」について、単なる説明でなく、かつ絵門さんのこめる思いや愛や情熱を表現しつつのイラストレーション制作は簡単な作業ではなかった。
 幾度もその文章を読み返す。内容を把握し、絵門さんの心の波を探る。読者にも絵門さんにも楽しんで喜んでもらえるアイディアを模索する。
 そうして浮かんだアイディアや構図を下敷きにして、18点の原画の下絵を制作した。表紙や扉を数に入れると、全部で20枚の絵である。失敗を数えれば、その数は50枚を超えるかもしれない。

◆ 絵門さんのポートレート
 苦労したのは登場する女性像である。そして、そう、この女性は絵門さんに決まっている。もちろんボクは絵門さんの顔を知らない。彼女がNHKのテレビで活躍していた頃、ボクの目は見えていたわけだが、ボクは映画以外、ほとんどテレビを見ることがなかった。残念ながら、ボクには絵門さんの映像的な記憶がないのである。けれども挑戦しなくてはならない。ボクは絵門さんを描きたいのだ。
 目覚めてすぐの夜明け、ボクは練習用のドローイングブックを開いた。そこに女性の顔を描く。絵門さんとの出会いや触れ合い、語り合いを思い出しながらボールペンを動かす。彼女から感じた波動を画面にぶつける。すると、不思議にもひとつの方向にビジョンがまとまっていく。
 そうした朝を幾度となく繰り返し、とうとう「これ」と思える1枚ができあがった。
「うん。絵門さんに似ている」
 コボちゃんのOKが出る。失明してこれまで、コボちゃんや何人かの友人の顔を描いてきた。不思議なことに、そのどれもが似ているという。盲人がイメージで描いているだけなのだから、そっくりなわけはない。けれども、その人間のスピリットのようなものだけは表現できるものと考えてはいる。
 とにかく、目の見えている人の言葉を信じなくては、全盲のイラストレーターなんて職業はやってられないのだ。

◆ 描き直し
 絵門さんをイメージした女性像を中心に20枚の下絵を仕上げた。ところが、時間のかかる作業だったにも関わらず、コボちゃんからの評価が低い。
「一枚の絵にゴチャゴチャといろんな要素をいれ過ぎてやしないかしら。これじゃあ心を引かれないわ。ねえ、シンプルがいちばんよ。人目でハートに呼びかけてくるようなインパクトのある絵をかいてみてよ」
「けれど、もう時間がないよ。締め切りは2月いっぱいなんだから」
「もっと早くやればよかったのに」
「やればいいってもんじゃない」
 そういいながらも、ボクは編集部と絵門さんにお願いをして、時間をいただいた。おふたりともボクに納得のいく仕事をしてください、とのメッセージをくださったのだ。
 けれども、ひとつだけ気になることがあった。それは絵門さんの状況である。彼女はある時期から抗癌剤を拒否していたのだった。

◆ 絵門さんの闘い
 抗癌剤の有効性。このことはメイルで彼女と何度も議論をしてきた。
 ボクは人工透析によるボーナスの生命時間を20年間以上もらってきた。副甲状腺機能更新症などの合併症や、食事や水分摂取の制限と闘いながらも、とにかく命を絶やさずにしてきた。神様からいただいたこの命の炎を医術で維持してきたのである。方法が何であれ、それ以上に命は絶対無二のもの。救える方法があるうちは、その道を選ぶしか手段はない。ボクはそう考えてきた。
 けれども絵門さんは抗癌剤の限界を考えていたらしい。もしかしたら悟っていたのかもしれない。そして最後に頼れるものは自分自身のナチュラルキラー、人間本来の自然治癒力しかないと結論していた。
 絵門さんもボクも医師から「余命」を宣告された。同じテーマを与えられた者同士の議論は、いつも平行線をたどった。いつまで生きられるか。どう生きるか。
 おそらく彼女にも迷いはあったに違いない。けれども信じた一本道を彼女はひたすら歩んだのだ。綱渡りの綱にも似た狭い一本道の両側は断崖絶壁。落ちれば命はない。その、絵門さんの綱渡りに等しい闘いを知りながらも、ボクは原画制作に手間取っていた。
 絵門さんは大きな力に守られている。ボクは信じていた。そして彼女のナチュラルキラー細胞のパワーが何倍にも増幅されるような作品を制作したい。ボクの中にそんな祈りか、もしかしたら思い上がりにも近い願いがあったのかもしれない。

◆ 完成した原画
 その週末、3月いっぱいの締め切りを待たず、原画はすべて仕上がった。新しいアイディアも、描き直した下絵も彩色も、どれもうまくいった。
「みんな素敵に仕上がっているわ」
 コボちゃんの言葉そのままに、ボクは絵門さんに電話で報告をした。早く見たい、と絵門さんは嬉しそうにいってくれる。けれども、その声はどこか力がなかった。
 翌週の水曜日、雑誌PHPの元編集長、現在は「ありがとう」の担当編集者の小川充さんがお見えになった。私たちは出来上がったイラストレーションを前に打ち合わせをする。

◆ 絵門さんの表紙選び
「どれを表紙にしましょうか。この絵の女性像が、いちばん絵門さんに似ているような気がするのですけれど…」
 小川さんは表紙選びに迷っておられる。
「やっぱり絵門さんに選んでもらいましょう」
 ボクは原画のすべてをお渡しした。小川さんはそのカラーコピーを絵門さんに送る。そして絵門さんは週末をかけて考え、表紙を選んでくださったのだ。
 月曜日の昼間、小川さんから電話をいただいた。
「表紙が決まりました。絵門さんが選んだのです」
 ボクは安心した。とうとう「ありがとう」の原画が仕上がり、表紙や扉の絵が決まったのである。何より嬉しいのは絵門さんがご自身で表紙を選んでくださったことだ。

◆ 最後の言葉も「ありがとう」
 けれども、ご自身で表紙を指定したその夜、絵門さんは呼吸の異常を訴え、救急車で入院した聖路加病院で臨終を迎えたのである。これは後日聞いた話だが、彼女の最後の言葉も「ありがとう」。それを知ったボクの胸は感情の波で破裂しそうになった。

◆ 告別式
 地下鉄「築地」駅の階段をあがる。すると背後から声をかけられた。おおたか静流さんだった。一緒に階段をあがっていくと、また声をかけられる。NHKの青木裕子アナウンサーだった。静流さんも青木アナウンサーも絵門さんと深く関わってきた仲間である。ここで出会ったのは偶然でも何でもない。この広い宇宙に生まれた人間ひとりひとりは、目には見えない糸で結ばれているのだ。

◆ 身内として最後までのお見送り
 礼拝堂は満員だった。ボクらはロビーから絵門さんを見送ることになる。すると声をかけられた。金の星社の東沢亜紀子編集者だった。
 このホームページでも紹介している木村裕一(きむらゆういち)氏との絵本「あしたのねこ」は東沢さんの編集である。そして絵門さんの名作絵本「うさぎのユック」も東沢さんの編集であった。これも偶然ではない。人と人との間に働く引力には不思議な法則があるらしい。
「ご遺族のご要望で、身内としてお見送り願いたいということなのです。どうぞ礼拝堂にお入りください」
 ボクらは東沢さんの誘導で礼拝堂への入場を許された。

◆ 花に埋もれた美女
 告別式の様子は朝日新聞の上野記者が誌面で報告している。読まれた方々も少なくないだろうからボクの表現は省く。
 ただ、見送るご主人の言葉、
「ゆう子、愛している。また会おう」
を聞いたときには思わず合掌、落涙した。
 いよいよ見送りである。花に埋もれた絵門さん。そのお顔にコボちゃんの誘導で触れさせていただく。絵門さんとは幾度となく触れ合ってきたが、お顔に触れるのは初めてだった。冷たくはなっていたが、美しく柔らかい皮膚だった。ボクは彼女に語りかけた。最後まで立派だったこと。見事な人生だったこと。心から尊敬していること。彼女の魂に語りかけているうちに涙がこぼれた。ボロボロと流れた。
 何人もの友人知人から声をかけてもらった。朝日新聞の上野さん。絵本「うさぎのユック」の画家、山中さん。「さかえ」の元編集者、田辺靖始ご夫妻。ボクらは手をとり、悲しみを共有した。隣で青木アナウンサーの慟哭が聞こえていた。
 しばらくすると礼拝堂が静かになる。
「もう一度、お別れをしてくる」
 青木アナウンサーが棺に戻る。ボクもあとを追った。もう一度、絵門さんのお顔に触れたかったのだ。
 ボクの描く絵門さんのお顔、本当にあれでいいのだろうか。全盲の画家として、これが最後のチャンスである。絵門さんを今後も描き続けるためにも、もう一度だけ彼女のお顔に触れたかったのだ。
 天国に召された絵門さんが微笑んでいる。ボクにはそう感じられた。ふとウォルト・デズニーの「眠れる森の美女」の1シーンが浮かんできた。
「さようなら。また会いましょう」
 ボクは手を合わせた。

◆ 最後までお見送り
 火葬場に向かうマイクロバス。後ろの席にはコボちゃんと青木アナウンサー。右側の席では絵門さんの親友が昔話をしていた。
 年齢を重ねるほど、多くの告別式に参列してきた。20年前にあと5年と余命を告げられたのに、まさか自分がこれほど見送る立場に立たされるとは想像もしていなかったことである。
 最初の見送りは19歳の春、祖母の葬式だった。肉親を失う断腸の思いを初めて経験した。命との別れ。肉体との別れ。棺が炎に包まれるときの切なさ、つらさは筆舌につくしがたい。
 けれども、絵門ゆう子さん、その美しくも見事な人生の最後の瞬間まで立ち会えたことへの感謝の気持ちが、不思議にも悲しみやつらさを軽減させてくれた。おかげでボクは号泣せずにすんだのである。
 コボちゃんと箸を使い、絵門さんの骨を拾わせていただいた。けれどもボクは感じていた。絵門ゆう子さんの魂、存在の実相は既に物質世界から離脱して、キリスト教では天国と呼ばれる高次元世界へ旅立っている。彼女は永遠の幸せと平安の中で生きているのだ。
 再び出会うのは、どこでだろう。この地上世界でか、はたまた天上世界でか。

◆ 「ありがとう」
 エッセイ集「ありがとう」で、彼女がどれだけ「ありがとう」という言葉に命をかけていたか。そして、その命がけの「ありがとう」を果たしてボクが正しく表現できたか。今、ボクは仕事の難しさを心から味わっている。
 絵門さんとボクに共通点があるとすれば、それは省略ができないという性格であろう。内側にあることはすべて表現したい。心の底まで露出したい。何から何まで伝えたい。
 絵門さんの文章で、彼女の表現したかったすべてをボクもイラストレーションで表現したいと考えていた。彼女の思いすべてを形にするのだ。したかったのだ。そう願って「ありがとう」の絵をかいた。
 けれどもアイディアを再構築し、時間をかけての手直しは正解だったと考えている。ボクの仕事のオブザーバーである家内のコボちゃん。編集者の小川さん。筆者と画家、マネージャーや編集者との関係は燃える炎と、それを冷やす水との関係に似ている。心臓と腎臓の関係のように、燃やす臓器には冷やす臓器が必要なのだ。
 絵門ゆう子さんとエム ナマエ。出会った瞬間に感応したふたつの精神。お互いの燃える心を理解し合えた魂。きっとボクたちはお互い、生まれてきたことの価値と意味をよく知っていたに違いない。失明した画家。余命を宣告された表現者。だから最後まで命を燃やしたい。最後の最後まで生きていたい。その命をプロデュースしたい。おそらく絵門さんは、最後の瞬間まで、自分の命が絶えるとは考えていなかったに違いない。それがボクにはリアルに伝わってくる。
 けれども最後の瞬間、絵門さんはきっと自分の旅立ちを悟った。だから彼女の口から発せられたお別れの言葉が「ありがとう」。ご主人や周囲の方々に発せられた「ありがとう」。彼女ほど「ありがとう」に命をこめられる人は他に存在しないだろう。
2006.04.17 
【2006/1/18】毎日が感動 ■絵門ゆう子さんの本 

絵門ゆう子さんの本  「がんと一緒にゆっくりと」
 2003年2月8日、明大前のキッドアイラックホールで青き裕子さんの朗読会が開かれた。作品は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。
 2時間の語り。やまない拍手。そんな状況でボクは絵門ゆう子さんを紹介された。彼女は青木さんの後輩アナウンサーだったのだ。
「私、全身に癌が転移してるんです」
 会話は深刻だが声は明るく笑っている。
 ボクは目の前のパーソナリティーから清浄なエネルギーを感じた。
「ボク、癌でも貴方は死なないと思う」
 思わず口にしていた。たちまちお互いの心が開ける。ふたりとも、一度は医師から「余命」を宣告されたことのある、生きることに真正面から向き合った経験者でもあるのだ。苦しみにも喜びにもシンパシーがあった。
 絵門さんはボクの絵を見て決めた。
 著書「がんと一緒にゆっくりと」が新潮社から出版されたのはそれから間もなくのことだった。
 表紙はエム ナマエ。新潮社の装丁ルームはボクがいちばん気にいっている絵「階段のある街」を選んでくださった。
 「がんと一緒にゆっくりと」は世の中に爽快な衝撃を与えた。そしてボクは今も彼女と仕事のできる喜びを与えられている。

◆ 好評の新刊「がんでも私は不思議に元気」
 青木アナウンサーの導きにより、絵門さんは朗読に目覚めた。最初の朗読コンサートではエム ナマエの著作「ナクーラ伝説の森」が選ばれた。けれども絵門さんはエッセイばかりではなく、童話も書く。絵本も出版する。病院で、ホールで、彼女の自作による朗読コンサートは次々と発表されていった。
 ある日、新潮社の装丁ルームから連絡があった。絵門さんの新しい本が出るらしい。そして今回もボクの絵を表紙にしてくださるのだ。
 慎重に作品が選ばれる。新潮社だから慎重。ああ、くだらない駄洒落。泣けてくる。ええと、600枚のポジフィルムから選ぶのですから慎重になるのです。ああ、しんど。
 さて、「がんでも私は不思議に元気」が出版された。
 新潮社刊 税込み価格1365円 絵門ゆう子作 2005年12月20日初版
 病との共存とその問題提起が具体的に描かれている貴重なエッセイ。好評発売中につき、どうぞ書店で手に取ってご覧あれ。もちろんエム ナマエの表紙にもご注目。

◆ エッセイとイラストレーションのコラボ、エッセイ集「ありがとう」の春がくる
 昨年秋、PHP研究所からの依頼でイラストレーション制作に向かっている。絵門ゆう子さんのエッセイ集に、オリジナルのイラストレーションをちりばめるのだ。できれば絵本のような作品に仕上げたい。これがボクと絵門さんの共通理念である。
 18の項目にわたって語られる様々な「ありがとう」。18回、1年半の間、PHPに連載された労作である。読めば読むほど深い感銘を受ける。
 見えるものすべてへの「ありがとう」。現在過去未来への「ありがとう」。命と未来への希望と楽観。今を生きることへの感謝。
 それらは共感できる事柄ばかり。死を常に背中に感じながらの命を通じて見えること。その共有。もしも誰かがボクと絵門さんの著作から同じスピリットを感じることがあるならば、それは病という共通の基盤からくる貴重な気づきのせいであろう。
 病を通じて見る人生と世界の美しさ。絵門さんのエッセイに満ちている感謝の心。ボクはそれをイラストレーションにしてみたい。
 何度もエッセイを読み返し、イラストレーションをいろいろな角度から構想してみた。なかなか決まらない。もっとできることがあるはず。もっと見えてくるものがあるはず。悩みながら、考えながら、イメージの世界で迷ってきた。けれども、もう時間がない。締め切りは来月いっぱい。勇気を出して制作開始。体調も心の準備も万全。
 もうすぐやってくる春に、絵門さんにボクのカラフルなイラストレーションの数々を見ていただきたい。それは絵門さんがボクの勇気であり、すべての人への希望であるから。

※ 過去の記述と重複することばかりの文章ですが、ボクの絵門さんへの思いの形とお許しください。 2006/01/18  

【2005/12/3】毎日が感動 ■ ボクはウサギのバリーです 
◆ 『絵門ゆう子さんを囲む会』
 セリフも覚えた。白いトレーナーと新しいブルージーン。これで長い耳を装着すれば、ボクはウサギのバリーに変身する。そう、今日、2005年10月22日はこれから朗読コンサート。そして、今夜はボクも出演するのだ。
 NHKの青木裕子アナウンサーが迎えにきてくれる。ボクらはタクシーで明大前のキッドアイラック・ホールに向かった。
 メンバーが揃ったところでリハーサル。ボーボーと木管楽器も鳴っている。これで準備は万全。
 NHKのアナウンサーを中心にした『読夢の会』というグループがある。最近ラジオが注目されている。そして、その中で大きな役目を果たしているのが朗読やラジオドラマであろう。まあ、これはエム ナマエの個人的意見ではあるが。それにしても、想像力を喚起させる言葉の連なりは「自分だけの映画」を見せてくれる。ボクは失明以前からラジオマニアであった。そして失明してからはますますラジオ、それも朗読の世界に没入していった。「ラジオ深夜便」や「ラジオ文芸館」では優れた朗読やラジオドラマが魅惑の時空間へ誘ってくれる。最近ではTBSラジオの「ラジオブックス」もいい。
 世間でも朗読に興味が集まっているらしい。その証に明大前のキッドアイラック・ホールをステージにして続いている『読夢の会』も人気を集めてきた。
 『読夢の会』の人気の秘密は、その会の中心メンバーがNHK「ラジオ文芸館」のアナウンサーで構成されていることにある。朗読を愛する者として大きな声でいわせてもらうが、これ以上贅沢な人選はないだろう。そこに女優の二木てるみさんもメンバーに参加した。もう、マニアにとってはたまらない。
 ボクはこの会で初めて絵門ゆう子さんと出会った。彼女はもともとはNHKのアナウンサーであり、青木裕子さんの後輩にも当る人である。おそらく元NHKの池田ゆう子アナウンサーといえば思い当たる人も少なくないだろう。その彼女が先輩の青木アナウンサーの朗読に魅かれてやってきたのだ。衝撃的な出会いだった。自分は全身に癌が転移している。絵門さんはボクにそう語ったのである。
 けれども見えないボクの目に見える彼女は美しく清涼で、陰りの一片も感じられなかった。
「癌でも貴方は死なないと思う」
 ボクは無責任にも感じたままを伝えた。その瞬間からボクの中で何かが回り始めたのだ。
 青木アナウンサーと絵門さんがボクの仕事場を訪れた。これから絵門さんは朗読の会を開くという。そして、彼女はその場でボクの作品『ナクーラ伝説の森』を選んでくれたのだ。初見で絵門さんは『ナクーラ伝説の森』をはっきりとした音声で見事に朗読してくれた。その情感豊かな語りに、ボクが感動したのはいうまでもない。それからの絵門ゆう子さんの活躍は皆さんご存知の通りである。幸運にもボクは絵門さんとの仕事を許されてきた。そして来年もエッセイ絵本という楽しいコラボレーションが準備されている。
 『絵門ゆう子さんを囲む会』が計画された。絵門さんの存在は人々に様々な勇気と希望を与えている。そして、その原点、キッドアイラック・ホールで絵門ゆう子作の絵本『うさぎのユック』を特別バージョンの朗読コンサートで披露しようというお楽しみなのだ。
 いよいよ本番。会場は満員だ。ボクは特別製のウサギの耳を頭に装着した。けれども耳がぐらぐら落ち着かない。はげているわけでも、髪の毛が少ないわけでもない。いや、どちらかといえば薄毛ではあるが、ボクは頭が小さいのだ。と言い訳をしながら愛用のハンティングをかぶり、その上から耳を装着した。これで具合がいい。けれどもハンティング帽子とサングラスでは、まるでウサギのギャングみたい。
 物語りの語り手はもちろん絵門ゆう子さん。主人公のユックに青木裕子アナウンサー。妹ウサギに元NHKアナウンサーの栗太敦子さん、古藤田京子さん。弟ウサギに元TBSアナウンサーでジャーナリストの下村健一氏。それに末っ子ウサギのバリーがエム ナマエである。ボク以外はみんなプロの語り手。ボクだけが素人なのだ。おまけにみんな絵本を手にしての朗読。ボクはセリフを覚えての出演。救いは出番の少ないことだけ。でも、その出番のタイミングが難しい。そこで隣に座っている下村健一氏がポンとボクの膝を打って合図のキューをくれた。これで大丈夫。木管楽器のナマ演奏が盛り上げてくれる中、緊張することもなく朗読は終了した。拍手。どうやら楽しい舞台になったみたいだ。
 それからは絵門さんを囲んでのリラックスしたバーティーとなった。素敵なお客様のスピーチが続く。落語家の柳家一琴師匠が飛び入りで、紙切りによる似顔絵を披露。これには満場爆笑。絵門さんの発するオーラを浴びながら、楽しい夜がふけていった。
 会費とパーティー参加費用に余剰金が生じた。もしかしたら、皆さん遠慮してあまり飲み食いされなかったのかもしれない。というわけなので、次の処へ寄付させていただいた。
 日本点字図書館、NPO法人「乳房健康研究会」、「無言館」。NPO法人乳房健康研究会とは、絵門ゆうこさんの活動を支えたり、ピンクリボンキャンペーンでこの頃おなじみになっている会である。


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